横浜開港資料館などを運営する横浜市ふるさと歴史財団は、江戸時代後期に現在の同市都筑区(旧都筑郡)で創業し、酒やしょうゆ、塩の製造販売で地域の豪商と呼ばれた「中山恒三郎(つねさぶろう)商店」の数万点にも及ぶ史料が見つかったと発表した。同資料館の吉田律人・調査研究員は「旧都筑郡の史料がまとまって出てくるのは珍しい」と話している。

 同商店の取引記録のほか、江戸時代の旧都筑郡川和(かわわ)村を表した絵図、中山家で毎年開かれていた観菊会の写真、歴代の恒三郎家が書いた日記などが見つかった。明治時代の酒瓶や日露戦争時の写真雑誌といった、民俗資料もあった。

 地域の歴史を知る上で重要な史料だが、吉田さんは「整理には十年くらいかかる」と話す。今後の研究で、詳しい歴史的価値を明らかにしていくという。

 吉田さんによると、中山恒三郎商店は、明治・大正期に「中山三家」と呼ばれた一族の中核。恒三郎家は、父・五蔵(ごぞう)の営む山王屋本店から独立した。五蔵は当時、旧川和村の名物だった「川和の菊」を栽培。観菊会を開いた自宅庭園「松林甫(しょうりんぽ)」には、皇族や政治家も訪れた。松林甫を含む土地は五蔵から恒三郎に継承された。

 恒三郎家は、酒問屋からしょうゆ製造、専売制の塩とたばこの元売りなど徐々に商売を拡大し、戦後には横浜市北部から川崎、八王子方面までの巨大な商圏を築いた。また、代々の恒三郎は地域のリーダー職も務めていた。

 恒三郎商店は一九八五年まで続き、現在は六代目にあたる中山健さんが資産管理している。二年前、松林甫のあった敷地の一部を、老朽化した川和保育園の移転用地として貸すことになり、市ふるさと歴史財団が調査に入っていた。

 敷地には八棟の建物があったが、明治期建設の二棟を残して解体。史料は開港資料館などに運び込んだ。吉田さんは「論文や展示を通して、史料整理と研究の成果を見てほしい」と話している。 (志村彰太)