太平洋戦争末期、伊豆諸島・神津島の住民の多くが、奥多摩町などに疎開した。埋もれかけた史実を知ってもらおうと、奥多摩町の双葉会診療所院長、片倉和彦さん(56)が神津島村民三人に疎開体験を取材し、映像にまとめた。十一日に町内で開く「奥多摩町平和のための戦争展」で初めて上映する。 (林朋実)

 奥多摩町誌によると、神津島村の住民は一九四五年七月、米軍による空襲を避けるため、健康な男子を残して強制疎開させられた。現青梅市など西多摩地域には計百十二世帯五百六十七人が疎開。このうち八十六世帯四百十二人が現奥多摩町で生活し、約二カ月後に全員が島に戻った。

 これを知った片倉さんは今年六月に神津島を訪ね、梅田武男さん(88)と稲葉クニ子さん(87)、梅田千代子さん(88)に当時を振り返ってもらった。

 奥多摩でも風が強いという大沢地区で過ごした梅田武男さんは、島と違って夏でも夜に冷えるのに悩まされた。稲葉さんは、島では見たことのなかった水車小屋で寂しさを紛らわせた思い出を語った。梅田千代子さんは、役場に行くのに洞窟のようなところを抜けるのが怖かったと振り返り「周りは良くしてくれたけど、知らない土地には二度と行きたくない」と話した。

 三人の話からは、気候や食べ物の違う土地で急に暮らすことの戸惑いや苦労が浮かび上がる。片倉さんは「当時の奥多摩は食料が少なかった。受け入れる方も大変だったし、来る方はもっと大変だっただろう」と思いを巡らせ、「平和が、憲法が、と大上段に構えるのではなく、当時の普通の暮らしを知る中で、ぼんやりとでも戦争について考えてもらえれば」と語る。

 十一日午前十時〜正午、奥多摩町小丹波の奥多摩文化会館(JR青梅線古里(こり)駅徒歩五分)で。映像は約三十分にまとめて上映。神津島村の石野田博文教育長が疎開当時の話をするほか、町民らのシベリア抑留の体験談も。参加無料。当日会場へ。問い合わせは、平日の午前九時半〜午後五時半に双葉会診療所=電0428(83)3454=へ。

<神津島の空襲被害> 神津島村史によると、1945年3月14日、神津島近くの無人島の恩馳(おんばせ)島周辺に出漁中の漁船に米軍機が機銃掃射し、村民11人が死傷。神津島には軍需工場などの施設はなかったが、その後も8月12日まで複数回の焼夷(しょうい)弾空襲などがあり、計10人が死亡、住宅60戸と漁船80隻が全焼したとされる。空襲の資料が少なく、不明な点が多い。