NBAに限らずスポーツの世界では、決して「スター」として記憶されていない選手の中にも、1年や1か月単位など“一瞬の輝き”を放った選手が存在する。

『THE DIGEST』の当シリーズでは、これまで様々なカテゴリー別にベスト5を選出してきたが、今回は各ポジションを代表する歴代“一発屋チーム”を紹介。全員の名前を知っていれば、かなりのNBA通だ。

【ポイントガード】
アーニー・ディグレゴレオ
1951年1月15日生。183cm・82kg
キャリアスタッツ:312試合、平均9.6点、2.0リバウンド、5.1アシスト
ベストシーズン(1973−74):平均15.2点、2.7リバウンド、8.2アシスト

 NBAでは新人王の年がピークという選手より、2年目以降も順調に活躍を続けるパターンの方がはるかに多い。だが、まれにディグレゴリオのごとく「ロケットのように飛び出し、流れ星のように落下した」例もある。

 大学時代に「小型のピート・マラビッチ」と称されたほどシュートとパスのスキルが高く、1973年のドラフト3位でバッファロー・ブレーブス(現ロサンゼルス・クリッパーズ)に入団。新人にして平均8.2アシスト、フリースロー成功率90.2%の2部門でリーグ1位になっただけでなく、平均15.2点をあげ新人王に選ばれた。

 74年の元日、ポートランド・トレイルブレイザーズ戦でマークした1試合25アシストは、依然としてリーグの新人記録である。しかし、ニックネームのアーニーDをもじって“アーニー・ノーD”と揶揄された守備力の低さが災いし、2年目以降は出場時間が減少。77年にも再びフリースロー成功率94.5%で1位となったが、翌年を最後に27歳でNBAから姿を消した。
 【シューティングガード】
マイケル・カーター・ウィリアムズ
1991年10月10日生。196cm・86kg
キャリアスタッツ:391試合、平均10.3点、4.4リバウンド、4.4アシスト
ベストシーズン(2013−14):平均16.7点、6.2リバウンド、6.3アシスト

 ディグレゴリオと同じく、ルーキーシーズンが最高の輝きだった“右肩下がり型”。本職はPGだが、近年はSGで起用されることも多いのでこちらに回した。

 2013年のドラフト11位でフィラデルフィア・セブンティシクサーズに入団、平均16.7点、6.3アシストに加えてリバウンドも6.2本。ルーキーで16−6−6を達成したのはオスカー・ロバートソン、マジック・ジョンソンに次いで3人目という快挙であり、さらにはスティールも130本(平均1.86本)をマークして新人王に選ばれた。

 しかし、再建真っただ中のシクサーズにいたため、数字がかさ増しされた面があったのも事実。シュートに難があり、2年目の途中でミルウォーキー・バックスへトレードされると、以後6年間で5球団を渡り歩くジャーニーマンと化す。5年目の17−18シーズンには平均4.6点、2.2アシストまで数字を下げてしまった。オーランド・マジックに所属していた昨季は左足首を手術して1試合も出られず途中解雇、今季のカムバックを目指している。
 【スモールフォワード】
ドン・メイ
1946年1月3日生。193cm・91kg
キャリアスタッツ:379試合、平均8.8点、3.5リバウンド、1.0アシスト
ベストシーズン(1970−71):平均20.2点、7.5リバウンド、2.0アシスト

 好成績を残したシーズンが1年のみという、正真正銘の一発屋。68年に入団したニューヨーク・ニックスでは2年間で平均3.5点。70年にチームが初優勝したのでチャンピオンリングを手にしたが、ファイナルでの出番はなかった。

 同年のエクスパンション・ドラフトで新設されたブレーブスへ移ると、新天地でのデビュー戦、すなわち球団初試合で自己記録を更新する24得点。3月2日には強豪ロサンゼルス・レイカーズ相手に40点を奪うなど、シーズンでは前年の約8倍となる平均20.2点を残した。

 だが同年オフにアトランタ・ホークスへトレードされると、以前のような平凡な選手に戻ってしまう。カーター・ウィリアムズ同様、人材不足の新球団だから目立っただけだったようで、平均8点以上を記録したのは前述の70−71シーズンだけだった。

