メキシコ1部リーグの強豪パチューカへ電撃移籍した日本代表FW本田圭佑(31)の背番号が、Jリーグではお目にかかれない「02」に決まったことがサプライズを与えている。

 Jリーグの背番号は「1」をGK、「2」から「11」までをフィールドプレーヤー、「12」以降を残りの選手がつけると定められていて、原則として上限は「50」となっている。

 対照的にメキシコリーグには背番号に関する取り決めがほとんどなく、なかには3桁でプレーする選手もいる。下部組織のすべての選手たちを含めて通し番号をつけていくためで、「300番台」がピッチで躍動する光景も珍しくない。

 そのなかでもパチューカは、一桁の背番号に限って十の位に「0」をつけることを伝統としてきた。つまり、他のチームでは「2」にあたる背番号を、本田は自らの意思で選択したわけだ。

 サッカー界に背番号が導入されたのは、20世紀の初頭とされる。当時は「2‐3‐5」のVフォーメーションが主流で、背番号も最後尾のGKが「1」、2人で組むフルバックが右から「2」と「3」、3人で組むハーフバックが右から「4」――といった具合に、前線へ行くに従って大きくなっていった。

 これが世界各国に広まっていく過程でさまざまな形に変化し、1990年代に入って選手それぞれが好みの番号をもつ固定背番号制が導入され始めても、Vフォーメーションの名残もあって「2」は最終ラインの一番右、つまり右サイドバックが背負うことが多かった。

 たとえばブラジル代表の右サイドバックとして一時代を築いたジョルジーニョは、1988年のソウル五輪、1990年のW杯イタリア大会、そして優勝した1994年の同アメリカ大会と常に「2」を背負ってきた。

 1995シーズンに移籍した鹿島アントラーズでも然り。Jリーグが固定背番号制となった1997シーズン以降を含めて背負った「2」は、日本代表がW杯初出場を決めたときの右サイドバック・名良橋晃を経て内田篤人(現シャルケ)に受け継がれ、後継者を待つという理由でいまでは空き番となっている。
 また、ブラジル代表における右サイドバックと背番号「2」の後継者となったカフーは、1990年にデビューしたサンパウロを皮切りにローマ、そしてACミランで引退する2007‐08シーズンまで一貫して「2」を背負っている。

 現時点における世界最高の右サイドバックの一人、ブラジル代表のダニエウ・アウベス(パリSG)も、バルセロナに加入した2008‐09シーズンから5年間は「2」をつけている。こうした歴史をもつ「2」を本田がパチューカで選ぶのでは、という声が契約直後から少なからずあった。

 理由は約5年前の“一件”に起因する。右日半月板の損傷による長期離脱から、ザックジャパンに復帰した2012年5月。岡田ジャパン時代から背負ってきた「18」を変えようと、本田は水面下でチームメイトたちに打診していたことを明かしている。