前橋市街地の八割が焦土になったとされる前橋空襲から七十二年を迎えた五日、市内十三カ所の宗教施設で犠牲者を追悼する一斉慰霊が行われ、参列者が鎮魂の祈りをささげた。 (原田晋也、竹島勇)

 戦争体験者の高齢化で空襲を語れる人が少なくなる中、宗教の垣根を越えて語り継ごうと、昨年から始まった。それぞれの施設に派遣された前橋市民学芸員が参列者に前橋空襲を解説し、各施設で午後二時二十分に一斉に鐘や太鼓を鳴らして祈りをささげた。

 前橋市内では終戦直前の一九四五年八月五日夜、米軍の爆撃機B29百機以上が焼夷弾(しょういだん)などを投下し、五百人以上が死亡した。

 同市千代田町の大蓮寺では、約三十人の参列者が手を合わせた。蓮池光洋住職は「空襲では、近くの防空壕(ぼうくうごう)の中にいた人はほとんど亡くなった。寺の墓地に逃げ込んで、花立ての水をすすりながら生き延びた人もいたと聞いている。平和な日本、平和な世界を築いていきたい」と語った。

 前橋空襲を経験し、友人を亡くした宮島茂さん(84)=同市=は両手を大きく広げながら「B29がこれくらい大きく見えた。米軍はぎりぎりまで近づいて焼夷弾を落としていったのだろう」と当時を振り返り、「戦火の中を逃げ惑ったという人はもうあまりいない。戦争を風化させないように語り継いでいきたい」と決意を述べた。