 近年では、2004−05シーズンに前年の7.8点から16.4点へ数字をアップさせMIPに輝いたボビー・シモンズが、クリッパーズからバックスへ移籍した翌年以降に成績を急落させている。
 【パワーフォワード】
アントワン・カー
1961年7月23日生。206cm・102kg
キャリアスタッツ:987試合、平均9.3点、3.4リバウンド、1.1アシスト
ベストシーズン(1990−91):平均20.1点、5.5リバウンド、2.5アシスト

 日本では、ドリームチームが脚光を浴びた92年バルセロナ五輪以降にNBAを見始めた人が大半だろう。そうした人たちにとって、カーはマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズと2年連続でファイナルを戦った、ユタ・ジャズの堅実な控えビッグマンとの印象が強いはずだ。

 しかしそれよりも前のサクラメント・キングス時代には、短期間だがエース級の成績を残したことがあった。84年にホークスでキャリアを始め、89−90シーズン途中にキングスへトレードされると、平均得点は移籍前の7.6点から18.6点へ急上昇。翌年もベンチ出場ながら点を取りまくって先発へ昇格した。

 頑強な肉体を生かしてペイントで得点を稼ぎ、2月20日のクリーブランド・キャバリアーズ戦では自己最多の41得点。先発での48試合中47試合で2桁得点と、抜群の安定感を誇った。しかしサンアントニオ・スパーズへ移籍した翌年は控えに戻り、10.9点と得点も半減。以後は前述の通り、頼れるバックアップ要員として38歳まで現役を続けた。【センター】
パービス・エリソン
1967年4月3日生。206cm・95kg
キャリアスタッツ:474試合、平均9.5点、6.7リバウンド、1.5アシスト
ベストシーズン(1991−92):平均20.0点、11.2リバウンド、2.9アシスト

 ルイビル大では1年生でNCAAトーナメント優勝を果たし、ファイナル4のMVPに選ばれる大活躍。大舞台でも落ち着いたプレーを演じて“ネバー・ナーバス(緊張しない)・パービス”と称された。

 89年のドラフトでは全体1位でキングスに指名されたが、故障で34試合しか出場できず、毒舌家のチームメイト、ダニー・エインジに“アウト・オブ・サービス(故障中の)・パービス”とからかわれた。翌年ワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)へトレードされると、3年目の91−92シーズンは平均得点を10.4点から20.0点へほぼ倍増させ、リバウンドも11.2本。規定試合数未満ながらリーグ8位に相当する本数をマークし、MIPを受賞した。

 守備でも長い腕を生かしたブロックで貢献。続く92−93シーズンも17.4点、8.8リバウンドとまずまずだったが、明くる年は7.3点にまで急落すると、その後も復調できずじまい。両ヒザにメスを入れるなどケガの多さが祟り、当初の期待に応えることなくキャリアを終えた。
 【シックスマン】
マイク・ジェームズ
1975年6月23日生。188cm・85kg
キャリアスタッツ:595試合、平均9.9点、2.2リバウンド、3.5アシスト
ベストシーズン(2005−06):平均20.3点、3.3リバウンド、5.8アシスト

 2021年にブルックリン・ネッツでプレーし、今もヨーロッパで活躍しているマイク・ジェームズとは同名の別人。デュケイン大卒業時にはドラフトにかからず、フランスなどでプレーしたのち、2001年に26歳でマイアミ・ヒートに入団。少しずつ活躍の場を広げていき、04年には控えの一員として、デトロイト・ピストンズでチャンピオンリングを手にした。

 そして05−06シーズン、6つ目のチームとなったトロント・ラプターズで覚醒。持ち前のシュート力を存分に発揮して平均20.3点、3月以降は25試合中10試合で30点以上、4月14日の古巣ピストンズ戦では最多の39得点を記録した。3ポイント成功率44.2%はリーグ4位だったが、39%以上だったのはこの年だけ。

 ミネソタ・ティンバーウルブズに移籍した翌年は平均得点が10.1点と文字通り半減。続く07−08シーズンは5.0点とさらに半減した。その後もラプターズ時代のような栄光は取り戻せなかったが、それでもNBAには38歳までい続け、計11球団のユニフォームを着ている。

文●出野哲也