1992年のバルセロナ五輪でアメリカ代表は金メダルを獲得し、世界大会での覇権を奪還した。同大会で初めてプロ選手を派遣することになり、マイケル・ジョーダンやマジック・ジョンソン、ラリー・バードら当時のスーパースターが集結。通称“ドリームチーム”は大きな注目を集めたが、決勝で対戦したクロアチア出身の元NBA選手トニー・クーコッチは、自分たちもそれに匹敵する強さだったと主張している。

 アメリカは90年の世界選手権(現ワールドカップ)に大学選抜チームを送り込んだが、準決勝でユーゴスラビアに敗れ、さらには91年のパンアメリカン大会ではプエルトリコにまで敗北。88年ソウル五輪の銅メダルから始まった失態の連続を受け、92年のバルセロナ五輪にNBAが誇る精鋭たちを送り込んだ。

 その顔ぶれはジョーダン、マジック、バード、チャールズ・バークレー、クライド・ドレクスラー、パトリック・ユーイング、クリス・マリン、スコッティ・ピッペン、デイビッド・ロビンソン、カール・マローン、ジョン・ストックトン、クリスチャン・レイトナーの12人。当時唯一の大学生だったレイトナーを除く11人がのちの殿堂入りを果たす実力者たちだ。

 初戦でアンゴラ相手に116−48で大勝すると、その後はユーゴスラビアから分離して以来独立国家として初参加となったクロアチアに103−70とやや手を焼いた以外は、ドイツ(111−68)、ブラジル(127−83)、スペイン(122−81)、プエルトリコ(115−77)を大差で下して決勝トーナメントに進出。準決勝でリトアニアを127−76で圧倒すると、再びクロアチアとの対戦となった決勝では前半に一時リードを許したものの、最終的に117−85と勝利して金メダルを獲得した。
  クロアチア代表の一員として、ドラゼン・ペトロビッチ、ディノ・ラジャらとともにドリームチームに立ち向かい、その後シカゴ・ブルズでジョーダン&ピッペンとともにリーグ3連覇を経験したクーコッチは、セルビアの首都ベオグラードで行なわれた自身を描いたドキュメンタリー映画『Magic Week』のプレゼンテーションで当時を回想した。

「我々は世界選手権で何度か支配的な強さを見せた。世界選手権とオリンピックは、アメリカ、ロシア、そして私たち(ユーゴスラビア/クロアチア)が中心だった。それ以外の国は存在しなかった。アメリカはロシアや私たちに恥をかかされたから、バルセロナ(五輪)でドリームチームが作られた。彼らに勝つことができなかったのは残念だ。

 何度も言っているけど、史上最高のバスケットボールのひとつだと思う。ドリームチームはみんな素晴らしい選手であり、殿堂入りを果たしている。バランスが取れていて、チャンスもあった。

 のちにセルビアやスペイン、アルゼンチンに敗れて、アメリカは“神”ではないことが判明することになる。私たちは8人か9人がNBAでプレーしていた。みんな仲が良くて、お互いのことをよく知っていた。世界選手権(1990年)と欧州選手権で2度(
89年、91年)優勝、しかも難なく勝つことができた。決勝では20点、30点差で勝ってる。ドリームチームが他国に勝ったのと同じだ。見ていていいゲームだったと思う」

 結果は銀メダルだったが、“神話的存在”のスーパースター軍団相手に渡り合ったとクーコッチは自負していた。

構成●ダンクシュート編集部

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