1993年のプレーオフ・イースタン・カンファレンス決勝。ニューヨーク・ニックスはマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズを相手に2連勝を飾るも、その後4連敗を喫しファイナル進出はならなかった。

 しかし、その年のオフにジョーダンが突然引退し、千載一遇のチャンスが巡ってくる。ジョン・スタークスは自己最高の平均19.0点をマークし、オールスターにも出場。3年連続で地区優勝を果たしたニックスは、カンファレンス決勝でインディアナ・ペイサーズと激闘を繰り広げた。

 3勝3敗で迎えた第7戦、残り26.9秒の場面。スタークスのシュートがこぼれた所をパトリック・ユーイングが押し込み、これが決勝点に。最後はスタークスがダメ押しのフリースローを沈め、念願のNBAファイナル進出を決めたのだった。

 ファイナルの対戦相手は、アキーム・オラジュワン率いるヒューストン・ロケッツ。3勝2敗と王手をかけて臨んだ第6戦、この試合27得点と爆発したスタークスが最後のシュートを放つ。だが、入れば優勝を決めたはずのそのシュートは、オラジュワンにブロックされた。

「あの時はパトリックがオープンになっていた。ジョンが正しい判断をしていれば…」

 そう悔しがったパット・ライリー・ヘッドコーチ(HC)。結局84−86で敗れ、勝負は最終第7戦に持ち込まれた。
  だが迎えた大一番、スタークスは信じられないほど不調だった。実に18本中16本のフィールドゴールを外し、3ポイントは11回試みてすべて失敗。もともと「大豊作か大飢饉のどちらか」とライリーに言われるほど波の激しいシューターだったが、よりによって最も大事な試合で大飢饉になってしまったのだ。

 ユーイングもシリーズを通じて精彩を欠き、平均18.9点、フィールドゴール成功率は36.3%と低調なパフォーマンス。第7戦も17得点とスタークスの不調を埋めきれず、あと一歩のところでニックスは王座を逃してしまった。

 試合後、スタークスは長い時間シャワールームに閉じこもって出てこなかった。彼にとっても、ユーイングにとっても、この試合は大きな傷を残した。

「何度も頭の中で思い返したよ。一生ついてまわるだろうね。今でも、あの試合のことをパトリックと話すことはないよ」

 スタークスが苦い表情で振り返れば、ユーイングも「俺たちは負けた。ただそれだけさ」と語るのみだった。
 ■輝きを失いニューヨークを追われた、あまりにも悲しすぎる末路

 その後の2人は次第に下降線を辿っていく。スタークスはライリーの辞任後、ゴールデンステイト・ウォリアーズ時代に彼を解雇したドン・ネルソンがHCになると控えに降格。1996−97シーズンはシックスマン賞に輝いたが、1998年を最後にゴールデンステイト・ウォリアーズにトレードされ、ニューヨークを離れることになった。

 ユーイングも慢性的な膝の痛みに苦しんだ上、1998年は手首を脱臼して26試合にしか出場できず。影の薄い存在になっていった。

 ロックアウトで短縮された1998−99シーズン、ニックスは第8シードでプレーオフに滑り込むと、奇跡的な快進撃で5年ぶりにファイナルへ進出。だがその主役は、スタークスの代わりにウォリアーズから移籍してきたラトレル・スプリーウェルだった。

 ユーイングはアキレス腱を痛めて試合には出られず。ファイナルではサンアントニオ・スパーズが誇るツインタワー、デイビッド・ロビンソン&ティム・ダンカンがペイントエリアを支配するのをただ傍観するしかなかった。
  2000年、ユーイングがシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)へ移籍した日、ニューヨークのある新聞は“いい厄介払い”と報じた。15年にわたってチームを支え続けた功労者に対して、あまりにもひどい仕打ちである。ユーイングが去った後のニックスが惨憺たる状況に陥るまで、ニューヨークのファンは彼の真価を悟ることがなかった。

 ソニックスとオーランド・マジックで平凡な2年間を過ごしたのち、2002年にユーイングは現役を引退。彼と歩調を合わせたかのように、スタークスもこの年を最後にコートを去った。

 2003年2月28日、ガーデンでユーイングの背番号33を永久欠番にするセレモニーが開催。以前の厳しい仕打ちを埋め合わせるかのように、その夜集まった観客は声を枯らしてユーイングの名を叫んだ。もちろん、その場にはスタークスも出席。彼の顔が会場のモニターに映し出されると、観客は総立ちで拍手を送った。
  もしも2人がニックス以外のチームでプレーしていたら……。ユーイングはメディアの巨大な重圧にさらされることもなく、優れたセンターとして正当に評価されていただろう。ニックスに入団したのは、彼にとって最大の不幸だったかもしれない。

 逆にスタークスは、ニックスにいたからこそカルト的な人気を得ることができた。実際、ニックス以外のチームで彼は大した成績を収めていない。それは全盛期をニックスで過ごしたからだけでなく、ニューヨークの街が彼の闘争心を呼び起こし、実力以上のプレーを引き出したからでもあった。
  現在、ユーイングは母校ジョージタウン大でHCを務め、スタークスはニックスのフロントでファンサービスやOBたちとの連絡を取り持つサポートをしている。だが、スタークスは現場に戻りたいという気持ちを捨ててはいない。

「ハーブ(ウィリアムズ/元ニックスHC)やパトリックとは、引退してからも連絡を取り合っていた。いつか3人でニックスのコーチング・スタッフになれたらな、と話していたんだよ」

 その夢が叶うかどうかはわからない。けれども、ニックスが優勝する時は、1994年のあの日に辛酸をなめたユーイングとスタークスに美酒を味わわせてあげたい――ニックスのファンなら、誰もがそう望んでいるはずだ。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2005年9月号掲載原稿に加筆・修正。

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