◆川崎市の障害者施設長・中山満さん(66)

 ノーベル文学賞を受賞した米国人作家のパール・バックに、知的障害のある子どもを描いた「母よ嘆くなかれ」という作品がある。できないことがあっても同じ人間であると書き、障害のある人を受け止め、その人がどう幸せになるかを考えるべきだと訴えている。

 これが戦後の世界の人権の考えだ。しかし、手紙に書いてある植松聖(さとし)被告の考え方をひと言で表現すると、「経済的に自立できない人は役に立たない」というもの。古くさい、古典的な優生学的な考えだ。

 なぜ障害者施設で働いていながら、こうした考えを持つようになったのか。あるいは、もし植松被告がうちの施設で働いていたら、どうなっていただろうか−。事件後ずっと疑問に思っていたが、手紙を読んで感じたことがある。

 一つは、植松被告の障害者に対する嫌悪感の強さ。自傷行為など障害者が調子が悪いときに起こす行動を書き連ねている。こうした行動はきちんと支援すれば収まるはずのものだが、植松被告はどう対処すべきか分からず、嫌悪感が先に出てしまったように感じる。

 つまり、素人同然のまま障害者への拒否感を持ったまま仕事を続け、ストレスを感じていた。支援員として力量がなく、自分ができないことを正当化するため、障害者を排斥する考えになったのではないか。

 確かに、支援の現場で、障害者にたたかれ、思わず手が出てしまう人もいる。経験が浅い職員ならなおさら。でも、仲間らと励まし合いながら、粘り強く障害者と関わり、障害者が落ち着きを取り戻す経験を積み重ねることで、職員は自信を持ち、共感関係を築いていける。

 残念ながら植松被告はそうならなかった。「言うことを聞かない奴らはしょうがないやつだ」と、勝手な理屈をつけ、人類や平和のため、自分を正義の味方として登場させ、犯行に走った。ある意味正常だが、とても弱い人間なんだろう。

 手紙で感じたことはもう一つある。それは入所施設の宿命とも言える問題だ。

 入所施設では、職員は障害者に対し、ものすごく強い立場にある。入所者が何を食べ、飲むか、外出できるかどうか決めることができる。

 障害者に嫌悪感を持っている職員がいれば、自分の言うことを聞く人は優しく支援するが、そうでなければ暴力的な対応になってしまう。行きすぎると、この人は生きている意味はあるのかという論理につながりやすい。

 入所施設で長く生活することの問題を、我々は改めてしっかり考えるべきだと思う。 (聞き手・加藤益丈)

 <なかやま・みつる> 1950年11月生まれ。川崎市役所に入庁し、障害児のケースワーカーや障害者施設の整備計画や障害者支援計画の策定などを担当。定年退職後は精神、知的、身体の全障害に対応する入所施設「桜の風」で施設長を務める。川崎市宮前区在住。