アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。

 今回登場するのは、スノーボード・アルペンでオリンピックに6度出場、2014年ソチオリンピックでは同競技日本初の表彰台となる銀メダルを獲得したレジェンド、竹内智香選手。長期間にわたり第一線で活躍できた経緯、その土台となる食への意識、今後の夢などを聞いた。

■スノーボードとの出会い、オリンピックを目指したきっかけ

−−スノーボードを始めたきっかけを教えてください。

 北海道にいれば小さい頃から雪に触れあうのが当たり前で、2歳くらいからスキーをしていました。小学校5年生くらいのときにスノーボードというのが流行ってきて、かっこいいな、と思ったのがきっかけです。

−−小学校の文集で「オリンピック出場」を目標として書いていたそうですね。

 父親が乗馬でオリンピックを目指していた話を聞いていたので、小さい頃から興味を持って「いつか行きたいなあ」と意識していました。文集に書いたときは、とにかくオリンピックに行きたいという思いで、どの競技で、というのもありませんでした。

 本来なら小さい頃からやっていたスポーツで成績がよくて、強化指定に入って、という順番だと思うんですけれど。スノーボードで出たいと思ったのは長野オリンピックを観たのがきっかけです。

■高校生でオリンピックに出場、4度目の出場でメダル

−−高校3年生だった2002年のソルトレイクシティオリンピックに出場し、早くも目標をかなえました。最初の大舞台はどんな印象でしたか。

 当時は出ることが目標だったので、それだけで満足していました。一方で、先輩が日本人で初めて予選通過した姿を見て「日本人でも通用するんだ」と教えてもらった場となり、出場が目標で勝ち上がることを目標にしていなかったのを後悔した大会でした。

「次こそは予選を通過しよう」と思って臨んだ2006年のトリノオリンピックではそれを達成して9位になりました。

 ただ、ソルトレイクシティでもう一歩上の目標を目指す大切さを学んだはずが、「なぜもう一歩先のメダルを目指さなかったんだろう」と目標設定では同じ失敗をしたと感じました。
 −−その後、スイスへ渡りました。

 14歳から本格的に競技を始めて、こつこつ成績は上がっていたけれど、勝ち続けるレベルの選手になるには壁を感じていました。そういう選手はどんな環境でやっているのかを確かめ、自分の本当の力を試すために行きました。

−−練習や生活の環境はいかがでしたか。

 生き残るのに大変過ぎてなにが大変だったか覚えていないです(笑)。

 ほかのプロスポーツと比べるときわめて厳しい環境でしたね。言葉も通じないし通訳がいるわけでもありませんから。しかも練習させてもらったのがスイスのナショナルチームです。本来いるべきではない人間がいるわけですから簡単な環境ではなかったですね。

 そんなにお金もなかったので、無料で下宿させてもらうかわりにベビーシッターをしたりしていました。

−−スイスでの生活はどのような経験となったでしょうか。

 異なる文化、言葉、地域で生きていくことって決して簡単なことではありません。でも、感謝やリスペクトの気持ちを持ち、人として正しいことをしているとどんな人にも認めてもらえる、受け入れてもらえると感じて、今もその生き方を大切にしています。
 −−スイスで練習しながら出場した2010年のバンクーバーオリンピックが13位、続く2014年のソチオリンピックで銀メダルを獲得していますね。

 バンクーバーもソチも世界ランキングは2位くらいでしたが、かたやバンクーバーは1回戦敗退、ソチはメダル。何が違うんだろうと考えたとき、メダリストたる器というか人間性であったかどうかなのでは、と思いました。

 能力だけではなくいろいろなことが総合的にパッケージになって「あなたはメダリストですよ」と言われるのがメダリストのように感じていて。

 振り返ると、バンクーバーの頃の私はスイスに行って成績が右肩上がり、絶好調なときでした。

「最初からスイス人として生まれていればもっと簡単に世界のトップに行けたのに」「なぜ日本人として生まれたんだろう」と自問自答する時間もあって、不平不満というか反骨精神のようなものをオリンピックにぶつけていたと思います。その精神でいる時点でオリンピック精神に反していますよね。

 バンクーバーのあと、「日本とスイス両国に感謝をして、それを力にしよう」と決めました。どっちがいいではなく日本人として生まれて変えられないルーツがあり、でも助けてくれるスイスがある。2つの環境をいかせるのは恵まれているんだと考えるようになりました。
 
写真:GettyImages

−−バンクーバーの後、日本に戻られていますね。スポンサーをはじめ支援をみつけるのは簡単ではなかったのではないでしょうか。

 人と人のつながりがすべてです。応援してくださっているスポンサーの皆さん、横のつながりがあるというか。「あの会社が応援しているなら僕らも」と。私を知ってくれてワンチームになっていくという強さが競技を続けられる理由です。

