1910年に創設され、NBA(1946年)より古い歴史を持つNCAA(全米大学体育協会)は、プロを目指す若手選手たちにとってNBA入りの“王道ルート”であり、時代を問わず何人ものスーパースターをNBAに送り出してきた。

 では、カレッジとNBAで実績を残した選手を対象に、大学別に最強メンバーを選出した場合、どんな顔ぶれになるのか。『THE DIGEST』では、双方に精通する識者に依頼し、各大学のベストメンバーを選んでもらった。

 今回はマーケット大編をお届け。大学としての実績は全米制覇1回と中堅クラスだが、OBにはドゥエイン・ウェイド、現役のジミー・バトラーといった好プレーヤーを輩出している。過去のレジェンドまで遡ると、どのような布陣が出来上がるのだろうか。
 【ポイントガード】
ドック・リバース
1961年10月13日生。193cm・84kg
カレッジ成績:89試合、平均13.9点、3.3リバウンド、4.6アシスト
NBA成績:864試合、平均10.9点、3.0リバウンド、5.7アシスト

 2008年にボストン・セルティックスで優勝、現在はフィラデルフィア・セブンティシクサーズを率いる名指揮官は、現役時代も優秀なPGだった。1983年のドラフト2巡目31位でアトランタ・ホークスに入団すると、持ち前の俊敏さを生かして84−85シーズンはリーグ5位の平均2.36スティール。86−87シーズンにはリーグ3位の823アシスト(平均10.0本)を繰り出し、これはホークスの球団記録として今も破られていない。

 キャリア通算でも4889アシスト、1563スティールはいずれもウェイドに次ぎ、マーケット大OBで2位となっている。本名はグレン・アントン・リバースで、”ドック”とはドクターJ(ジュリアス・アービング)のTシャツを着ていたことから、マーケット大の名物コーチであるリック・マジェラスに命名されたニックネームだった。

 おじのジム・ブリューワーはNBAで9年プレーしたフォワード、息子のオースティンは現デンバー・ナゲッツ、娘婿もシクサーズのセス・カリーというバスケットボール一家である。
 【シューティングガード】
ドゥエイン・ウェイド
1982年1月17日生。193cm・100kg
カレッジ成績:65試合、平均19.7点、6.5リバウンド、3.9アシスト
NBA成績:1054試合、平均22.0点、4.7リバウンド、5.4アシスト

 マーケット大出身者で最高の選手であり、押しも押されもせぬ“ミスター・ヒート”。高校ではそれほど有名な存在ではなかったが、大学時代に急成長。2003年、マーケット大のドラフト指名では最上位となる5位でマイアミ・ヒートに入団すると、2年目に平均24.1点でオールスターに出場、さらに3年目はファイナルに出場し平均34.7点と大暴れ。ヒート初優勝の原動力となってファイナルMVPに輝いた。

 その後も08年の北京五輪ではチームトップの平均16.0点をあげて金メダル奪回に貢献。翌09年は30.2点で得点王に輝くなど、NBA屈指のスーパースターとして君臨した。12、13年はマイアミに誘ったレブロン・ジェームズ、クリス・ボッシュとともに、さらに2度の優勝を重ねた。

 16年に故郷シカゴのブルズへ移籍、17年にはクリーブランド・キャバリアーズでレブロンと再タッグを組んだが、最後はヒートに戻って引退した。現在は、現役時代は縁もゆかりもなかったユタ・ジャズの経営陣に参画している。
 【スモールフォワード】
ジミー・バトラー
1989年9月14日生。201cm・104kg
カレッジ成績:106試合、平均12.0点、5.5リバウンド、1.7アシスト
NBA成績:633試合、平均17.4点、5.2リバウンド、4.0アシスト

 精神的に非常にタフなのは、子どもの頃に実の親から見捨てられ、友人宅を転々とした過酷な経験のゆえか。そのような苦労を重ねたのちジュニアカレッジに入学、2年時からマーケット大へ転校し、2011年にブルズのドラフト30位指名でプロ入りした。

 ブルズではまずディフェンダーとして頭角を現し、徐々に攻撃面でも力をつけ、14−15シーズンには平均20.0点でMIPを受賞。同年から4年続けてオールスターに出場し、16年にはリオ五輪メンバーとして金メダルも手にした。

