■叩き上げのスプリーウェルとエリート街道を歩んできたヒューストン

 潤沢な補強費をドブに捨て続けるGM。猫の目のように変わり続けるヘッドコーチ。高給をもらいながら自分本位のプレーに走る選手たち。そしてNBA最悪と(自分以外の)誰もが認めるオーナー……。名門と呼ばれたニューヨーク・ニックスは、ここ数年迷走を続けるばかりだ。

 最後にニックスが光を放ったのは、20年以上も前になる。ロックアウトの影響で短縮シーズンとなった1998-99シーズン、ニックスはプレーオフ第8シードからNBAファイナルにまで駆け上る奇跡的な快進撃を演じた。その“ミラクル・ニックス”を演出した2人の選手、ラトレル・スプリーウェルとアラン・ヒューストンが、今回の主人公である。

 スプリーウェルは92年にドラフト24位でゴールデンステイト・ウォリアーズに入団した。指名順位からもわかるように、さほど注目されていた選手ではなかった。ウォリアーズにはティム・ハーダウェイ、クリス・マリン、ビリー・オーウェンスら優秀なウイングプレーヤーが多数いたこともあり「これ以上ガードを増やしてどうするんだ」と指名に懐疑的な視線を向ける者も少なくなかった。
  それだけに、スプリーウェルが1年目から大活躍した時には多くの人が驚いた。プロ入り前から評価の高かったディフェンスだけでなく、攻撃面でも平均15.4点。並外れたスピードを生かし、インサイドに飛び込みレイアップを決めるかと思えば、アウトサイドでも安定したシュート力で得点を重ねた。2年目は平均得点21.0に加え、3ポイント成功数141本、平均スティール2.20と2部門でリーグトップ10入り。出場時間3533分はNBA全選手を通じて最多と、驚異的なスタミナも見せつけた。オールスターでもスターターに選ばれ、早くも「マイケル・ジョーダン以来最高のシューティングガード」とまで呼ばれるようになった。

 ヒューストンはスプリーウェルの1年後、93年のドラフト11位でデトロイト・ピストンズに入団した。父ウェイドの下でプレーしたテネシー大時代は、4年連続で平均20点以上。通算2801点は同校の得点記録だけでなく、サウスイースタン・カンファレンス史上でも伝説のピート・マラビッチに次ぐものだった。そのシュート力はレジー・ミラーと比較され、「1対1で僕を止められる選手はそうはいないよ」と自負するほどだった。

 プロ入り当初はやや戸惑いを見せたが、2年目は平均14.5点、3ポイント成功率42.4%、ハーフで7本の3ポイントを決める新記録を達成するなど、次第に実力を発揮しはじめた。完全にスターターに定着した95-96シーズンには平均19.7点をあげ、初めて出場したプレーオフでも平均25.0点。シーズン終了後にはFAとなり、7年間5600万ドルの契約でニックスに迎えられた。
 『(同じFAの)ミラーやスティーブ・スミスを差し置いて、僕が一番欲しいと言われたんだよ。心が動かないはずないだろう?』。だが、移籍1年目は平均14.8点と今ひとつ。人気者のジョン・スタークスのポジションを奪ったことでファンの反感も買い「ニューヨークではタフな者しか生き残れない。ヒューストンは真面目すぎる」などとも言われた。それでも大学時代やピストンズ時代のビデオテープを見返すなど、研究を重ねてプレーの質を向上させ、徐々にチーム内での地位を確立していった。

■NBA全体を揺るがせたスプリーウェルの首絞め事件

 若手ナンバーワンSGとして注目を集めたスプリーウェルだったが、その陰で徐々に素行の悪さも表面化してきた。練習に遅刻し、公式行事をすっぽかし、チームメイトとは殴り合いのケンカをした。ドン・ネルソンHCや、ネルソン派のハーダウェイとの関係も悪化していった。両者の亀裂は、オーウェンスやクリス・ウェバーらスプリーウェルと親しいチームメイトが、ネルソンとの確執からトレードに出されたことで決定的になった。シューズにオーウェンスとウェバーの背番号を書き込んで抗議の意を表し、ふてくされたような態度をとるスプリーウェルにファンは容赦なくブーイングを浴びせるようになった。

 95-96シーズンにハーダウェイがトレードされてからは、しばらく落ち着いたシーズンを送っていたが、97-98シーズンにPJ・カーリシモがヘッドコーチになったことで、彼の運命は激変する。
  カレッジのコーチ歴が長かったカーリシモは、NBAの選手に対しても学生のように扱うことで悪評の高い人物だった。「彼はちょっとばかり敏感すぎる。感情を害されると常識から外れたようなことをしたりするんだ」(元チームメイトのデイビッド・ウッド)という性格のスプリーウェルとは水と油だった。

 事件が起こったのは97年12月1日だった。この日の練習中、カーリシモから執拗に罵られ続けていたスプリーウェルがついにキレた。彼は「殺すぞ!」と叫びながらカーリシモの首筋をつかんで引き倒し、10秒以上にわたって首を絞め続けた。チームメイトたちに引き離されなければ、どんなことになっていたかわからなかった。

「『殺すぞ』とは言ったけど、本気で殺すつもりだったわけがないだろう。それに首を絞めてなんかいない。周りからそう見えただけだ」とスプリーウェルは釈明したが、蛮行の代償は高くついた。3年間2370万ドルを残していた契約が解除されただけでなく、リーグからは永久追放処分が言い渡された。選手会の訴えによって、処分はシーズン終了までの出場停止に軽減されたが、スプリーウェルの人間性に対する評判は取り返しのつかないほど悪化した。

 それでも他球団からすれば、彼の才能は看過できないものだった。マイアミ・ヒートやインディアナ・ペイサーズらも食指を伸ばしたが、ニックスがスタークスら3選手を放出して商談をまとめた。再びプレーできる喜びと、周囲の評価を見返したいという気持ちを胸に秘め、スプリーウェルはニューヨークへ向かった。(後編へ続く)

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2007年1月号掲載原稿に加筆・修正。

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