マイケル・ジョーダンとコビー・ブライアントは、パイオニアとその後継者にあたる関係性で認知されている。コビーがジョーダンに教えを請い、そのプレーを習得しようとしたのは有名な話だが、2人には“決定的な違い”があったという。

 ジョーダンは現役時代、シカゴ・ブルズで2度の3連覇(1991〜93年、96〜98年)を達成。キャリア平均30.1点は、1試合100得点という不滅の記録を持つウィルト・チェンバレンを上回って歴代1位に君臨する。一方のコビーは、アレン・アイバーソンやスティーブ・ナッシュらと同じ1996年のドラフトでNBA入り。怪物センターのシャキール・オニールとともにロサンゼルス・レイカーズで3連覇(2000〜02年)を果たし、単独エースとなった後も09、10年にチャンピオンに輝いている。

 今年1月26日(日本時間27日)にヘリコプター墜落事故に巻き込まれ、41歳で急逝したコビーはバスケットボール殿堂入りが決定。またひとつ、ジョーダンと同じ勲章を手にする結果となった。
  2人のスーパースターをよく知る人物の1人が、名トレーナーのティム・グローバー氏だ。ジョーダンとの付き合いはデトロイト・ピストンズの“ジョーダン・ルール”を克服すべく取り組んだ肉体改造の頃からスタート。1994年に最初の現役復帰を果たした際には野球仕様になっていた身体をバスケットボール仕様に“矯正”するなど、キャリアを通してのパートナーとなった。

 そして、2007年から5年間はコビーの個人トレーナーを務めた。その時点でリーグ優勝3回、ジョーダンを彷彿させるフェイダウェイジャンパーなどスキルと勝利への執着心など、コビーはすでに“神様”の後継者としての地位を確立していた。しかし、グローバー氏によれば、それまでの11年間のキャリアでコビーのヒザは悲鳴を上げていたと『GQ』で明かしている。

「彼の耐痛限界は並外れている」

 コビーのあまりにストイックな姿勢は、必然的にヒザへのダメージも増やしていたが、それをも消し去ってしまうほど、“ジョーダン超え”に執念を燃やしていた。

「コビーはマイケルよりも多くチャンピオンシップを獲得することで頭がいっぱいだった。いつ引退するのか尋ねたら、『(優勝回数が)7回になった後さ』と答えただろう」
  コビーは常にグローバー氏のアドバイスに耳を傾ける意思はあったが、トレーニングを途中で止めることはできなかった。それこそが、コビーとジョーダンの違いだったという。

「2人の最も大きな違いは、マイケルは“十分なレベル”を把握していた。『終わりだ』と言われれば、それを聞き入れていた。コビーにとっては(終わりは)その瞬間だけのもので、3時間後には再びトレーニングを始められるという感じだった」

 グローバー氏は今年5月、別のインタビューでコビーとジョーダンは「正反対」だったとのコメントを残している。
 「マイケルは『俺は自分の役目を果たすために君を雇った。最終的に成果を得せさせてくれればいい。なぜこれをするのか、理由を知る必要はない。でも、俺が尋ねたら良い回答をしてくれ』ってスタンスだ。コビーはすべてを知る必要があった。なぜこのエクササイズをやるのか? なぜこんなに反復するのか?『なぜ、なぜ、なぜ?』ってね。コビーとマイケルは正反対で、コビーは生徒のように常に学んでいた。眠れなかったら、『自分の時間は浪費されている。ジムに行ってシュートを打たないと』って勢いだったよ」

 2人は自分に厳しい分、周囲への要求も高いことは、今年4月から放映されたドキュメンタリー『ザ・ラストダンス』でも描かれていた。ただ、ことトレーニングへのアプローチと“自己抑制”に関しては大きな違いがあったようだ。

構成●ダンクシュート編集部

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