テニスシューズとウェアを必ず同ブランドにする……我々一般愛好家は、よほどそのブランドを好きでもない限り、そんな選び方はしませんよね。たいがいブランドにこだわらず、それぞれ自分にとってベストな物を選んでいるでしょうし、それでいいんです。

 でも今日のプロのほとんどは「ウェアとシューズは同ブランド」で着用しています。なぜそんなしきたりがあるのでしょう?

 彼らだって、元々はウェア&シューズの選択は全く自由でした。1980年前後に「動く広告塔」と言われたビヨン・ボルグは、ラケットはドネー、ウェアはフィラ、シューズはディアドラと別々の契約。なぜなら、現代のような「総合テニスブランド」というのがまだなく、ラケットもシューズもウェアも、それぞれが専門的ブランドだったからです。

 テニス道具でカブって販売していたのはダンロップとウイルソン、スラセンジャーの「ラケット&ボール」くらいだったでしょうか。でもテニスが人気スポーツとなり、世界的に報道されるようになった時、選手と契約しているメーカーがその報道を利用して、もっとアピールすることを考えたのです。
  プロが使うテニス道具の中で、最も注目されるのがラケットです。でも、遠目にはどこのラケットを使っているかわからないため、ストリングにブランドのマークを入れて宣伝する「ステンシルマーク作戦」が大成功して、ブランドへの注目度がグッと高まります。

 一方、テニスシューズは日の目を見ません。新聞や雑誌で報道される写真は、上半身だけや、良くてもヒザくらいまでしか写っておらず、シューズが報道写真に載ることなどほとんどなかったのです。

 昔のテニスシューズには、これといったブランドマークは記されていませんでした。これに最も早く対処したのはアディダスの「3本ライン」ですが、試合会場では注目を集めたものの、それを報道写真ではアピールできない……。

 そこでアディダスは「シューズが見えなくてもウェアは必ず写るだろう。ならばシューズ契約とウェア契約をセットにしてはどうか?」と、当時のスター選手だったスタン・スミスに、3本ラインの入ったウェアを着せたのです。これが大成功し、アディダスはシューズ&アパレルのブランドへと躍進します。
  80年代後半には、テニス、バスケット、ランニングシューズで大ブレークしたナイキも、アパレル産業に参入。その最初のメインキャラクターがジョン・マッケンローです。

 その後、こうしたケースが増えますが、プロ選手にとってつらかったのが、逆パターンである「ウェアブランドがシューズも販売」という状況です。満足なシューズ契約をしていた選手が、性能的にハイレベルではないアパレルブランドのシューズを履かなければならないこともありました。苦しんだ選手が、ブランドマークだけ貼り付けて使ったりしていたのも事実です。

 ウッドからカーボン製ラケットへの移行期、日本ブランドも世代交代を迎えます。ヨネックスはビリー・ジーン・キング、マルチナ・ナブラチロワとラケット使用契約を結び、世界進出を果たします。

 リサ・ボンダーやメリー・ジョー・フェルナンデスと契約していたミズノは、90年にイワン・レンドルと契約を交わし、彼を「フル・ミズノ化」。ヨネックスはレイトン・ヒューイットとフル契約です。
  今日では、ラケットはないものの、アシックスが世界的に有名です(以前はラケットも製造)。サマンサ・ストサーは無契約で購入してまで履き続け、契約後は開発にも深く関与しました。またガエル・モンフィスはアシックスのウェア&シューズで、その高性能を世界にアピールするのに貢献しました。

 ミズノもヨネックスも「ラケットメーカー」から「総合テニスブランド」に発展。アシックスはアディダスやナイキがそうであったように、シューズメーカーからウェアへも参入したブランド。日本は頑張りました。

 ところが昨今は、逆現象もちらほら。「シューズ&ウェア」は切り離せない絶対条件だったものが、ジョコビッチや錦織、フェデラーなど、アパレルブランドと契約して、シューズ契約と切り離しました。

 ただそれは彼らがトップであるからこそ許されたこと。下位選手ではほぼ許されず、シューズ契約にウェア着用義務が付帯するのです。この状況が変わることはないように思います。

文●松尾高司(KAI project)
※『スマッシュ』2022年3月号より抜粋・再編集

【PHOTO】ボルグ、ナブラチロワら、テニス人気向上に貢献した1980年代のプレーヤーたち

【PHOTO】気迫あふれるプレーと可憐な容姿でコートを彩るA・ポタポワのオンコートファッション!

【PHOTO】試合を離れた時の服装は? なかなか見られないトッププロの練習やテニス教室の様子