元NBA、ユーロリーグでは優勝&MVP!Bリーグ島根スサノオマジックに加入したエペ・ウドゥの波乱万丈キャリア<DUNKSHOOT>
12月24日、島根スサノオマジックは、NBAやヨーロッパの強豪クラブでプレーしたキャリアを持つ35歳のベテラン、エペ・ウドゥと2022−23シーズンの契約を結んだことを発表。ナイジェリア代表のビッグマンは、さっそくその日の信州ブレイブウォリアーズ戦に出場すると、約16分のプレータイムで7得点、3リバウンド、2ブロックをマーク。93−86での勝利に貢献した。
その後も年末にかけて5試合に出場し、得点こそ平均4.6と控えめながら、計11ブロックと存在感を発揮。約1年3か月ぶりの実戦、しかも未知のリーグでのプレーながら、さすがのショットブロッカーぶりを見せつけている。
ウドゥはベイラー大の4年生時には、1試合で10ブロックを叩き出すなど、 36試合で133ブロック(平均3.69本)を記録した、ビッグ12カンファレンスのベストブロッカーだった。常にブロックを狙うのではなく、シューターと勝負するタイミングを見極め、アングルに工夫を凝らすというのが彼のブロック習得法だったそうだが、実際にプレーを見ても、絶妙な間合いでジャンプするなど技巧派であることが窺える。
NBAデビューは2010年。その年のドラフトの全体6位でゴールデンステイト・ウォリアーズから指名を受けた。ちなみに、1年前の2009年のドラフトでウォリアーズが7位で指名したのがステフィン・カリーだ。1歳年下のカリーとは、オフでも仲睦まじいシーンをキャッチされている。
手首の負傷のためサマーリーグ、トレーニングキャンプともに参加できず、デビュー戦は12月と遅れをとったが、インサイドでの骨太なプレーで奮闘すると、シーズン終盤はスターターにも定着。初年度は平均17.8分のプレータイムで4.1点、1.48ブロックを記録した。8試合連続で2本以上のブロックを決めたルーキーは球団史上2人目で、コートにいた時の得失点差もプラスを記録するなど、チームへの貢献度は高く評価されていた。
しかし2年目の途中にアンドリュー・ボーガットとの交換でミルウォーキー・バックスにトレードされ、早くもNBAの洗礼を浴びる。バックスでは2年半、控えのビッグマンとして気を吐いたが、移籍後のロサンゼルス・クリッパーズで出番を失い、2015年夏、ウドゥはアメリカを飛び出してトルコに活路を求めることに。ここで彼は、熱狂的で知られる地元ファンから敬愛されるスターとなる。 ウドゥが加入した当時のフェネルバフチェは、NBA行きを見据えた若きエース、ボグダン・ボグダノビッチ(現アトランタ・ホークス)を中心に、欧州きっての名将ジェリコ・オブラドビッチを迎えた一大強化プロジェクトの上昇期にあった。
ウドゥの存在はディフェンスをより盤石にし、フェネルバフチェはそのシーズン、クラブ史上初めてファイナルに進出。オーバータイムにもつれる激闘の末、ロシアのCSKAモスクワに敗れたが、ウドゥはこの試合で16得点、11リバウンドのダブルダブルに加えて4ブロックという大活躍を見せた。
チームは翌年もファイナルの舞台にたどり着くと、今度はギリシャのオリンピアコスを破り、見事に欧州の頂点に立った。セミファイナルのレアル・マドリー戦で18得点、12リバウンド、8アシスト、2ブロック、そしてファイナルでは10得点、9リバウンドに加えて驚異の5ブロックをマークしたウドゥは、堂々のファイナル4MVPに選出された。
フェネルバフチェに在籍した2シーズンでいずれもユーロリーグのブロック王を獲得。16−17シーズンはリバウンドでも首位に立つなど、ヨーロッパを代表するディフェンダーにのし上がったウドゥだったが、NBAでキャリアを積み上げることが自分の道だと信じていた彼は、「入団後、1〜2月くらいまでは、自分が国外でプレーしているという状況を受け入れられなかった」と、複雑な思いをコートサイドインタビューでも語っていた。