−−広島の多くの企業がスポンサーになっています。広島に基盤を築いたことは、冬季競技では意外な感じがあります。

 母親のいとこが広島に住んでいて、観光客として広島にはまって毎年春に遊びに行くようになっていました。自動車免許も尾道の合宿で取得し、成人式の写真も尾道で撮りました。
 
 土地と人が好きになって、草大会をやらせてもらったり、まさに人と人のつながりができていきました。最初はスポンサーをゲットしようという思いとかはなくて、何かを計算して動くより好きなところにいって出会ってつながっていったことが今に至っています。

 ソチでのメダルは、スイスと日本、2つの国からのサポート、いろいろな人からの応援、サポートがあってのことだと思います。
 ■大怪我などを克服し計6度のオリンピック出場

−−目標のメダルを獲得したソチのあと、2016年には左膝前十字靱帯断裂の大怪我を負っています。

 診断を受けたときは若干ほっとした気持ちもありました。ソチのあと、2018年の平昌オリンピックへ向かっていましたが、成績も下がっていたし、銀から金というあと一歩の階段は想像以上に難しいものです。

 遠征がつらいなと感じたり、朝起きてウォーミングアップするのもやりたくないなと思ったり、なぜ引退しなかったんだろうと考えたこともありました。ですから、「これで少し休めるんだ」とほっとした気持ちがありました。

−−それでも復帰しました。

 まずは座れるようになること、歩けるようになること、そうした小さな目標を重ねていく状態になったのがよかったと思います。とはいえ簡単な道のりではなく、腫れたり水がたまったり。問題なく使えるようになったのは、本当に最近ですね。

−−そして平昌オリンピックを迎えました。

 成績もよくないし、正直スタートに立つのが嫌でした。予選通過もできないんじゃないかと。なによりも「金メダルを目指します」という目標を果たせないのではないかという怖さがありました。それでも5位と入賞を果たせて、ホッとしたという思いがありました。

 また、敗退したあと試合やフラワーセレモニーを見ていて、敗者がいるから勝者がいること、そうしたいろんなことに支えられて華やかでいい舞台がつくられているんだなと感じたとき、初めて自分が獲ったメダルの価値に気づいた気がしました。
 −−その後いったん、競技から離れた時期がありますが。

 引退する気がほぼ100%でした。でも帰国すると、応援してくれているみんなから「北京もいけるよ」と言葉をかけられて。引退という言葉をいうタイミングを逃してしまいました(笑)。

 でも続けられる環境があるのはありがたいことですし、少し休んでいろいろな世界を見る中で、自分がいた雪山という職場がすごく素晴らしい仕事場なんだと気づけました。

 6度目の出場になった北京オリンピックは、いろいろな気づきがある大会でした。2年半休んでどう復帰していくか過程を知ることができたこと、若い選手と練習した経験、人生経験として捉えればコロナ禍での大会もよかったと思います。
 ■食生活について

――長いキャリアを重ねてきましたが、食生活での気配りや変化などにつておうかがいします。まず子供の頃からどのような食事をとってきたのでしょうか。

 特にこだわってきたということはなかったですね。高校に入ってからは寮生活や合宿など集団生活が多かったので、その場にあるものを食べる感じでした。

 二十歳を過ぎて自分で選べるようになってからは、ジャンクフードが好きだしお菓子が好きだし、食べられないものはないけれど若干偏りがちな食生活をしていたなと思います。

 三十歳を過ぎて怪我が増えてきて、長く健康にスポーツを続けたいという観点からだいぶヘルシーなライフスタイルになっているんじゃないかと感じます。

−−アスリートとして食について意識しているのはどのような点でしょうか。

 いちばん大切にしているのはあまり深く考えないことです。

 もちろん野菜、ビタミン、タンパク質、いろいろなものがバランスよく食べられればベストですが、遠征の多い競技の特性からホテル生活も多いし、決して食に恵まれた環境にいるわけではありません。遠征にシェフがついてきてくれるわけでもないですし。

 ですから、これとこれを食べないといけないとこだわることがストレスになってほしくないので、あまり神経質にならないようにしています。その上でバランスを意識します。

−−食材としてのきのこの印象を教えてください。きのこはお好きでしょうか?

 ピザやパスタにきのこが使われていることも多いですし、海外でお世話になっていた家族がきのこを料理に入れてくれることも多くて、身近な食材でした。

 あまり栄養学を学ぶ機会はなかったのですが、私はきのこは体に良い食材だと思っているので味噌を使ったスープにいろんな種類のきのこを入れて作ったりもします。
 ――スイスや海外での食生活について教えてください

 野菜とかきのこもそうですが、スイスと比べて日本のスーパーにはたくさんの種類があるなと思います。でも物価が高いと言われるスイスですが、フルーツは豊富でいろんな種類があって、品質は劣るかもしれませんが日本より安く購入できます。

 きのこに関してはスイスやヨーロッパだとなかなか手に入らず、日本はきのこがすごく手に入りやすい環境だと感じます。

 でもヨーロッパではきのこ狩りに行く文化があって、みんなで本を見ながら毒きのこじゃないか確認しながらきのこを採って食べる機会もありました。

――きのこを使った得意料理はありますか?

