江戸時代後期に「高崎だるま」を作り始めたとされる山縣(やまがた)友五郎の功績を顕彰しようと、県達磨(だるま)製造協同組合(中田純一理事長)は没後百五十五年の命日に当たる九日、山縣の菩提(ぼだい)寺の常安寺(高崎市下豊岡町)で慰霊祭を開き、組合員ら約百人が参列した。

 組合は八月九日を「高崎だるまの日」とする準備も進めるという。

 慰霊祭では、子孫の元新島学園高校教諭の山縣英明さん(85)が「豊岡で脈々と伝統が受け継がれていることをうれしく思う」などと述べた。

 組合などによると、山縣は若いころ人形職人を目指して、武州と呼ばれた地域のうち現在の埼玉県に修業に行った。当時はやっていた天然痘除(よ)けのお守りとして売られていた江戸だるまを故郷の上豊岡村(現在の高崎市上豊岡町付近)に持ち帰り、病除けを願ってだるまを作り始めたという。

 その後、豊岡には木型彫りの名人や担い手となる職人が集まるようになり、「だるまの里」と呼ばれるようになったとしている。

 高崎だるまを巡っては、少林山達磨寺(高崎市鼻高町)の九代東嶽(とうがく)和尚が天明の飢饉(ききん)後、農民救済のため農家の副業に張り子だるまを作らせたという由来も伝えられている。 (大沢令)