NBAにおいて背番号20で永久欠番となっている選手は2人しかいない。1人はPFのモーリス・ルーカス、もう1人は2018年に欠番になったエマニュエル・ジノビリである。ジノビリも含め、20番はガードの印象が強い番号だ。

 アルゼンチンが生んだ史上最高のバスケットボール選手であるジノビリは、2002年にNBA入りするまでは主に6番を背負っていた。

 サンアントニオ・スパーズでも継続する予定だったが、前年まで同番号をつけていたエイブリー・ジョンソンのイメージがファンに色濃く残っている点を考慮。「見栄えがよさそうだから」という理由で20番に変更した。同じアルゼンチン出身者では、カルロス・デルフィーノもデトロイト・ピストンズとトロント・ラプターズで20番を着けている。
  ただジノビリの引退後、20番ではスターとまで呼べるほどの選手がいないのは事実である。過去の名選手で最もインパクトを残したのはゲイリー・ペイトンだろう。“グローブ”の愛称で親しまれた史上有数のディフェンダーは、1996年にPGとして初となる最優秀守備選手賞を受賞した。

 オレゴン州大時代から背番号20で、シアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)入団時はクインティン・デイリーの番号だったため、ドラフト2位指名にちなんで2番を選択。デイリーが移籍した翌年に変更し、引退まで同番号を背負い続けた。同名の息子もワシントン・ウィザーズ時代に1年だけ20番を着けている。

 03年にペイトンとの交換でミルウォーキー・バックスからソニックスへ移籍したレイ・アレンも、ボストン・セルティックスに在籍した5年間は20番だった。バックス、ソニックス時代の34はポール・ピアースが着けていため、7月20日生まれという理由でこの番号を選んだ。アレンと同じシューター系では、90年代にピストンズとニューヨーク・ニックスで活躍したアラン・ヒューストンも挙げられる。
  そのほかにも20番のガードには好選手が多い。ラリー・ジークフリードは60年代のセルティックスで控えを務め、5度の優勝に貢献。73年のドラフト1位ダグ・コリンズは、正確なシュートを武器に4回オールスターに選ばれ、引退後はHCとなってシカゴ・ブルズでマイケル・ジョーダンを指導した。

 優れたディフェンダーだったフィル・スミスは、アキレス腱を断裂して30歳の若さで引退したものの、ルーキーイヤーの75年にゴールデンステイト・ウォリアーズで優勝を経験している。マイケル・レイ・リチャードソンは麻薬に溺れ、スミス同様30歳でリーグを去ったが、スピーディーな動きでスティール王に3度輝き、80年にはアシスト王との2冠を成し遂げた。

 オールスター級の実力を秘めながらケガに泣いたラリー・ヒューズは、05年にウィザーズでスティール王のタイトルを獲得。95年にラプターズ初のドラフト指名選手となったデイモン・スタッダマイアーは平均19.0点、9.3アシストをマークし、新人王を獲得している。

 88-89シーズンに3ポイント成功率でリーグ1位となったジョン・サンドボルド、00-02年のレイカーズ3連覇時に控えPGを務めたブライアン・ショウ、01年のファイナルを戦ったフィラデルフィア・セブンティシクサーズのエリック・スノウも忘れ難い。名選手リック・バリーの息子ジョンはキャリア平均5.7点と平凡ながら、3ポイント成功率は通算39.2%と優秀だった。フレッド・スコラーリは、左目が見えず右耳も聞こえないハンデを乗り越え、NBAの前身であるBAA初年度にフリースロー成功率で1位となった。
  ガード陣ほどではないが、フォワードやセンターにも好選手はいる。冒頭で述べたルーカスは、武闘派のPFとしてポートランド・トレイルブレイザーズのインサイドを支え、77年には優勝の立役者になった。チームに在籍したのは4年半でも、88年に同番号初の欠番となっている。

 50年代を代表するセンターのエド・マコーリーはセントルイス(現アトランタ)・ホークス時代に、殿堂入りの名センターであるモーゼス・マローンは77年にバッファロー・ブレーブス(現ロサンゼルス・クリッパーズ)で2試合だけ20番を着けた。現役ではゴードン・ヘイワード(シャーロット・ホーネッツ)、ジョン・コリンズ(ホークス)がいる。

 そのほか変わったところでは、MLBの投手として通算146勝をあげたロン・リードが、“二刀流”選手として2年間在籍したピストンズで20番を背負った。レオン・ウッドは84年のロサンゼルス五輪でジョーダンらとともにプレー。プロでは大成しなかったが、その後レフェリーに転身し25年にわたって務め上げている。

 現在Bリーグで活躍中のニック・ファジーカス(川崎ブレイブサンダース)、ジェームズ・マイケル・マカドゥー(サンロッカーズ渋谷)、元川崎のルー・アマンドソンや元三遠ネオフェニックスのカルティエ・マーティンも、NBA時代は背番号20を着けていた。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2015年1月号掲載原稿に加筆・修正