1910年に創設され、NBA(1946年)より古い歴史を持つNCAA(全米大学体育協会)は、プロを目指す若手選手たちにとって“王道ルート”であり、時代を問わず何人ものスーパースターを世界最高峰の舞台に送り出してきた。

 では、カレッジとNBAで実績を残した選手を対象に、大学別に最強メンバーを選出した場合、どんな顔ぶれになるのか。『THE DIGEST』では、双方に精通する識者に依頼し、各大学のベストメンバーを選んでもらった。

 今回はシラキュース大編をお届けする。2003年にNCAAトーナメント初優勝の立役者となったカーメロ・アンソニーを筆頭に、アクの強いプレーヤーが多いシラキュース大出身者。はたして同大のベストメンバーはどのような顔ぶれになるのか?
 【ポイントガード】
シャーマン・ダグラス
1966年9月15日生。183センチ・81キロ
カレッジ成績:138試合、平均14.9点、2.2リバウンド、7.0アシスト
NBA成績:765試合、平均11.0点、2.2リバウンド、5.9アシスト

 大学ではロニー・サイカリーの1学年下、デリック・コールマンの1学年上。1987年のNCAAトーナメントでは2年生ながらエース格として準優勝に貢献、1点差で敗れた決勝戦でもチームトップの20得点をマーク。卒業時点での通算2060点は学校記録で、960アシストに至ってはNCAA記録を更新し、派手なアリウープパスでも人気を集めた。

 1989年のドラフト2巡目28位で、サイカリーのいたマイアミ・ヒートに入団すると、すぐに先発ポイントガードの座を掴み平均14.3点、7.6アシストを記録、オールルーキー1stチームに選出。2年目はキャリアハイの18.5点に加え、42得点をあげた1990年12月27日の試合でマークしたハーフでの31得点は、長くチーム記録として残っていた。

 伝統的なタイプのポイントガードではなかったものの、ボストン・セルティックス移籍後の1993−94シーズンにはリーグ8位の平均8.8アシスト、名門球団で3人目となる1試合20アシストも記録。通算4536アシストはNBA史上87位にランクされている。
 【シューティングガード】
デイブ・ビング
1943年11月24日生。191センチ・82キロ
カレッジ成績:76試合、平均24.8点、10.3リバウンド、6.6アシスト
NBA成績:901試合、平均20.3点、3.8リバウンド、6.0アシスト

 現時点でただ1人、シラキュース大出身者で殿堂入りしたNBA選手。本職はポイントガードだが高い得点能力が持ち味で、人選の関係もあって今回はシューティングガードに回した。

 大学ではのちにシラキュース大の名ヘッドコーチとなるジム・ビーハイムとガードコンビを組み、1966年ドラフト2位でデトロイト・ピストンズに入団、平均20.0点をあげ新人王に。ドライブやジャンプショット、さらにフリースローをもらうのも得意で、翌年は平均27.1点(2位)、総得点2142で得点王に輝いた(当時は総得点でタイトルが決定)。

 通算得点こそカーメロ・アンソニーに抜かれたが、5397アシストは今もシラキュース大OBで1位。アクの強い選手が多い同大出身者にあって、人格面でも尊敬を集め、同時代のライバルだったオスカー・ロバートソン(元シンシナティ・ロイヤルズ/現サクラメント・キングスほか)は「プロフェッショナリズム、品格、威厳、人間性の完璧な見本だった」と述べている。引退後は鉄鋼会社を創業し大成功を収めただけでなく、2009年からはデトロイト市長も務めるなど、真に多才な人物だった。
 【スモールフォワード】
カーメロ・アンソニー
1984年5月29日生。201センチ・108キロ
カレッジ成績:35試合、平均22.2点、10.0リバウンド、2.2アシスト
NBA成績:1191試合、平均23.0点、6.3リバウンド、2.8アシスト

 シラキュース大出身者のなかで、出場試合や得点、リバウンド、スティールなどでトップに君臨。大学時代からスター街道を歩み、2003年にはNCAAトーナメント初優勝の立役者としてトーナメントMVPに輝いた。

 同年のドラフト3位でデンバー・ナゲッツに入団、ドラ1のレブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)とはライバルにして親友同士ともなった。もっとも、1年目に平均21.0点をあげながら新人王に選ばれなかったのもレブロンのせい。以後14年連続で平均20点以上、ニューヨーク・ニックス移籍後の2013年には28.7点でタイトルを獲得するなど、リーグきってのスコアラーとして活躍。オリンピックにも3度出場し、先の東京五輪でケビン・デュラント(ブルックリン・ネッツ)に抜かれるまで、五輪の通算得点記録の保持者でもあった。

