終戦間際の1945年7月25日昼前、大分県の南東部に浮かぶ保戸島(ほとじま・同県津久見市)の国民学校(現在の小学校)が米軍機の空襲を受け、授業を受けていた児童や教員ら127人が死亡した。あれから72年。当時と同じ敷地にある保戸島小学校・中学校には早朝から多く住民や、現役の児童・生徒が訪れ校内にある慰霊碑を清掃し、“先輩”らを供養した。

早朝から慰霊碑に頭下げ

校舎には、早朝から一人また一人と住民が訪れた。午前8時過ぎ、慰霊碑に向かって頭を下げ、線香をあげている女性がいた。三浦たず子さん(83)。空襲時に6年生として在学していたという。学校近くに立ち寄る際には必ず慰霊碑に向かう。

「あんなに青空でいい天気の日はその後もないね」と振り返る三浦さん。被害が激しかったのは1年生と5年生が使っていた校舎。6年生のいた建物は比較的被害が少なかったため、空襲後の遺体の搬送を手伝ったという。空襲と機銃掃射は激しく、男女の識別すらできない遺体が校庭や敷地内に無数にあった。「みんなで骨を拾ったのよ。誰だか分かる人もいましたが、分からないことが多かったですね」

「もう空襲を知る人も少なくなりました。学校へ来ても、ここ(慰霊碑)には誰も来ません」。三浦さんは、島で起きた惨事の風化を嘆いた。

 

全校生徒6人が清掃 「忘れない」

一方、空襲被害を次の世代に受け継ごうと、同小・中学校では児童・生徒らが毎月25日、慰霊碑の清掃を行っている。この日も全児童・生徒6人が各々、タオルなどで碑を拭き、72年前に亡くなった先輩たちに思いをはせた。続いて、教員や訪れた住民らと共に黙祷をささげ、生徒代表が慰霊碑のたもとに千羽鶴と花束を手向けた。

6人はその後、島の中心部にある海徳寺(かいとくじ)で行われた法要に参加。2015年、戦後70年を機に児童・生徒や保護者が保戸島空襲を語り継ぐために知恵を出し合って作った合唱曲『あの日を忘れない』を、集まった約80人を前に歌った。

最年少の小学3年生、神崎智也さん(9)は小学校に入学してから初めて空襲について知ったという。「お父さん、お母さんからも聞いたことがなかった。127人が死んだと知って怖いと思った。(空襲を)忘れないためにも『あの日を忘れない』を歌い続けていきたい」と話した。

同小中学校の梶原俊幸校長(57)は、「(何もしなければ)忘れていってしまう。毎月命日に慰霊碑の掃除をしてもらうことで先輩たちが犠牲になったということを受け止めてもらいたい」と語った。