夕暮れの時の居酒屋に集まる、カジュアルな服装の男女。男性は30〜40代くらい、女性は男性よりやや若く、皆、個性的でかわいい。なんの変哲もない居酒屋の風景に見えるが、話の内容は、映画について。演出の話、撮影、機材、資金調達とかなりマニアック。

 今日初めて会う人々も少なくないようで、自己紹介的な挨拶も交わされている。そう、彼らの多くは映画監督の卵で、ルックスのいい男女は俳優の卵。都心からほど近く、最寄駅からはやや遠い、埼玉県川口市SKIPシティで7月15日から23日まで開催されたSKIPシティ国際Dシネマ映画祭に応募し、ノミネートされた映画の関係者なのだ。いつもは落ち着いたSKIPシティ内の居酒屋だが、映画祭会期中はほぼ毎日、こんな風景が繰り広げられ、普段とは打って変わったにぎわいを見せていた。

映画祭の持つ役割

 映画祭には大きく2つの役割がある。

 役割のひとつは観客のためのもの。あらゆる場所で、多くの人が、多様な映画体験ができるよう、日本全国、いや世界の様々な場所で開催される。

 もうひとつは作り手のためのもの。上映(=発表)の場である映画祭は、若手映画監督の育成においてもまた最適な場所だ。“映画は人が観て初めて完成する芸術”とよく言われる。でも、観ただけでは成立しない。そこに観たことの対価がなければ。経済の後ろ盾なしに成立する芸術はない。映画作家と経済的背景を結びつけるのも映画祭の役割のひとつなのだ。

 ただ日本の映画祭の成立の仕方を見ると、ほとんどの場合、そのどちらでもなく、町おこし的な発想から始まっている。いや、スタートアップは予算を持つところの発想でいいのだが、継続させるには、それをやる“意味”と“資金”の両方が必要になる。この2つは、意味があるから予算が付き、予算が付くから意味がより強固なものになっていくというインタラクティブな両輪だ。日本には現在、150を越える映画祭が存在する。でも映画祭を継続させるのは難しく、開催数が10回を超えるのはわずかなのだ。