高校野球では、時に社会現象を巻き起こすほどの“アイドル”が生まれることがある。その中でも、特に人気を博した選手たちを紹介しよう。

▼太田幸司(三沢高)
出場:68年夏、69年春・夏
 日本人の父と白系ロシア人の母を持つミックスで、掘りの深い顔立ちから全国の女子高生に爆発的人気を博した元祖甲子園のアイドル。”コーちゃん”の愛称でも親しまれた太田は68年夏、69年春・夏の計3度甲子園に出場。特に69年夏はチームを青森県勢初の決勝まで導いた。名門・松山商業と対戦した決勝戦では両者一歩も譲らず、結局、延長18回で0対0の引き分け。翌日の再試合も完投したが2対4で惜敗し、その悲劇のヒーローぶりがますます人気に拍車をかけた。同年ドラフト1位で近鉄へ入団してからも相変わらず人気者で、70〜72年にはほとんど一軍で実績がなかったにもかかわらず3年連続ファン投票1位でオールスターに選出されたほどだった。
 ▼島本講平(箕島高)
出場:70年春・夏
 太田が甲子園を席巻した翌年のセンバツで人気を集めた箕島の4番エース。あどけなさを残しつつたくましさも感じさせるイケメンで、こちらも愛称は“コーちゃん”。太田と区別するため“二代目コーちゃん”と呼ばれた。この年の箕島はあれよあれよという間に勝ち進んで決勝へ進出、北陽高との最終決戦も延長戦にもつれ込む熱戦となった。12回裏、優勝を決めるサヨナラ打を放った島本の顔がテレビに大写しになった瞬間、熱気は頂点に達した。夏も甲子園に出場したが、この時は2回戦敗退。同年のドラフトで南海(現ソフトバンク)から1位指名されて入団。これまた太田と同様に一軍での活躍が皆無に近い中、オールスター選出を果たした。
 ▼定岡正二(鹿児島実業高)
出場:73年夏、74年夏
 2年生だった73年夏にも甲子園に出場しているが、出番はわずか1打席のみで、この時はほとんど注目されなかった。人気が爆発したのは3年夏。特に準々決勝では、原貢・辰徳の“親子鷹”で話題となっていた東海大相模戦で延長15回を投げ抜き、214球で完投勝利を演じた。しかし、準決勝の防府商戦でクロスプレーの際に利き腕の右手首を負傷。降板を余儀なくされ、チームもサヨナラ負けで号泣した定岡を、世間はやはり“悲劇のヒーロー”として持て囃した。実家には1万通以上のファンレターが届き、電話が鳴りやまないので電話線を抜いてしまったという。また、観光バスツアーの行き先にも定岡の実家が含まれていたという逸話も残っている。
 ▼坂本佳一(東邦高)
出場:77年夏
 軟式野球出身で、中学時代は外野手。にもかかわらず硬球を初めて握ってわずか数ヵ月で名門・東邦の1年生エースとなり、夏の甲子園出場を果たした天才だった。あどけない顔つきと、華奢な体躯から愛称は“バンビ”。だが、伸びのある速球といくつもの変化球を抜群のコントロールで操り、決勝進出の原動力となった。東洋大姫路高との決勝戦は、1対1のまま延長戦に突入したが、10回にサヨナラ本塁打を浴びて敗戦。サヨナラ弾で決勝が決着したのは大会史上唯一である。他の選手が涙を流す中で一人涙をこらえていた坂本だが、その後は二度と甲子園の土を踏むことができなかった。高校卒業後は法政大、日本鋼管(現JFEエンジニアリング)に進んで野球を続けたが、プロ入りはしていない。
 ▼荒木大輔(早稲田実業)
出場:80年夏、81年春・夏、82年春・夏
 80年の東東京大会では背番号16の控えだったが、甲子園大会を前に先輩投手たちが故障や病気に見舞われ、3番手だった1年生の荒木がエースに抜擢された。すると、1回戦の北陽高戦で完封を演じたのを皮切りに、5試合で4完封、44.1回連続無失点と快投を続け、チームは決勝まで進出。決勝の横浜高戦では愛甲猛との投げ合いに4対6で敗れたが、スーパー1年生の活躍に世間は熱狂。女性週刊誌が異例の特集を組み、早実の校門で荒木を待ち伏せする女子高生が何人もいたという。極めつけは、この年の新生児の男の子につけられた名前のトップが「大輔」になったこと。あの松坂大輔(西武)もこの年の生まれだ。5季連続甲子園出場を果たしながら頂点には一度も立てなかったが、“大ちゃんフィーバー”は高校野球史に残る熱狂として記憶されている。
 ▼斎藤佑樹(早稲田実業)
出場:2006年春・夏
 久々に現れた甲子園のアイドルは、奇しくも荒木と同じ早実の投手だった。06年夏に“ハンカチ王子”が巻き起こした一大フィーバーはまだ記憶に新しい。当初はさほど注目されていなかったが、2回戦で中田翔(現日本ハム)擁する大阪桐蔭高を12奪三振で下したあたりから、端整な顔を青いハンカチで拭う姿が話題となり、オークションサイトでは定価400円の同じブランドのハンカチに1万円を超える値がつくほどだった。決勝まで勝ち進んだ早実は、大会3連覇を狙う駒大苫小牧と対戦。“北の怪物”田中将大(現ヤンキース)との対決に世間の注目は否が応にも高まり、視聴率は90年代以降では最高となる視聴率29.1%を叩き出した。しかもこの試合は1対1のまま延長15回で決着せず。翌日の再試合では4対3で田中に投げ勝って優勝。“ハンカチ王子”は同年の流行語大賞にもノミネートされた。

文●筒居一孝(SLUGGER編集部)

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