■ABAが誇る花形スター、ジュリアス・アービング

 オールスターウィークエンドの華であるスラムダンク・コンテスト、プレーオフなどで数々の劇的なシーンを生み出してきた3ポイントシュート。いずれも現在のNBAになくてはならないものだが、そのルーツはNBAではなく、1960〜70年代に9年間だけ存在したライバルリーグのABAにある。

 スラムダンク・コンテストは76年のABAオールスターで初めて開催され、3ポイントルールは、79年にNBAが採用するより11年も前の68年に、ABAが導入している。

 ABAは数多くの優れた選手もNBAに送り出した。なかでも別格の存在だったのが、ドクターJことジュリアス・アービングと、モーゼス・マローンである。ABA出身者でNBAのMVPを受賞しているのは、この2人だけだ。そしてその2人が初めてチームメイトとなったシーズンに、彼らはチャンピオンリングを獲得した。

 彼らは単に優れた選手だっただけではなく、プロバスケットボールの革命児だった。ケビン・ガーネットも、コビー・ブライアントも、そしてマイケル・ジョーダンさえも、彼らが切り拓いた道を辿ってきた。今のNBAの繁栄も、この2人がいなければあり得なかったのだ。
  ドクターJは、16年のプロ生活で通算3万26点を記録している。キャリア通算3万得点に到達したのは、ウィルト・チェンバレン、カリーム・アブドゥル・ジャバーに次いで史3人目(当時)であり、いかに優れたスコアラーだったかを物語っている。だがそれ以上に、ドクターJは史上稀に見るダンクマスターとして名を馳せた。彼のダンクは迫力、優雅さ、美しさのすべてにおいて、先達をはるかに凌駕するものであった。

 その秘訣は、驚異的な滞空時間の長さにある。「ジャンプした後、そのままダンクに行くか、あるいはオープンの選手にパスを出すか、私には決断する時間が十分あった」と自身が語っているように、彼は重力の法則に逆らうことができるかのようだった。

 ドクターJはマサチューセッツ大を2年で中退し、71年にABAのバージニア・スクワイアーズと契約。ボールを自在に操る大きな手や抜群のジャンプ力を生かし、シュート、リバウンド、ブロックと八面六臂の活躍を演じた。1年目から平均27.3点、15.7リバウンドの好成績を残したが、そのプレーが与えるインパクトの強烈さは、数字では測り切れなかった。 73年にニューヨーク(現ブルックリン)・ネッツに移籍し、同シーズンから3年連続でABAのリーグMVPを獲得。74年、76年とネッツを2度のABAチャンピオンに導き、前述のように初開催だった76年のABAオールスター・スラムダンク・コンテストでは、フリースローラインからジャンプして決めるレーンアップを成功させ、大喝采を浴びた。

 ドクターJは人格者としても知られ、スーバースターにありがちな自己中心的な態度とは無縁だった。名アナウンサーのマーブ・アルバートは、「ジュリアスはどんな試合でも一切手を抜かなかった。観客の誰もが、彼を目当てに来ていることを知っていたからだ。報道陣の質問にも、いつも最後まで残って答えてくれた」と感嘆を込めて回想している。

「ドク (ドクターJ) ほどコートの内外両面でプロバスケットボールに貢献した男はいない。ただの“フランチャイズビルダー”じゃない。彼はリーグそのものだったんだ」(ネッツのケビン・ロカリーHC)。
 ■高卒選手のパイオニア、モーゼス・マローン

 ドクターJがスクワイアーズで活躍していた頃、同じバージニアの地にとてつもない才能を持った高校生がいた。所属するピーターズバーグ高校を50連勝と2度の州チャンピオンに導いたその男こそ、モーゼス・マローンであった。

 少なくとも300を超える大学から勧誘され、その中からメリーランド大を選んだのだが、わずか2日登校しただけで、ABAのユタ・スターズから5年間300万ドルの契約をオファーされ入団。プロバスケットボール史上初めて、高校から直接プロ入りを果たした選手となった。マローンはKG、コビー、レブロン・ジェームズと続く高卒プロ選手の先駆者だったのだ。

 彼の最大の武器は、卓越したリバウンドカだった。身長はセンターとしては決して高くはなく、ジャンプ力も大してあったわけではないが、ビッグマン離れしたクイックネスがあり、なおかつボールへの執念は並外れていた。大学バスケットボール界の名物解説者ディック・バイタルは、マローンの高校時代をこう回想する。

「他の選手たちが昼食をとっている間も、モーゼスは1人でリバウンドとティップインの練習をしていた。なぜその練習をしているのか聞いたら、彼はこう答えたよ。『だって点を取るためには、まず最初にボールを手に入れなきゃいけないだろ?』」

 そんな猛練習の甲斐あって、ことオフェンシブ・リバウンドにおいてマローンは他の追随を許さないほどの存在になった。ボールに絡めば絡むほどファウルを受ける回数も増え、フリースローで得点を重ねる機会も多くなった。平均18.8点、14.6リバウンドと高卒選手とは思えないほどの好成績を残し、新人ながらオールスターにも選ばれた。
(後編に続く)

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2006年5月号掲載原稿に加筆・修正。