11月6日(日本時間7日、日付は以下同)。ロサンゼルス・レイカーズは敵地カセヤ・センターへ乗り込み、マイアミ・ヒートと対戦。今季アウェー初勝利を狙ったが、107−108で惜敗した。

 レイカーズは主力のジャレッド・ヴァンダービルト(かかと)、八村塁(脳震盪プロトコル)、ゲイブ・ヴィンセント(ヒザ)、ジャクソン・ヘイズ(足首)が欠場したことに加え、後半早々にアンソニー・デイビスが左股関節のけいれんによってベンチへ下がるなど、戦力ダウンを余儀なくされた。

 苦しい台所事情のなか、大黒柱のレブロン・ジェームズが古巣相手にゲームハイの30得点に4リバウンド、3アシスト、3ブロックとチームを牽引。豪快なダンクに迫力満点のチェイスダウンブロックを炸裂させるなど多くの見せ場を作った。

 レブロンは2010年夏にクリーブランド・キャバリアーズからヒートへ移籍し、ドラフト同期のドゥエイン・ウェイド、クリス・ボッシュとともに“スリーキングス”を結成。豪華戦力を揃えたチームは4年連続でNBAファイナルまで勝ち上がり、2012、13年に2連覇を成し遂げ、レブロンは2年連続MVPに選出された。

 レギュラーシーズンにおける平均出場時間(38.0)と得点(26.9)でヒートの球団記録を保持するレブロンは、マイアミ時代を次のように振り返った。
 「ここに来ていても来ていなくても、俺は今もこのレベルでいることができたと思う…。誤解しないでくれよ。ここで過ごした4年間は素晴らしかった。そのすべてを気に入っている。この組織を愛していたし、ここは最高ランクの組織で、世界中で見てもベストなフランチャイズのひとつだ」

 1度目のキャブズ在籍時(2003〜10)に圧倒的な個人スタッツを残しながら、なかなか優勝には手が届かずにいたレブロンにとって、ヒートはいわば“真のキング”となった球団。本人も2010年にヒートへ移籍した唯一の理由は、チャンピオンシップを勝ち獲るためだったと語る。

「それが俺にとって唯一のゴールだった。そのためにウェイド、ボッシュとチームを組んだんだ。クリーブランドではそれができないと感じていた。俺はクリーブランドに(有力な選手たちを)リクルートしようとトライしたができなかったんだ。だからフリーエージェント(FA)になる機会を手にし、ベストなことを考えた。自分のキャリアだけでなく、俺にとってその時点におけるベストなことをね」

 レブロンが2010年以降もキャブズに在籍していれば、優勝を飾ることができたかもしれない。ただ、毎年ファイナルへ進出することはさすがに難しかっただろう。

 故郷の球団を見捨てヒートへ移籍した当時は周囲から厳しいバッシングを浴び、悪役扱いされることもあった。だが以前にレブロンが「大学時代のようなもの」とヒート時代を回想していたとおり、彼にとってフロリダで過ごした4シーズンはキャリアのターニングポイントとなったに違いない。

文●秋山裕之(フリーライター)

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