■ロジャースなど名手は多いが、欠番は元サンズの2人だけ

 2019−20シーズン、背番号5でプレーしたNBA選手は28人もいた。だが、その全員を答えられる人は、よほどのマニアでない限りいないだろう。スター級の選手も少なく、せいぜいディアロン・フォックス(サクラメント・キングス)とモントレズ・ハレル(当時ロサンゼルス・クリッパーズ/現ロサンゼルス・レイカーズ)の名前が挙がる程度だ。

 歴史的に見ても名選手が多いとは言い難く、永久欠番は今のところ2人だけ。そのうちの1人であるディック・ヴァン・アースデイルは、NBA入り直後のニューヨーク・ニックス時代、3年続けて平均20点以上をマークしたフェニックス・サンズ時代と、キャリアを通じて5番を着用。1970、71年は双子の弟トムと揃ってオールスターに出場した。そのトムも現役時代の大半は5番だったが、1976年に在籍したサンズでは、ディックがいたため4番を着けている。

 もう1人はブルックリン・ネッツの欠番になっているジェイソン・キッド。カリフォルニア大時代から5番で、ダラス・マーベリックスでプロ入りした際も継続したが、1997年にサンズへトレードされると、ヴァン・アースデイルの欠番だったため32番(3+2=5)に変更した。2002年にネッツに移ると、今度は32番がジュリアス・アービングの欠番だったため、再び5番に。その後、2008年にマブズへ復帰して2番、最後はニックスで再度5番を背負った。
  キッドが1年だけネッツのヘッドコーチ(HC)を務めた2013−14シーズン、コーチと選手の関係だったケビン・ガーネットは、ミネソタ・ティンバーウルブズではずっと21番だったが、ボストン・セルティックスへ移籍した際には欠番だったため、ドラフト5位指名という理由で5番に変更。今季中に5番として史上3人目の永久欠番になることが決まっている。

 ネッツといえば、サンズやヒューストン・ロケッツのHCとして一時代を築いたマイク・ダントーニが、今季からアシスタントコーチに就任した。ダントーニもプロ入り後の最初の1年は背番号5を着け、キャリア晩年にイタリアに渡ってからは8番に袖を通しプレー。当時イタリアに住んでいたコビー・ブライアントが少年時代に憧れていた選手がダントーニで、コビーが8番を着用したのもそれが理由である。
  キッド絡みでは、彼がサンズに在籍していたときのHCだったスコット・スカイルズが、ルーキー時代と現役最終年にこの番号を着けていた。1990年に達成した1試合30アシストは、NBA記録として今も破られていないが、このときは背番号4である。

 1994年にプロ入りしたキッドと同期生のジュワン・ハワードは、8球団を渡り歩きポートランド・トレイルブレイザーズを除くすべてのチームで5番(ただしほかの番号だった時期もある)。ミシガン大の“ファブ・ファイブ”でハワードの同期だったジェイレン・ローズも、サンズで過ごした最後の1年を除き、ずっと背番号5だった。

 現サンズHCのモンティ・ウィリアムズもプロ入りしたのは彼らと同じ年。こちらは現役最後の1年だけ、フィラデルフィア・セブンティシクサーズで5番を背負った。

 背番号5で最初のスター選手はガイ・ロジャース。1963年にフィラデルフィア(現ゴールデンステイト)・ウォリアーズ、1967年にシカゴ・ブルズでアシスト王に輝いた名司令塔は、抜群の視野の広さを誇り、キャリア通算6917本のアシストは引退時点で史上3位だった。
  ジョン・パクソンとロバート・オリーはともにクラッチシューターとして名を残している。パクソンは1993年のファイナルでブルズの3連覇を決める3ポイントを沈め、オリーはヒューストン・ロケッツ、レイカーズ、サンアントニオ・スパーズでの数々の劇的なシュートで“ビッグショット・ロブ”の異名を取った。パクソンはそのブルズ時代のみ5番、オリーはロケッツ時代は25番だったが、レイカーズではゲイル・グッドリッジの欠番であり、2番もデレック・フィッシャーがつけていたため5番を選び、スパーズでも継続している。

 1988年にクリッパーズがドラフト1位で指名したダニー・マニングは、2年目から5番を背負いオールスターに2度出場。2002年にワシントン・ウィザーズから1位指名を受け、5番を与えられたクワミ・ブラウンだが、残念ながら大成できなかった。一方、同年のドラフトでは35位と下位指名だったカルロス・ブーザー(元ユタ・ジャズほか)はオールスター選手に成長。低評価を覆した5番には、ビリー・ポールツもいる。1970年のドラフト7巡目、実に103番目での指名だったのが、ABAではブロック王になるなど活躍。NBAも含め15年間で6球団に在籍し、5番以外は一度も着けなかった。
  今は違う背番号だが、以前は5番だった現役選手はヴィクター・オラディポ(インディアナ・ペイサーズ)、ケンテイビアス・コールドウェル・ポープ(レイカーズ)、ティム・ハーダウェイJr.(マブズ)らがいる。ハーダウェイの父でドリブラーとして名を馳せたティム・シニアも、ルーキーイヤーは5番だった。

 昨季はレイカーズに在籍していたJR・スミスは、2004年のドラフト18位指名。ひとつ前の17位指名だったジョシュ・スミス(元アトランタ・ホークスほか)とは、同期でイニシャルが同じだけでなく、背番号5で長くプレーした点も共通している。
  変わり種では、野球選手として大成したディック・グロートとフランキー・バウムホルツがバスケットボール選手では背番号5だった。デューク大時代に2年連続でオールアメリカンに選出され、1952年のドラフト3位でピストンズに入団したグロートは、1960年にナ・リーグMVPを受賞。バウムホルツも1947年にNBAの前身となるBAAで、リーグ8位の平均14.0点を記録した。なお、2人ともMLBで背番号5だったことはない。

 また、韓国人初のNBAプレーヤーであるハ・スンジン(元ポートランド・トレイルブレイザーズ)や、日本で10年以上プレーしたチャールズ・オバノンも、ピストンズでの2年間は5番を背負っていた。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2014年1月号原稿に加筆・修正

【PHOTO】ロッドマン、ジョーダン、アイバーソン、シャック…NBA史に残る偉大なレジェンドたち!