NBA史上最もクリエイティブかつトリッキーなポイントガード(PG)の1人として、ジェイソン・ウィリアムズを記憶しているファンも多いだろう。キャリア序盤でサクラメント・キングスからメンフィス・グリズリーズへトレードされたが、本人いわくチームの判断は「正しかった」と回想している。

 ウィリアムズはヴィンス・カーター(5位指名/元トロント・ラプターズほか)やダーク・ノビツキー(9位指名/元ダラス・マーベリックス)、ポール・ピアース(10位指名/元ボストン・セルティックスほか)ら、のちのスーパースターが揃った1998年のドラフトで全体7位指名を受け、キングスでNBAキャリアをスタートさせた。

 現役生活12年間でオールスター選出歴はなく、通算成績は1万得点、5000アシストにも満たない。それでも、彼が記録(通算8266点、4611アシスト)以上に“記憶に残る選手”として認識されている所以は、ストリートバスケを彷彿とさせるボールハンドリングとテクニックだった。

 なかでも世界中に衝撃を与えたのが、2000年のオールスター・ウィークエンドに行なわれたルーキーチャレンジ(現ライジングスターズ)だ。この試合で披露した、ビハインド・ザ・バックパスと見せかけ右肘にボールを当て、逆方向の選手に送った伝説の“エルボーパス”は今でも語り草となっている。白人でありながら黒人カルチャーのストリートスタイルで魅了したことから、“ホワイト・チョコレート”というニックネームが付けられた。
  そんなウィリアムズは、キングスでの3年目のシーズンを終えた2001年6月、マイク・ビビー、ブレント・プライスとの交換でグリズリーズへトレードされた。当時のグリズリーズは1995年の創設から一度も勝ち越したシーズンがなく、いわば“左遷”的な移籍だった。

 元NBA選手のスティーブン・ジャクソンとマット・バーンズがホストを務める人気ポッドキャスト『All The Smoke』に出演したウィリアムズは、「最初はサクラメントを本気で離れたくなかったから、最悪の気分だった」と吐露している。

 もっとも、古巣のキングスがその後、熾烈なウエスタン・カンファレンスの中でも一目置かれる存在になった事実を冷静に受け止めているようだ。

「キングスは私をトレードして正解だった。ビビーとキングスには感謝している。私を放出することで、キングスはチームとして良くなったように見えたからね。ビビーがいることで、レイカーズに勝つチャンスは高まったんだ」 クリス・ウェバー、ブラデ・ディバッツ、ペジャ・ストヤコビッチ、ダグ・クリスティと実力派の揃ったキングスは、ビビー獲得初年度の2001−02シーズンにリーグトップかつ球団新記録の61勝をマーク。翌02−03シーズンも59勝(リーグ3位)、03−04シーズンも55勝(同5位)と強豪の地位を築いた。

 プレーオフでは01−02シーズンのカンファレンス決勝進出が最高だったが、シャキール・オニールとコビー・ブアイアント擁する王者レイカーズを3勝4敗(先に3勝2敗と王手をかけた)とあと一歩のところまで追い詰めた。当時の戦いは、今も名勝負として記憶されている。
  自身に代わる司令塔の加入で、強くなった古巣の決断を支持したウィリアムズ。グリズリーズ移籍後には、当時チームのバスケットボール部門社長だったジェリー・ウエストから、罰金&出場停止処分を受けたエピソードも明かした。

「『ホークスがリーグワーストのチーム? いや、俺たちがワーストチームだ』と言った時に、罰金を科された。彼(ウエスト)は私の発言が気に入らなかったんだ。(罰金のほかに)5試合くらい出場停止になった。あれは痛かったね」と、笑いながら当時を回想していた。

構成●ダンクシュート編集部