◆通所施設「朋」初代施設長・日浦美智江さん(79)

 昨年、相模原殺傷事件が起きた時は「十九人を殺す力が人間にあるのか」と、何日か思考停止になった。報道では犠牲者の名前が出ない。「これは何なの」とも思った。私たちの施設では必ず「誰々ちゃん」と名前を呼んでいたから。

 横浜市栄区の住宅街に、重症心身障害児の通所施設「朋(とも)」を開いたのは一九八六年。それから毎年、近くの小学校から七夕集会に招かれた。四年目だったと思うが、それまで職員がしていたあいさつを、通所者のタカノリ君に任せた。タカノリ君は「アーアー」と大きな声であいさつした。彼は脳性まひで上手に話せず、手足は動かなかった。

 次の日、小学校の先生からは手紙が来た。「タカノリ君のアーアーというあいさつは、私たち教師が子どもたちに十分に伝えられない『力いっぱい生きること』『チャレンジすること』を見事に伝えてくれた。これまで『何かみなさんにやってあげている』と思っていたが、間違っていた」という内容だった。

 それから二、三日して四年生くらいの小学生が三人、「朋」に遊びに来た。タカノリ君に会うと「朋のお兄さんみたいに頑張って生きます」と声を掛けた。交流会でのあいさつが印象に残ったのだろう。子どもたちは、ちょくちょく遊びに来るようになった。

 植松聖(さとし)被告は手紙で「自己紹介ができない人間は意思疎通ができない。安楽死させるべきだ」とか「重い障害のある子を育てると莫大(ばくだい)なお金と時間を失う」と述べている。もし、彼の言う通りにするなら「朋」の全員が死なされてしまう。

 でも私は、無駄な命は一つもなく、一人一人、何らかの役割を持って生きていると思う。

 タカノリ君は、小学生と「朋」の関係をつくり、先生の心も揺さぶった。私自身、重い障害のある人が時折見せる笑顔で、心が洗われることもある。「この子がいたからこそ、いい人生を送れた」と話す障害者の親もいる。植松被告には、障害者にそうした働きがあるという気付きも、想像する力もなかったのだろう。

 今回のような事件が再び起きないよう、子どものうちから障害のある人と触れ合い、障害者が生み出してくれる「働き」に目を向ける社会になってほしいと願う。 (梅野光春)

 <ひうら・みちえ> 1938年生まれ。72年、横浜市の小学校講師として重症心身障害児の教育に触れ、卒業生向けの地域作業所の運営に携わる。86年、当時は法的な位置付けがなかった重症心身障害児の通所施設「朋」を全国に先駆けて開設、初代施設長を務めた。施設の運営母体の社会福祉法人「訪問の家」理事長、横浜市教育委員などを歴任し、現在は、訪問の家顧問と、同市栄区社会福祉協議会会長。同区在住。