しかしその後、「置かれた状況で最大限の成果を得よう!」と腹をくくって奮闘したことが、過去にトニー・クーコッチやマヌ・ジノビリらも戴冠したファイナル4MVPの栄誉へと、彼を導いたのだった。
そんなウドゥに地元のファンは魅了され、ホームゲームの後には数百人が出待ちするほどだったが、それはコート上での活躍だけでなく、彼がトルコの文化に関心を寄せ、学校を訪問しては現地の子どもたちと交流するなど、地域に密着していたからでもあった。
もともと読書好きで知られるウドゥは、現代トルコ建国の父と慕われる初代大統領アタテュルクに興味を持ち、文献を読み漁ったり博物館に足を運ぶなどして熱心に学んだという。そんな姿も、「彼は単なるアメリカから来た助っ人プレーヤーではない」と、トルコの人々の心を鷲掴みにした。 さらにウドゥがトルコで得たのは、タイトルや人気だけではなかった。
大学時代はリバウンドやブロックを得意とする傍ら、 ボールハンドリングにも優れ、ドリブルでのペネトレーションも得意とするゲームメイカーだった。ベイラー大ではアシスト数もチームで2番目に多く、ジャンプシュートの練習にも熱心に取り組み、26本中6本成功と多くはないが、3ポイントシュートも打っていた。
ベイラー大に転校する前に在籍していたミシガン大の恩師、トミー・アメイカーもこう証言している。
「彼は信じられないほどのバスケットボールIQを持っていて、パサーとしては過小評価されている。本当によくバスケットボールを知っていて、ゲームのニュアンスや細かいポイントを理解している子だったよ」
ところがNBAでの役割はゴール下で身体を張ることに限定され、本来の力を発揮できず。スターターに定着できないのはオフェンス力不足と指摘され、「ビッグマンがインサイドの仕事に特化していた10年前ならオールスター選手だった」とも言われた。
それがフェネルバフチェでは攻撃でも役割を与えられ、さらには選手の可能性を伸ばすことに重点を置くオブラドビッチHCの指導により、大学時代のようなオールラウンダーとしてのプレーも蘇ってきた。
「ゲームの細かい部分まで厳しく注意を配ることを求めるオブラドビッチHCの下で、より完成された選手になれる」と、ウドゥも欧州バスケットボールの専門サイト『Eurohoops』のインタビューで語っている。
ユーロリーグ優勝を置き土産に、惜しまれつつフェネルバフチェを退団したウドゥは17−18シーズン、ユタ・ジャズでNBAに復帰。2シーズンを戦った後の2019年には中国に渡り、その間ナイジェリア代表の一員として同年のワールドカップと2021年夏の東京五輪にも出場した。
21−22シーズンは再びヨーロッパに戻ってスペイン代表のセルヒオ・スカリオーロHC率いるイタリアのヴィルトゥス・ボローニャに加入したが、9月のスーパーカップで、フロアに貼られた広告のステッカーで足を滑らせて左ヒザの膝蓋腱損傷という大ケガを負い、その後のシーズンを全休することになってしまった。
翌年の1月中旬からようやくリハビリを始めたウドゥにとって、12月24日の信州戦は約15か月ぶりの公式戦出場だった。翌日に行なわれた試合では、19分のプレータイムで10リバウンドを奪取。大晦日の富山グラウジーズ戦では約13分で4ブロックを記録するなど、ウドゥ入団後の5試合で島根は5連勝と、いい波を引き寄せている。
神様が集まる国、島根の伝説や文化も、きっとウドゥの好奇心を刺激するに違いない。大きな飛躍を遂げたフェネルバフチェ時代と同様、スサノオマジックのファンとの間にも、特別な絆が築かれることを期待したい。
文●小川由紀子