2003−04シーズン、デトロイト・ピストンズは名将ラリー・ブラウンHC(ヘッドコーチ)の下、チャンシー・ビラップス、ベン・ウォーレス、リチャード・ハミルトン、テイショーン・プリンスといった主軸を中心に、順調に勝ち星を重ねていた。

 だが王座を勝ち取るためにはもう1人頼れる先発が欲しいと感じたチームは、ラストピースとして2月に3チーム間トレードでラシード・ウォーレスの獲得に成功。ポートランド・トレイルブレイザーズでエース格を務めた万能型ビッグマンは、アトランタ・ホークスへ移籍後、わずか10日後にピストンズへ加わることとなった。

 ノースカロライナ大出身のラシードは208cm・102kgの体格を誇り、攻守両面において豊富なスキルが備わった好選手であったと同時に、問題児としても知られていた。00−01シーズンにはNBA史上最多41個のテクニカルファウルという不名誉な記録を樹立している。
  しかしラシードが加入後、ピストンズはベンとの“ダブル・ウォーレス”が大ハマり。自慢のディフェンスはさらに強固になっただけでなく、ラシードはポストプレーやジャンパー、3ポイントまで多彩なシュート力を発揮し、攻撃でもアクセントに。ピストンズは同年のファイナルでロサンゼルス・レイカーズを破り、フランチャイズ史上3度目のチャンピオンへと輝いた。

 11月9日(日本時間10日、日付は以下同)、当時の指揮官のブラウンがシャモンド・ウィリアムズのポッドキャスト番組「The Carolina Conversation」に出演。ブラウンはノースカロライナ大の後輩であるラシードと交わした、同大の恩師ディーン・スミスにまつわる秘話を明かした。

「ラシードが(練習中の)休憩から戻ってきて、コーナーから3ポイントを放っていたんだ。コーチ(スミス)は決して罵ることはなかったが、彼は独自の考えを持っていてね。そこでラシードに聞いたら『そう。俺たちはああいったシュートをノースカロライナで打つことはなかった。特にビッグマンたちはね』と返ってきたんだ」
  ノースカロライナ大で2年間プレーしたラシードは、平均13.0点、7.4リバウンド、2.3ブロックという成績を残した一方、3ポイントは2年間を通して4本しか放っておらず、成功はわずか1本にとどまっていた。

 それでも、ラシードは自身のシュート力に自信を持っており、名将へチャレンジを挑んだという。

「ラシードがコーチに向かって『私ならシュートを決められます』と言ったら、コーチは『君はシュートを決められると思ってるのか? ならコーナーから10本連続で決めてみなさい。そしたら打ってもいいことにしよう』と切り返してね。するとラシードは1本目を左手で放ったんだ。右利きなのにね。しかもそれが見事に決まったんだ。でもそこでコーチは怒ってしまったようだ」

 スミスはあのマイケル・ジョーダンを大学時代に指導した人物で、“ジョーダンを平均20点に抑え込んだ唯一のコーチ”と呼ばれるほど基本を遵守し、選手へ規律を求めたことで知られる。当時、ラシードのようなビッグマンが利き手でない左手で3ポイントを放ったことは、彼のなかで決して許される行為ではなかったのだろう。
  もっとも、ラシードはNBAキャリア16年で3228本もの長距離砲を放ち、1086本(成功率33.6%)を沈めている。

 ピストンズの指揮官として、ラシードを2シーズン指揮したブラウンは「ものすごくシュートが上手い。それにローポストゲームも素晴らしく、過小評価されたパサーでもある。それにどんな相手でもガードできる選手だった」と称えていた。

 ブレイザーズでエース格を務めていたラシードは、ピストンズではハミルトンやビラップスに次ぐオプションではあったものの、プレーオフを勝ち抜くうえでポストプレーや勝負どころでの3ポイント、高さと長さを兼備したディフェンスで大きく貢献した。その存在の大きさは、ほかならぬブラウンが最も感じていたのかもしれない。

文●秋山裕之(フリーライター)

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