東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県気仙沼市の復興を後押ししようと、震災直後から「熊谷(くまがい)桜」を贈るなど精力的に支援活動を続けている熊谷市の市民グループと気仙沼市民らの交流会が二十一、二十二の両日、熊谷市内であった。熊谷桜の名所として知られる石上寺では、桜の故郷であることを示す石碑の除幕式もあり、先祖の縁と桜がつなぐ友情の証しの完成を共に祝った。 (花井勝規)

 両市民を結び付けたのは、平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した、現在の熊谷市に当たる武蔵国熊谷郷出身の武将・熊谷直実(くまがいなおざね)。その直実の孫が鎌倉時代に移り住み、領主となった地が現在の気仙沼市だ。いまでも熊谷姓が人口の5%ほどを占め、「日本で一番熊谷さんの多い街」と言われている。

 二〇一一年の震災直後、熊谷市内の自治会有志らが気仙沼への募金活動を展開。これをきっかけに支援の輪が広がり、翌一二年には歌舞伎愛好家らのグループが直実を主人公とした復興支援歌舞伎を気仙沼で上演。四年前からは各グループで結成した「気仙沼に熊谷桜を植える会」(横田透会長)が毎年春、現地を訪れて、桜の苗を贈る活動を続けている。

 気仙沼市からは、古谷館八幡神社の熊谷正之宮司(61)ら三十六人が初めて熊谷市を訪れた。今回披露された石上寺の石碑には、熊谷宮司が「熊谷桜産土(うぶすな)」と揮毫(きごう)している。一行はそろいのTシャツ姿で熊谷うちわ祭や妻沼聖天山を見物した。

 かつて気仙沼熊谷氏の拠点だった赤岩城跡の保存活動を、八年前から仲間百二十人とともに続けている熊谷博児さん(70)は「復興歌舞伎には感動と勇気をもらった。うちわ祭の熱気はすごいですね」と話していた。

 被害の大きかった気仙沼市鹿折地区でこの春、街開きにこぎ着けた「かもめ通り商店街」でのり販売店を営む長谷川行則さん(70)宅では、贈られた熊谷桜が一メートルほどまでに成長した。長谷川さんは「こんなにもきれいに咲くものなのか」と述べた。

<熊谷桜> 熊谷直実が源平合戦で先陣争いをした故事から名付けられた早咲きの品種。江戸時代には貝原益軒編さんの「大和本草」で当時の代表的な4種類の桜の一つとして紹介されていたが、明治末期ごろに姿を消し「幻の桜」と呼ばれていた。熊谷市の市民グループが1993年に茨城県内から苗木をもらい受け、石上寺などで増殖活動を続けている。