“ペニー”ことアンファニー・ハーダウェイは、身長201cmの大型ポイントガード(PG)として1990年代のNBAで一世を風靡した。度重なるケガで輝きを失ってしまったが、全盛期のオーランド・マジック時代、怪物センターのシャキール・オニール(シャック)とプレーを続けていれば、タイトル獲得は間違いなかった。

 1993年にカレッジ・バスケットボールの世界を描いた映画『ブルー・チップス』に出演したシャックとペニーは親交を深め、先にNBA入りしていた前者はマジックの首脳陣に盟友の獲得を強く主張した。

 93年のドラフト1巡目3位でゴールデンステイト・ウォリアーズに指名され、トレードでマジックに加入したペニーは、ルーキーイヤーから平均16.0点、5.4リバウンド、6.6アシスト、リーグ6位の2.32スティールを記録。シャックとコンビを組んで1年目の93-94シーズン、マジックは球団創設以来初のプレーオフ進出を果たした。

 続く94-95シーズンには、シャックが平均29.3点で初の得点王に輝けば、ペニーも平均20.9点、7.2アシストとさらに数字を伸ばしてオールスターにも出場。イースタン・カンファレンス最多の57勝を記録したマジックは、プレーオフではマイケル・ジョーダンが復帰したシカゴ・ブルズ、そしてインディアナ・ペイサーズを激戦の末に下し、NBAファイナルに進出した。アキーム・オラジュワン率いるヒューストン・ロケッツ相手に1勝もできず優勝は逃したが、今後数年にわたって優勝戦線に顔を出すのは間違いないと思われた。
  95-96シーズン、開幕からシャックが親指の骨折で欠場が続いた一方で、ペニーは平均27点と獅子奮迅の働きで11月の月間MVPを受賞。大黒柱不在の22試合でチームを17勝させ、まったくその穴を感じさせなかった。年間でも前年を上回る60勝をあげ、オーランドではシャック不要論すら口にされるようになった。

 結局、カンファレンス決勝でブルズに4連敗してシーズン終了後、FAとなったシャックはレイカーズと7年1億2100万ドルという破格の契約を結び、ペニーとの黄金のコンビネーションは、あっけなく終焉の時を迎えた。

 現在、メンフィス大のヘッドコーチを務めているペニーは、米メディア『UNDISPUTED』の番組「Skip and Shannon」に出演した際に、元NFL選手で人気コメンテーターのシャノン・シャープから「ケガなく君とシャックが過ごしていたら、コビーとシャックのようになれていたと思う?」と尋ねられると、「ああ、もちろん」と即答した。

「コビー・ブライアントは信じられないほどの戦士で、偉大だ。私が思うにGOAT(史上最高の選手)級に素晴らしいプレーヤーだ。でも、私が健康で、シャックがオーランドに残っていたら、少なくとも1〜2回は優勝していただろう。間違いないよ」
  奇しくも、シャックも過去のインタビューで、「俺たちは新しいマジック(ジョンソン)と新しいカリーム(アブドゥル・ジャバー)だと思っていた。一緒にプレーしていた時にはとにかくヤバかった。ペニーはコビーが現れる前のコビーだった。もし(マジックでずっと)一緒にプレーしていたら、間違いなく1個、いやおそらく2個はチャンピオンリングを獲得していただろう」と同じ見解を述べていた。コンビ解消直前は確執も取り沙汰されていた2人だが、お互いの実力は認め合っていたのだ。

 そしてペニーは、現役時代に苦しめられたケガについても言及している。シャックがレイカーズへ移籍した96-97シーズン、ペニーはマジックのエースに昇格したが、ジャパンゲームで日本を訪れた後、左ヒザの関節鏡手術を受けて23試合を欠場。97-98シーズンにもヒザを痛めて後半戦を棒に振り、2000年5月にも左ヒザのマイクロフラクチャー手術を受けるなど、徐々に輝きが失われていった。
 「ケガが私のキャリアを狂わせた。(ヒザの)マイクロフラクチャー法は当時そこまで浸透していなくて、私が最初に手術を受けた選手の1人みたいなものだった。(フェニックス・サンズに所属していた)2000年のプレーオフでは半月板を断裂しながら戦っていて、いつも試合前にヒザに痛み止めの注射を打っていたんだ。

 シーズン終了後、ドクターは手術をしようと言った。彼は長期的に見て、私のキャリアを伸ばすことができると思っていて、私はそれに同意した。のちに分かったことだけど、その時に手術はすべきじゃなかった。私の未来が制限されてしまったんだ」

 実際、同年のプレーオフでペニーは9試合で平均42.9分、20.3点、4.9リバウンド、5.7アシスト、1.56スティール、1.00ブロックとエースとしてフル稼働した。しかし、オフに手術を敢行したことで2000−01シーズンは4試合プレーしたのみで終了。

 ロールプレーヤーにシフトしてチームを支えたとはいえ、本来の爆発力や輝きが戻ることは決してなかった。ペニー自身も、NBAキャリアを振り返った時に“たられば”と思うことは少なからずあるようだ。

構成●ダンクシュート編集部

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