戦後、日本のビルは精巧緻密なデザインと建築技術で進化しました。その高度成長時代を支えたのが、戦時中、飛行機の設計などに携わり、建築へと流れ込んだ技術者魂だといいます。

 建築家で、多数の建築と文学に関する著書でも知られる名古屋工業大学名誉教授、若山滋さんが、日本人が技術と真剣に向き合い、「工業化」を追求して生まれた建築の名作パレスサイドビルとその時代を取り上げます。

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内堀通りのオフィスビル

 皇居を取り巻く内堀通りの周辺は、日本でも相当にプレステージの高い場所で、少し離れた国会議事堂あたりから東京駅あたりまでに、英国大使館、国立劇場、最高裁判所、警視庁、帝国ホテル、帝国劇場、第一生命ビル(GHQつまり占領中の政庁として使われた)、経団連会館、消防庁、気象庁といった建物が並んでいる。歩いてみれば、お堀の水と皇居の緑が潤いを与え、東京湾につながる風の道でもある。要するに日本の一等地だ。

 その外側、北西には靖国神社、南西には霞が関の官庁街、東には三菱地所が広大な土地を所有して高層ビルが林立する。日本の権力が天皇を中心に構成されていることを改めて感じざるをえない。

 今回は、これまでに取り上げた丹下健三や伊東豊雄の作品のように強い表現力をもつ建築ではなく、一般の人にはあまり馴染みのない「プロ好みの名作」を取り上げたい。竹橋近く、内堀通りと首都高速に挟まれるように建つパレスサイドビルである。建築関係者以外には、毎日新聞本社といった方がとおりがいいかもしれない。

 かつてこの欄でも取り上げたアントニン・レーモンドの設計によるリーダーズ・ダイジェストの本社が建っていた場所に、日建設計の林昌二グループの設計によって建てられ、1966年に竣工したオフィスビルである。

 一見、普通のビルであるが、よく見ると、白っぽい二つの円筒形の塔と、黒っぽい長いオフィス棟が巴型に配置され、ある種の調和が感じられる。二つの円筒形は、その中にエレベーター、階段、トイレを結集させた「コア(核)」であり、オフィス棟は、どのような使い方にも応じられるオープンな「ユニバーサル・スペース(普遍空間)」として設計されている。オフィス棟のファサード(立面)は、大きなガラス壁の外側に庇と雨樋が組み合わせられた繊細な構成で、巨大な建築であるにもかかわらず、他の高層ビルのような単調性と閉鎖性による圧迫感を与えない。