シカゴ・ブルズで2度の3連覇を達成したバスケットボールの“神様”マイケル・ジョーダンは、歴代1位のキャリア平均30.1点を誇り、生粋のスコアリングマシンとして知られた。1988年に最優秀守備選手賞を受賞したようにディフェンスにも定評があったが、それは相棒であるスコッティ・ピッペンのおかげだと元NBA選手のギルバート・アリナスは持論を展開している。

 84年のドラフト全体3位指名でNBA入りしたジョーダンは、1年目からブルズのエースに。86年のプレーオフではラリー・バード擁するボストン・セルティックス相手に1試合63得点を記録。1986−87シーズンからは7年連続得点王、それもすべて平均30点以上を叩き出し、91〜93年にはピッペンとの強力デュオで3連覇を成し遂げた。

 最初の現役引退を経て、95年3月に電撃復帰。1996〜98年にはピッペン、デニス・ロッドマンとの三銃士で再び3連覇を達成し、ブルズの黄金期を支えた。その後、2001〜03年にはワシントン・ウィザーズで2度目の現役復帰を果たし2シーズンプレー。NBAでは通算1072試合に出場して歴代5位の通算3万2292得点をマークしている。

 そんなジョーダンは、87−88シーズンから最初の引退まで6年連続でオールディフェンシブ1stチームに選出。スティール王にも3回(88、90、93年)輝き、87−88シーズンは史上初となるMVPと最優秀守備選手賞の同時受賞も果たした。

 しかし、アリナスは自身がホスト役を務めるポッドキャスト番組『Gil's Arena』で、ジョーダンのディフェンスは相棒であるピッペンがいたことによる“副産物”だったと語る。
 「マイク(ジョーダン)が初めてオールディフェンシブチームに入った時のことを考えてほしい。スコッティ(ピッペン)が試合に出るようになった年(87−88シーズン)だ。スコッティが加入するまで、マイクはディフェンシブプレーヤーだとは思われていなかった。彼とスコッティは全く同じことができた。スコッティに『俺についてこい』と言うこともできたし、スコッティがボールを持っている時はすべてのサポートを得ることができた。2人は素晴らしいシステムを持っていたんだ」

 アリナスは、1990年代前半にブルズとライバル関係にあったニューヨーク・ニックスで火花を散らしたガードのジョン・スタークスの名前を出し、現代よりも守備がしやすかったとの持論を展開する。

「ジョン・スタークスはドリブルをしない。スタークスがポンプフェイクを入れても、マイクは引っかからない。ジョーダンが現代でプレーしていたら、サンズ戦では(デビン・ブッカーやブラッドリー・ビール、ケビン・デュラントではなく)グレイソン・アレンのマークにつくだろう。ロン・ハーパーがビールだ」

 黄金時代のブルズは、エースストッパー役のタスクはピッペンが担当することが多かった。ジョーダンはスティールを狙い、ファーストブレイクからのダンクなどハイライトになるプレーを生み出す余裕があったとも言える。身体能力の高さを生かしたジョーダンの守備力はもちろん評価されてしかるべきだが、それも“ピッペン効果”だとアリナスは考えているようだ。

構成●ダンクシュート編集部

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