超変革を掲げた“金本阪神”は「同じ力なら若手を使う」と宣言し若手起用を優先した。
「1年間、2軍で先発で使ってもらい抑えていました。やれるんじゃないか、という気持ちもありました。でも結果を残しても評価されませんでした。上では先発ができませんでした」
 ファームで安定した結果を残しながら榎田にお呼びがかかることはなく、親しい知人からは、「なんで上がれないの?」と、いつも聞かれるが答えに困り「すいません」と言うしかなかった。

 昨季後半についに先発チャンスがあった。当時の掛布2軍監督が「勝負するなら榎田」と金本監督へ推薦したのだ。激しいCS争いの最中で勝利を欲していたチームは、榎田を選んだが、日ハムをリリースされたメンドーサを電撃獲得したことで事情が変わり榎田の先発は幻に終わった。
 もどかしさを抱えながら2017年のシーズンが終わる。ドラフト同期で残った投手は一人だけ。来年ダメなら次に戦力外通告を受けるのは自分の番……。

「今年が最後になるかもしれないと思いました。それならば、オフにもう一度、自分を見つめ直して、色んなことをやってみて、それがダメなら“これだけやったんだから”と、あきらめもつくと。年も年。阪神は若い選手を使うことが多いですから上の年齢の選手は、1軍で結果を残していないとクビを切られます。そういう覚悟はありました」
 その悲壮な覚悟は行動へと変わる。昨秋から榎田は8年目の新しいチャレンジを始めた。

 矢野新2軍監督に紹介された専門家に知恵を借り特製のマウスピースを作って試したりもした。大きな転機となったのは東京ガス時代の同期である楽天の美馬学(31)と共に行っている合同自主トレ。3日間訪れた投球動作解析に詳しい先生のアドバイスだった。

「今までは軸足にしっかりと乗せて投げていく形を意識していたんです。当然、軸足回転になりロスが生まれる。逆に先生のアドバイスで踏み込んだ右足で回転することを意識するようにしました。そうすることでバッターに近くなる。右半身で回るイメージです。後ろ(テイクバック)も大きく取らず、体が前へ出て極端に言えば、肘が下がり腕が上がってこないのに、そのまま投げにいくくらいの気持ちです。打者に向かっていく形ですね。それが僕の中ではまったんです。この形で投げると球速がなくとも打者が差し込まれる。後ろ(テイクバック)が小さくて打者の近くでボールをリリースすることになるんです」
 大胆なフォーム改造に手をつけた。
「元々、ボールに角度のあるピッチャーじゃないので、色々と悩んでいた。でも、左ピッチャーで角度のあるピッチャーはほとんどいないんです。考えてみれば、ルーキーの頃は、この形でした。これならいけるんじゃないか、という手ごたえがありました」
 ルーキーの頃、ベテランの下柳剛氏にこんなアドバイスをもらったことがある。
「おまえはボールに角度がない、真っ直ぐもない。低めのキレで勝負するピッチャーだからな」
 ドラフト1位で入団した1年目には貴重な左のセットアッパーとして数字を残した。「その頃の形に今は類似しているんです」。フォーム改造は成功した。だが、それを評価する声は、阪神の中にはなかった。
 ドラフト2位の左腕、高橋遥人や2年目の才木浩人ら若い人ばかりに目が向けられた。