11月5日・6日に行われた「ぎふ信長まつり」は、6日の騎馬武者行列に木村拓哉さんが登場し、熱狂の中で幕を閉じました。しかし、ぎふ信長まつりのことや、織田信長と岐阜との関係について、意外と知らないという声も聞かれました。信長と岐阜との深い関りや、ぎふ信長まつりの成り立ちなどについて調べました。

■「楽市・楽座」発祥の寺や信長が眠る墓も… 信長と岐阜の関係は?

 織田信長といえば尾張名古屋の印象が強くありますが、実は岐阜とも深い関りがあります。まずは岐阜の街で、「織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑で誰が好きか?」聞いてみました。 岐阜市民: 「信長ですね。岐阜に育ったんで、岐阜城がある所で」 別の人: 「やっぱり織田信長です。岐阜市にゆかりがあるとか、印象的に見た目とかも全部合わせて好きです」 また別の人: 「織田信長です。岐阜を中心に日本全国に羽ばたいたところがあると思うので。岐阜を作ってくれた人かなと思っています」 岐阜の人にとって、信長は大きな存在のようです。

 信長と岐阜との関係について、歴史に詳しい内堀信雄(うちぼり・のぶお)さんに聞きました。内堀さんの名刺には信長のイラストが描かれていて、「岐阜といえば信長」だといいます。

内堀さん: 「信長がここで始めたことが、実は日本の歴史のスタート。経済政策でもそうですし、街をつくって元気にするとか。思い切って言っちゃうと岐阜が始まりだと。愛知の方にはちょっとアレですけれども、私はそう思っております」  そして、内堀さんが連れて行ってくれた場所は…。 内堀さん: 「ここが織田信長ゆかりの円徳寺(えんとくじ)。信長が楽市・楽座、日本の経済振興のスタートがここだというお寺になります」

税を免除し、誰でも自由に商売できるようにした「楽市・楽座」。円徳寺はその発祥の地といわれています。

楽市・楽座など柔軟な街づくりを行った結果、岐阜城の城下町は国内有数の都市へと発展。その街路などの骨格は、現在の街づくりにも受け継がれているといいます。 内堀さん: 「経済振興を第一にするということだと思うんです。自分の利益だけを考えている人もいるかもしれないけど、信長の場合は、どれだけ経済を発展させるかをすごく考えていた人だと思います。画期的なんじゃないかな、庶民のためにだと思います」

円徳寺には信長が寄贈した釣り鐘もあり、「信長公」と記されています。

信長は岐阜城の城主として、この地で10年ほど過ごす中で力をつけていき、かの有名な「長篠の戦い」で勝利し、世にその名を轟かせました。

 また、市内にある崇福寺(そうふくじ)では…。 崇福寺の住職: 「これは信長公と信忠公のお墓です」 長男とともにこの地に眠り、岐阜の発展を見守っています。

 内堀さんにとっても、信長は大きな存在のようです。 内堀さん: 「岐阜市で仕事をしていると全て信長に関わってきますので、時々しゃべっていると、つい自分がその時代の人間になったような気持ちになってしまうような存在ですね。私の人生そのもの、岐阜市民の夢そのものなんじゃないかなと思っています」

■元々は“おまけ”だった?「ぎふ信長まつり」の歴史や意義

「ぎふ信長まつり」はどのようなまつりなのか、地元・柳ケ瀬商店街の林亨一(はやし・こういち)理事長は、もともとは春にある岐阜まつりの「“おまけ”みたいな感じで始まった」といいます。 約70年前の1953年、毎年春に行われている「岐阜まつり」に花を添えようと、「騎馬武者行列」が行われたことが発端でした。

記念行事という位置づけに過ぎませんでしたが、いざ始まってみると想像を超える集客になり、そこに市が目を付けたといいます。 林理事長: 「商業祭としてそこに目を付けて、新しくおまつりとして仕立てた、商業振興のためのおまつりです」 4年後の1957年に騎馬武者行列は独立。「岐阜のまちづくりに貢献した織田信長を称える」をテーマに、騎馬武者行列で全国から集客を図り、街の発展につなげようと市が考えたということです。

林理事長: 「ぎふ信長まつりに乗っかって、またそれぞれの商売が発展していくように、そういう流れがすごくいいと思いますよ」