水の人/小林私「私事ですが、」
水が好きだ。無味で無臭で透明で、それでいて確かにそこに存在する。
例えばホットコーヒー、カップのふちの深いブラウンが囲う中心に目をやれば黒い塊のように見え、一口飲んでみればまず熱さ、それから苦さと豆の味や酸味、それから鼻に香りが残る。存在を感じる。色や香りや味や温度はそのものの確かさをより確からしくさせる。水にはそれがない。
蛇口を捻って出てくる水道水を手で浴びると、初めこそ冷たくそれらしさを感じもするが、次第に体温との区別がなくなって、溶けあっていくような錯覚に陥る。体温に近い湯に体を沈めれば宙に浮いたような感覚を覚える。
あるようなないような、そも液体は容れ物がなければひたすら取り留めのないものなのだ。
地下鉄を降りて階段をのぼると、外は土砂降りだった。
傘はなく、もし鞄に忍ばせた折り畳み傘を差しても無意味に思える程の激しさをもった雨粒がある。コンビニに寄ってビニール傘を買おうか、いやそれまでの道でかなり濡れてしまいそうだ。もうどうにでもなれ、とそのまま歩き出した。視界に入る前髪が太い線に、スーツの色はますます濃くなり、革靴の底からぐじゅと嫌な音がし始めた。
こうなれば今更まともな傘を差し出されても困る。奪う熱のなくなった体を雨水が通り過ぎていくだけの往路だ。
俺は水なのかもしれない。
そう思うと少し気が楽になった。今の俺はずぶ濡れで哀愁漂う惨めなサラリーマンに見えるかもしれない。しかしそれは勘違いで思い込みだ。
海や川や湖を見て「濡れてるね」と言う人はいない。確かに海や湖や川は水でまみれていて、地表がびしょびしょに濡れていると言えるかもしれない。しかし、誰もそう思わない。それと同じだ。俺は確かに濡れているが、濡れているだけなのだ。
水滴だらけの入館証を読み取らせるのに手間取り、扉の向こうにいた数人から怪訝そうな視線を感じた。間抜けめ。濡れているからなんだというのだ。呼び止められようものならそう返してやろうと思っていたが予想は外れた。遠巻きにひそひそ話して、俺が横を通るとその声をさらに潜めただけだった。
担当部署があるのは三階で、エレベーターもあるが、俺は少し腹が出てきているから最近は階段を使っている。濡れた靴底がキュッキュと音を鳴らしている。転ばないように気を付けながら、転ばないように気を付けなければならない意味も考えていた。
転んで、どうなる。この歳で転ぶのは少し恥ずかしい、だからなんなのだ。恥ずかしいだけだ。怪我をするかもしれない、運が悪ければ死んでしまうかもしれない。だとて、なんだ。痛いだけで、死ぬだけだ。
「おはようございます」
同僚や後輩や上司が、いつもの通り挨拶を返そうとしてこちらを見て、一様にギョッとした顔になる。集団というのは不思議だ。普段はばらばらに生きているのに、どうしたことかとみな顔色を窺いあっている。間があり、誰かが小さい声で「おはようございます」と返した。
その一滴が波紋を広げ、この集団の結論が決まる。そうしてみな元のばらばらな人間に戻っていった。この時に誰かが「濡れてるね」と一声でもかければ、俺はきっと無性に恥ずかしくなっていただろう。しかし、そうはならなかった。
帰りの時間になってもまだ雨は止まない。少しだけ乾いた背広を羽織って帰路につく。歩いていると再び雨粒が俺の体温を奪い始める。今まではその冷たさにムッとしていたような気もするが、今はただ己がまた水になっていく感覚が心地良い。
俺は水だ。
雨は靴を溶かし、指の隙間を埋めていく。アスファルトと足裏の間に根が張ったような気がしていたら、脚はもう太い二本の根っこだった。たまらず俺は膝をつくとまた根が張った。手は五本の根っこになり、また太い二本になる。そこに硬さはなく、俺は一つの柔らかな塊になって、地面と同化する。
背中だったような場所にしきりに雨粒があたってしぶきをあげているから、俺の背は常に棘だらけで、常に平らだ。
容れ物を失くした液体はどこまでも留まらない。俺のようなものは地面のようなものを伝って、気付くと川のようなものに流れ、海のようなものに漂い、次第に空のようなものへとのぼる。雲のようなものになって雨のようなものになり、なりながら、なり、なったという間を置かずにまた、なる。なるのだ。