シャトルをラケットで打つ音も、靴と床が擦れ合う音も、観客の声援も聞こえない。静寂の中で世界の強者と戦ってきた。

 七月にトルコで開かれた聴覚障害者スポーツの祭典「デフリンピック」。沼倉昌明さん(31)は、バドミントン日本代表として初出場した。シングルスもダブルスもメダルには届かなかったが、「全力で戦えたので満足しています」。

 生まれつき、耳が聞こえない。ろう者同士では手話だが、職場の同僚との会話は電子パッドを使った筆談。記者のインタビューを受ける時も筆談を使う。

 バドミントンをする時も、健常者とは少し違う。特に難しいのはダブルスだ。

 自分が前衛にいる時、後衛のペアが打つ瞬間は視界に入らない。健常者なら音でタイミングや軌道を判断できる。でも、それが全く聞こえない。

 頼るのは対戦相手の動き。「目線、体の向き、構え方を見て判断します」。ペアと声も掛け合えないので、練習から動き方や約束事を決めておく。連携を生かしながら、一七八センチの長身を生かしたスマッシュを打ち込むのが得意プレーだ。

 バドミントンを始めたのは中学一年の時。地元の北海道小樽市の特別支援学校にはバドミントン部しかなく、興味がないまま仕方なく始めた。

 だが、市大会で勝てない日々が続くうちに負けず嫌いに火がついた。どんどんのめり込み、高校二年で全道大会に出場するまでに成長した。

 そのまま国内トップレベルへ…とはいかなかった。競技から九年間も離れたことがある。

 大学時代は強豪バドミントン部で健常者に交じって腕を磨いていたが、そこで全国トップレベルとの差を痛感した。練習についていけず、足が遠のいたまま卒業。その後もラケットを握らない日が続いた。

 四年前、大学時代の後輩と遊びのつもりで打ち合った。久しぶりに味わったシャトルを打つ感触。「楽しくて、楽しくて」。競技への情熱がよみがえってきた。

 地元の体育館で練習に励んだ。ブランクを取り戻しながら成長し、二年後にはアジア太平洋大会に出場。今年はデフリンピック代表にまでのぼり詰めた。

 世界中の耳の聞こえない選手と触れ合う中で、競技を取り巻く環境の差を知った。バドミントンを本業にしている選手がいた。メダルをとると数百万円の報奨金が出る国もある。

 日本は仕事と掛け持ちする選手ばかりで、大会参加費も自己負担が多い。「デフリンピックの認知度を上げる活動をしたい。もちろん競技も続けます」。大舞台を経験し、新たな目標ができた。 (井上峻輔)

<ぬまくら・まさあき> 1985年生まれ。北海道小樽市出身。2017年デフリンピックにバドミントン日本代表として初出場し、混合ダブルスで8強、男子ダブルスで16強入り。普段はさいたま市職員としてICT政策課で勤務。庁内の情報システムや情報セキュリティを担当している。朝霞市在住。