社会派サスペンス作家、松本清張はフィクションを描く際にも、綿密な取材活動を行いました。創作によりリアリティーを持たせる効果を狙う目的もあったと思いますが、じつは清張自身が何らかの秘密を探るための調査でもあったとも言われています。フィクションを前面に押し出しつつも、ある不正の実態を暴くという清張ならではの手法で描かれた作品をノートルダム清心女子大学文学部・教授 綾目広治さんが解説します。

小説家が知人の謎の死を追うラオスを舞台にしたサスペンス『像の白い脚』

 『別冊文藝春秋』に連載された『象の白い脚』(1969年8月-1970年8月)は、タイのバンコクから飛び立ったラオスのビエンチャン行きの飛行機の中から物語が始まる。その飛行機には、主人公で作家の谷口爾郎(じろう)が乗っていた。当時、ラオスは左派勢力のパテト・ラオ(ラオス愛国戦線)と、ラオスの左傾化を阻止しようとする米国政府の支援を受けたラオス王国政府軍との内戦下にあった。そのラオス王国政府軍の内部も、中央軍管区の中立派と南部の極右派とが対立していた。

 1969年と言えば、ベトナム戦争が最も激しかったときで、米国はベトナム戦争遂行のため戦略上の地点にあるラオスを押さえておく必要から、ラオス王国に多額の援助を行っていた。また米空軍は、南ベトナム民族解放戦線などへの補給ルートであった、いわゆるホーチミン・ルートを破壊するために、ラオスへの激しい空爆を行っていた。1969年にラオスに投下された爆弾量は、第2次大戦中にナチス占領下の欧州に投下された年間投下量よりも多かったとされている。そのラオス空爆で犠牲になったラオス人は、ラオス全人口の約1割の30数万人だったと言われている。物語は以下のように展開する。

 ――そうした激戦下のラオスの首都に谷口は降り立ったのである。谷口は原稿の取材目的と観光のためにビエンチャンに来たことになっていたが、それは表向きの理由であり、実は知人の編集者であった石田伸一の怪死事件の真相を探ることが目的であった。石田は昨年の9月14日にビエンチャンに到着し2週間後の10月2日に後頭部を鈍器のようなもので殴られ、人事不省になったところを川に放り込まれて水死したらしいのである。石田の怪死事件は彼が探っていた、ラオスにおけるアヘン密売と関わりがあったのではないか、と谷口は推測していた。

 その後、谷口はビエンチャンで書店を営んでいる日本人女性やその支配人の男性に近づき、アヘン密売の真相に迫っていくうちに、アヘン密売には米国中央情報局(CIA)が関与しているらしいこと、そして石田もそのことに気づいていたということもわかってくる。しかし谷口も、半死の状態でメコン川に浮いていたところを発見される。谷口は蘇生したのだが、その「精神は狂っていた」。 ただ、谷口は友人の新聞記者へ宛てた最後の手紙を書き残していた。――