 ただ、効率的に得点を取れるかと言えばそうでもなく、また守備面での貢献度が低かったこともあって、ファイナルはおろかカンファレンス決勝進出も一度だけ。「チームを勝たせられる選手ではない」との風評を払拭するには至っていない。
 【パワーフォワード】
デリック・コールマン
1967年6月21日生。208センチ・122キロ
カレッジ成績:143試合、平均15.0点、10.7リバウンド、2.3アシスト
NBA成績:781試合、平均16.5点、9.3リバウンド、2.5アシスト

 歴代のシラキュース大バスケットボール選手のなかで、持って生まれた才能に関してはNo.1だろう。身長208cm、122kgの恵まれた体格で動きも敏捷、パスやシュートも自由自在。少年時代から交流のあったビングの推薦で入学すると、4年間毎年オールカンファレンスチーム入りを果たし、大学記録の通算1537リバウンドを奪取した。

 1990年に同大史上唯一のドラフト1位指名でネッツに入団し、平均18.4点、10.3リバウンドをマークして新人王を受賞。”カール・マローン(元ユタ・ジャズほか)二世”と呼ばれ、1994年はオールスターに選出、世界選手権の“ドリームチームⅡ”のメンバーでもあった。

 しかしながら熱意の伝わってこないプレー態度や、ちょっとしたケガでもすぐに休みたがるサボり癖などが抜けず。結局ネッツでも、その後移籍したピストンズやフィラデルフィア・セブンティシクサーズでも、ポテンシャルを完全に発揮することのないまま終わってしまった。
 【センター】
ロニー・サイカリー
1965年5月10日生。211センチ・115キロ
カレッジ成績:136試合、平均12.6点、8.0リバウンド、0.6アシスト
NBA成績:678試合、平均14.7点、9.5リバウンド、1.3アシスト

 レバノン出身のNBA選手は、ともに1965年生まれのスティーブ・カー(元シカゴ・ブルズほか)とサイカリーの2人だけ。カーがベイルート駐在の米国外交官の息子だったのに対し、サイカリーはアメリカ人ではあってもレバノン系で、生まれも育ちもベイルート。移住したギリシャでバスケットボールの才能を花開かせ、アメリカに渡ってシラキュース大に入学すると、3年連続でオールカンファレンスチームに選出された。

 1988年のドラフト9位で新球団のヒートに入団。2年目の1989−90シーズンに平均16.6点、10.4リバウンド(リーグ6位)でMIPを受賞すると、以後5シーズン続けて平均15点/10リバウンドと安定した働きを見せ、1993年にはヒートの球団記録となる1試合34リバウンドもマークするなど、10年間にわたりリーグの先発センターとしてプレーした。

 見た目よりずっと器用で、アキーム・オラジュワン(元ヒューストン・ロケッツほか)ばりのスピンムーブも披露し“スピン・ドクター”というニックネームも定着。大の音楽好きで、引退後はクラブミュージックのDJ&プロデューサーに転身した。
 【シックスマン】
ビリー・オーウェンス
1969年5月1日生。206センチ・102キロ
カレッジ成績:103試合、平均17.9点、8.8リバウンド、3.7アシスト
NBA成績:600試合、平均11.7点、6.7リバウンド、2.8アシスト

 高校時代は『AP通信』が選出する全米最優秀選手となったエリート。大学ではコールマンの2学年下で、3年生時には平均23.3点、11.6リバウンド、3.5アシスト、2.4スティール、1.2ブロックをマーク。この数字からもわかるように、極めてオールラウンド性が高い選手だった。
  1991年のドラフト3位でキングスが指名すると、その後ゴールデンステイト・ウォリアーズがスター選手のミッチ・リッチモンドを手放してまで獲得し、1年目は平均14.3点、8.0リバウンドでオールルーキー1stチームに選出。両フォワードを軸として4つのポジションを守れる得がたい選手で、ポイントフォワードも任された。

 しかし膝の故障などもあって、次第に「様々な仕事をこなせるのは確かだが、傑出した部分がない」と評価が急落。「新世代のバスケットボール選手」と言われたプロ入り当初の期待に応えたとは言い難かった。1994−95シーズンには先輩サイカリーとのトレードでヒートに移っている。

文●出野哲也

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