 得意なきのこ料理と言われるとむずかしいですが、きのこはアシスタント役というか、ほとんどの料理にきのこを入れます。

 例えばハンバーグにもみじん切りを入れたり、ミネストローネにも細かく切って入れたり。細かくすることでいろいろな食に入っていける食材だと思います。

−−キノコは栄養面が高く低カロリーです。腸内環境の改善の働きもありますが、ご存じだったでしょうか。

 正直、まったく分からないです(笑)。ただ、ほんとうにきのこは好きで、中でも椎茸ですね。乾燥椎茸を海外にも持って行きます。日本人の食に必要な味というか、出汁みたいにもなりますし、お蕎麦のつゆにも入れます。
 

■オリンピアンとして人の役に立ちたい

−−あらためてうかがっていると、メンタル的な強さを感じます。

 強いと思われていますが、決して強いわけではありません。人を頼ることだったり信頼している人に愚痴を言う勇気があったり。あとは自分の弱さを受け入れられるからであるように思います。

「人に頼る、甘える」を遠慮なくしていいんじゃないかと思います。

 メンタルが弱ければ弱いでいいと思うんです。持って生まれたものってそう簡単に変えられないし、無理して変えようとするよりできないと受け入れる大切さが大事ではないでしょうか。受け入れると、ほかの長所が補ってくれるように思います。

−−6度目のオリンピック、北京大会が終わり、「7度目を」と期待を持つ人もいると思います。

 最近感じるのは、「行きたいです」と手を挙げれば行けるんだと周囲の方たちに思われているんじゃないかと(笑)。

 実際は生半可な気持ちで出られるものではないし、出場のための条件もあるので、簡単に「目指します」とは言えません。

 でも体を動かすこと、スノーボードをすることは大好きですし、体が動く限りは続けていきたいですね。ワールドカップも出られる限りは出たいです。積み重ねた先に世界選手権やオリンピックがあれば素晴らしいと思いますし、もしなくても、素晴らしい人生なんじゃないかと思います。

ーースポーツに励むジュニアアスリートへのアドバイスをお願いします

 良くも悪くも情報社会になっていて、小さな子でも身近にタブレットを持っているような時代になりました。それは決してネガティブなことではなく、SNSなどを通じて世界で何が起きているかを知るきっかけになると思います。

 大事なのは、そういったたくさんの情報から正しい知識を理解することが出来る人間になることだと思います。タブレットから得る情報だけではなく、実際に食べ物を食べてみたり、その国に行って現地の人々と触れ合うことで感じるもの、人間ならではの感覚が優れた人々が増えて、情報社会と融合できればより良い世界になると思います。

 スポーツで世界を目指すことを夢見る子供たちにとって、怪我などである日オリンピックがなくなってしまう、あるいは突然中止になってしまうことがあるかもしれません。

 だからオリンピック、スポーツだけが人生のすべてになってしまうのではなく、人生100年と言われる時代だからこそスポーツのみで生きていけるわけではないので、アンテナを広げて自分の可能性を広げていってほしいと思います。
 

−−スノーボードの普及、育成等を行う「&tomoka」を2019年に始めています。どのような思いからスタートしたのでしょうか。

 スイスに渡ったときから、日本人にいい練習環境があれば、世界のトップに近づけるという思いがありました。その架け橋になろうと考えて始めました。

 加えて、コロナやオリンピックの延期がきっかけで最近感じるのは、オリンピックはスポーツの祭典、そうした楽しいことは世の中が平和で健康で初めてできるということです。人生のプラスアルファ、1つの娯楽だと思うからこそ、オリンピアンの価値はなんだろうと向き合うようになりました。

 その中で思ったのは、まず地域の人に「オリンピック選手がいてくれてよかったな」と思ってもらうのが1つのステップかなということです。そのため、町のトレーニングジムをよくしてもらったり、トレーナーが移住して町の健康寿命をアップさせたり、そういう取り組みをしています。

 そこから、オリンピックが自分たちの人生を豊かにしてくれる、健康にしてくれる起爆剤になっていると認識してもらえるようになるようにと思っています。オリンピアンであることにあぐらをかくのではなくオリンピアンがどう人の役に立つのか、何ができるのかを大切にしていきたいです。


<プロフィール>
竹内智香(たけうちともか)
1983年12月21日生まれ、165cm/62kg
北海道旭川市出身、クラーク記念国際高等学校卒業ー広島ガス所属

スノーボード・アルペンの第一人者として長年に渡り活躍。
高校3年生だった2002年にソルトレイクシティオリンピックに出場、以後2022年北京まで、日本女子史上最多の6回連続でオリンピックに出場。2014年ソチではスノーボード日本女子初の表彰台となる銀メダルを獲得。