NBAキャリア16年間で通算2万3757得点(歴代32位)、1万2546リバウンド(同20位)を記録し、殿堂入りも果たした史上屈指のパワーフォワードの1人、チャールズ・バークレー。輝かしいキャリアを送ったなかで、チャンピオンシップだけは一度も獲得できなかったが、そのなかでも1992−93シーズンは最もタイトルに近づいた1年だった。

 ジョーダンやアキーム・オラジュワン(元ヒューストン・ロケッツほか)と同じ1984年のドラフト1巡目5位指名でNBA入りしたバークレーは、2年目の1985−86シーズンから平均20点、10リバウンド以上を毎年のように記録する支配的な選手にステップアップ。キャリア最初の8シーズンをフィラデルフィア・セブンティシクサーズで過ごしたのち、1992年6月にトレードでフェニックス・サンズに加入した。

 そして、1992−93シーズンは“バークレーの年”となる。レギュラーシーズン76試合に出場して平均25.6点、12.2リバウンド、5.1アシスト、1.57スティール、0.97ブロック、フィールドゴール成功率52.0%と攻守で大暴れ。サンズも62勝20敗でリーグ最高勝率をマークし、バークレーは見事に自身初のシーズンMVPに輝いた。
  バークレーは『USA TODAY』のインタビューで、サンズに在籍する2人の選手のおかげで、プレーヤーとして円熟味を増すことができたと振り返っている。

「俺はフィリーでも優れた選手だったが、俺をより成長させたのは、ダン・マーリーとケビン・ジョンソンだ。フィリーには5、6年いたけれど(実際は8年)、シクサーズは偉大なチームではなかった。個人スタッツの数字はシクサーズ時代よりも落ちたが、ダン・マーリーとケビン・ジョンソンが仲間になって、『誰とでも勝負できる』と思ったんだ」

 当時はシカゴ・ブルズが2連覇中で、ジョーダンがリーグを席巻していた“神様”全盛期。そのジョーダンは同年のレギュラーシーズン78試合で平均32.6点、6.7リバウンド、5.5アシスト、2.83スティール、0.78ブロック、フィールドゴール成功率49.5%の成績を残し、得点王とスティール王を獲得したものの、ブルズは57勝25敗でイースタン・カンファレンス第2シードと、チーム成績ではサンズを下回っていた。ジョーダンは「自身がMVPであるべき」と信じていたとされるが、バークレーはその主張を一蹴している。
 「彼はMVPに値しなかった。俺たちがNBAで最高勝率をマークしたからな。MVPは常に、最高勝利のチームのベストプレーヤーのものだった。リーグ全体のベストプレーヤーとは何の関係もない」

 そしてこの年、サンズとブルズはNBAファイナルで対戦し、バークレーとジョーダンも雌雄を決することになる。
  バークレーはレギュラーシーズン終了後、同僚たちに対して「俺たちはチャンピオンシップのためにブルズと戦う。俺たちはウエストを勝ち上がる。なぜなら俺が世界のベストプレーヤーだからだ。マイケル・ジョーダンは素晴らしい選手だが、彼は俺よりも多くの助けを受けている。一方で俺は世界のベストプレーヤーで、お前たちチームメイトがいる。ファイナルに行こう」と声を掛けていたという。

 惜しくもシリーズ2勝4敗で敗れ、自身初のリーグ優勝を逃したバークレー。今年6月には「そのシリーズについて二度と話したくない」と語っていたが、シーズンMVPはそんなバークレーのプライドを保つ上で、大きな個人タイトルとなったようだ。

構成●ダンクシュート編集部

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