現在は日本のアニメや漫画などのポップカルチャーが世界中からの人気を集めています。クールジャパンと讃えられるように、日本にはどこか独特な風習や文化などがあり、外国人を驚かせてきました。

 時代をさかのぼってみると、武士の「ハラキリ」(切腹)などは、外国人にとっては考えられないような風習の代表格です。そんな日本人の謎めいた行動や精神を幕末から明治中期頃までの外国人たちはどのように受け止めていたのでしょうか? 一枚の「ハラキリ」写真から垣間見る武士は恐ろしい存在なのか? はたまた憧れの存在なのか? 大阪学院大学経済学部教授 森田健司さんが解説します。

死を恐れない日本の武士

 ハラキリ、フジヤマ、ゲイシャ。ネットで手軽に情報が入手できるようになった今の時代、そのようなイメージで日本を語る外国人はほとんどいないことだろう。しかし、幕末の開国から長らく、初めに挙げた三つの事柄は、日本という国の「おおまかなイメージ」として海外で確かに流布していた。

 中でもハラキリ、つまり切腹は、日本文化の最もエキセントリックな部分として注目を浴びることが多かった。初めに掲げた彩色写真は明治中期に撮られたものだが、「役者が演じる切腹」が日本土産として買われていた背景には、そのような事情がある。

 日本の武士は死を恐れることなく、場合によっては自ら腹を裂いて死ぬらしい――この話は、実は開国よりずっと前から海外ではよく知られていた。

 マシュー・C・ペリー提督は、黒船を率いて出発する前に、徹底的に日本のことを調べ上げている。その際に読まれたものの一つに、英国の地誌学者であるチャールズ・マクファーレンが書いた本があった。そこには、次のような記述がある。

 「彼らは武士であることに強い誇りを持っていて、侮辱に対しては毅然として決闘に訴える。ときには侮辱されるよりも腹を切って死ぬことも選ぶ。もしこれが本当なら、日本の兵士は強力で激しく戦うだろう」
         ― マックファーレン著、渡辺惣樹訳『日本1852』(草思社)

 この本が出版されたのは、ペリーが日本に向かう4カ月前、1852(嘉永5)年夏のことである。マクファーレンは日本に来たことがなかったが、主に長崎のオランダ商館に勤務した人々が著した書を参考として、このように切腹について記した。

 ペリーは日本と戦争をするつもりが一切なかったものの、交渉に失敗して諍いが起きる可能性は考慮していた。だが、できれば武力衝突は避けたかったようである。その大きな理由は、「死を恐れない武士」が厄介な存在だと知っていたことである。マクファーレンは、こうも書いている。

 「米国が侵攻した場合、まずこの国(筆者注:日本のこと)は敗れるに違いない。米国の兵隊は、かつてメキシコに進軍したときのようにこの国を打ち負かすだろう。ただ、その過程でどれだけの死者が出るかは想像さえつかない」
         ― 前掲同書

 最後の一文の不気味な響きは、ペリーの行動を大きく抑制させるものとなったことだろう。