 首脳陣との確執などもあって17年にミネソタ・ティンバーウルブズへ放出されるが、ミネソタでも、その後トレードされたフィラデルフィアでも定住できず、トラブルメーカーとの評価が定着しかけていた。それでも19−20シーズンに流れ着いたヒートが安住の地になる。同年にファイナル進出の立役者になると、昨季もリーグトップの平均2.08スティールを決め、5度目のオールディフェンシブチーム入りを果たした。
 【パワーフォワード】
モーリス・ルーカス
1952年2月18日生。206cm・98kg
カレッジ成績:60試合、平均15.7点、10.7リバウンド
NBA成績:855試合、平均14.4点、8.8リバウンド、2.3アシスト

 1974年のNCAAトーナメント準優勝チームの主力で、オールトーナメントチームにも選出。同年のドラフト14位でブルズに指名されたのを袖にし、ライバルリーグABAのスピリッツ・オブ・セントルイスに入団した。

 利己的なところのないチームプレーヤーである一方、身長218cmのアーティス・ギルモアを一撃でKOした武闘派としても恐れられた。76−77シーズンからNBAのポートランド・トレイルブレイザーズに加わると、スターセンターのビル・ウォルトンの用心棒役として奮闘。平均20.2点、11.4リバウンド、ファイナルでもチームトップの19.7点をあげて優勝に大きく貢献した。

 オールスターにはABA時代から通算して4年連続(76〜79年)で選ばれ、フェニックス・サンズ在籍時の83年にも4年ぶりの出場。NBAでの通算7520リバウンドはマーケット大出身者ではトップである。若手の頃から、当時はまだ一般的でなかったストレッチをトレーニングに採り入れ、食生活にも気を配るなど意識の高い選手だった。
 【センター】
ジム・チョーンズ
1949年11月30日生。211cm・100kg
カレッジ成績:50試合、平均19.0点、11.7リバウンド
NBA成績:623試合、平均12.3点、8.3リバウンド、1.7アシスト

 マーケット大の所在地ミルウォーキーに近いラシーン生まれ。名将アル・マグワイアに直接スカウトされて入学、3年生時にはオールアメリカンに選ばれたが、「プロに行く準備はできている」とマグワイアに背中を押され、当時は極めて稀だった中退してのプロ入りを選択した。

 1972年にABAのニューヨーク(現ブルックリン)・ネッツへ、10年150万ドルという当時としては破格の好待遇で入団。74年からはNBAでの保有権を持っていたキャバリアーズへ移る。78、79年に2年続けて平均リバウンドを2桁に乗せるなど、先発センターとして実績を積み、同球団での3790リバウンドは10年以上にわたって球団記録として残っていた。

 攻撃でもミドルシュートが得意でコンスタントに10〜15得点をマーク。79−80シーズンにはロサンゼルス・レイカーズへ移り、カリーム・アブドゥル・ジャバーがいたためPFに回って優勝に貢献した。引退後は古巣キャブズの解説者として親しまれた。
 【シックスマン】
ウェスリー・マシューズ
1969年3月9日生。185cm・73kg
カレッジ成績:64試合、平均29.0点、3.0リバウンド、3.6アシスト
NBA成績:586試合、平均14.6点、1.9リバウンド、3.5アシスト

 同名の父は、80年代後期の”ショータイム”レイカーズの一員でウィスコンシン大出身。息子のウェスリーはそのライバル校であるマーケット大に進み、バトラーの2年先輩に当たる。

 大学最終学年の2009年にはオールカンファレンスチームに選ばれたものの、NBAチームの関心を惹くほどの評価は得られず、同年のドラフトでは指名洩れに終わった。それでもジャズに入団すると1年目から先発に定着、ブレイザーズへ移った翌10−11シーズンは平均15.9点、リーグ7位となる3ポイント154本を決めた。
  以後9年連続で平均2桁得点と安定感を発揮。ペリメーター・ディフェンダーとしても優秀で、リーグ随一の3&Dとして揺るがぬ地位を築いている。

 マーケット大出身の他の有力選手では、同大の年間&通算リバウンド記録を持つドン・コージスが、創成期のサンディエゴ(現ヒューストン)・ロケッツで2度オールスターに選出。現役のジェイ・クラウダーはいぶし銀の3&Dとして、20年はヒート、21年はフェニックス・サンズで2年続けてファイナルに出場している。

文●出野哲也