プロ野球は契約更改の真っ只中で、各チームの球団事務所では白熱した交渉が展開されている。ここでは、かつて実際に存在した契約更改交渉のドラマをいくつか紹介しよう。

▼“声出し番長”が「声出し料」に「ブログ査定」を要求?
 今季のオリックスは大下誠一郎が声出しでチームを盛り上げて話題となったが、かつてのオリックスにはそれ以上の“声出し番長”がいた。2005年に近鉄と合併した時に、選手分配ドラフトで入団した外野手の下山真二だ。この年、下山は代走や守備固めが主な役割だったが、ベンチからチームメイトへ懸命に声援を送り、大声を出しすぎて喉にポリープができたほど。このことから下山は、オフの契約更改で”声出し料”を要求。何とこれが認められて、出場58試合、打率.230という成績にもかかわらず300万円アップの年俸1880万円を勝ち取った。
  なお、これには後日談がある。3年後の08年、下山は見事ライトのレギュラーに定着して自己最多の123試合に出場し、初の2ケタ本塁打(10本)に到達した。球団はこの活躍を評価して、1700万円アップの4300万円を提示したのだが、下山はさらなる年俸アップを求めた。その根拠として、月平均11万PVを叩き出した自身のブログの人気ぶりをアピールし、”ブログ査定”を要求したのである。だが、この時ばかりは球団も「そうした要素も含めての査定」と要求を突っぱね、それ以上のアップはなし。1度は保留した下山も、2回目の交渉でサインした。
 ▼‟データ活用”で年俸アップを勝ち取った史上初の選手とは?
 現在では、契約更改交渉に際して球団の査定担当者が用意する項目は800以上とも言われる。いわばデータは球団側の交渉の武器になっているわけだが、それを選手側が使っていけないというルールはない。03〜19年にヤクルトに在籍した投手の館山昌平は、07年の契約更改交渉で、祖父が作成したシーズン全登板の詳細なデータを持参し、3時間半に及ぶ交渉の末に1600万アップの6200万円を勝ち取っている。

 また、現在西武でファーム投手総合コーチを務める清川栄治も、現役時代にデータによる交渉で年俸アップを勝ち取ったことがある。清川は1984年から98年にかけて、広島や近鉄でリリーフ投手として活躍したのだが、当時はまだ投手分業制が確立される以前の時代。最優秀中継ぎ投手といったタイトルもなかったため、中継ぎの評価が低かった。そこで、清川が持参したのが、当時某野球雑誌のコラムに記載されていた「インヘリテッド率(IR%)」という指標。登板時点で前の投手から引き継いだランナーをどれくらい生還させたかを示すこのデータを提示したところ、球団社長に「お前、自分の仕事に自覚を持ってやってるな」と高評価を受け、年俸アップを勝ち取った。
 ▼希望年俸額を事前に調査? 金田正一監督の奇策
 昨年の10月に亡くなった通算400勝のレジェンド投手・金田正一氏は、73年にロッテオリオンズの監督に就任すると、数々の奇抜なアイデアで球界を盛り上げた。今では当たり前となったオリジナルグッズの販売や、ファンと選手の写真撮影会などは、金田監督の発案から始まったものだ。

 そんなアイデアマンぶりは、契約更改交渉にも生かされた。74年オフの契約更改に際して、何と事前に全選手に希望の年俸額を書かせ、球団に郵送させたのである。この形式は、“ミスター・ロッテ”と呼ばれたスター三塁手の有藤通世が「事前にこちらの希望が伝えられるから、見通しは明るい」と語ったように選手にも好評で、球団側にとっても事前に選手の希望が見えているから交渉しやすいと良いことずくめ。希望額というからには、ついつい割高な額を書きたくなると思いきや、意外にもオーバーな要求をする選手はほとんどいなかったという。しかも、ほとんどの選手が年俸アップを勝ち取った結果、翌年見事ロッテは日本一に輝いた。

文●筒居一孝(SLUGGER編集部)