それもまた1つのLOVE。

愛してるとは違うけど、愛していないとも言えない。

あなたの身にも、覚えはないだろうか…?

今年32歳の西嶋優一は、某大手食品メーカー本社に勤務するサラリーマン。

およそ1年半前にお食事会で出会った桜井奈々とステディな関係を築いており、結婚を前提に同棲を開始。結婚目前、のはずだったが...。

一度は了承したはずの奈々が、急に態度を豹変させ家を出て行ってしまう。そこにはありありと、別の男の影があった。

今回は、奈々と別れた優一が、再びヨリを戻すまでのお話。



不穏な兆候


何かが変だという兆候は、薄々感じていた。

−私、千駄ヶ谷の家に戻ろうと思う。

奈々が突然そんなことを言いだしても取り乱さなかったのは、遅かれ早かれそうなるだろうと心の奥底で覚悟できていたからである。

妙に頻繁にスマホを確認したり、心ここにあらずの目をしたり、話の相槌がワンテンポ遅かったり。

どこのものだか知らないが、奈々が突然高そうなコーヒー豆を買って帰って来た時も不穏な気配を感じた。

しかしその違和感に、優一はずっと気づかぬふりをしていた。

奈々が朝帰りした日も、「仕事が終わらなくて」という見え透いた言い訳に納得しているふりをした。

そうやって彼女の心が離れていくのを静観していたのは、ただただ平和な日常を守りたかったからに他ならない。

他人の嘘を暴いたり、責めたりすることが、優一は昔から苦手だった。

男の影を感じた早い段階で介入することもできたかもしれない。しかしそんな風にしてつなぎ止める愛に、価値があるだろうか。

奈々がすべての荷物を引き上げてしまった夜、ひとり残された優一はしばし呆然と玄関で立ち尽くしていたが、彼女の残り香が消える頃、そんな優一を救うようにしてLINE着信音が鳴った。

我に返った優一はスマホを手に取り、ぼんやりした頭でゆっくりと指を滑らせる。

そこに表示されていた女の名前は、優一の傷ついた心にすっと染み入った。


傷心の優一に近づく女。その正体とは?

忘れ得ぬ女


−3週間後−



「あ、きたきた。優一、こっち」

金曜20時、優一は西麻布交差点近くの『サル ドゥ マキノ』にやってきた。

店に入ると、奥の席でショートボブの女性が白い歯を見せながら手を振っている。

オフショルダーのワンピースからのぞく綺麗な鎖骨、無駄な肉のない華奢な二の腕。何もかも、あの頃のまま。彼女...恵美は、昔とまったく変わらぬ笑顔でそこにいた。

恵美と会うのは、5年ぶりだ。

奈々が家を出て行った直後に届いたLINEは、恵美が夫とともに駐在していた上海から帰国したことを知らせるもので、久しぶりに会おうよ、と誘われた。

5年ぶりの再会にも関わらず「ここ予約して」と『サル ドゥ マキノ』のリンク先を送りつけてきた恵美。

そんな遠慮のなさすら懐かしく感じられるのは、やはり彼女が優一にとって「特別」だからだろう。

優一と恵美は、恋人同士だった。

付き合いが始まったのは、優一が25歳の時。3歳年下の恵美が新卒で同じ部署(当時は営業部にいた)に配属され、仕事の面倒を見ているうちに自然と男女の関係になった。

恵美はその派手な顔立ちと気さくな性格で男性社員の注目を集めていたから、彼女のOJT担当にならなければ優一が彼氏の座を獲得することはなかっただろうと思う。

そんな自慢の彼女のことを優一は心底大切に思っていたし、その後5年間、順調に愛を育んでいたはずだった。...恵美から、突然別れを告げられるまでは。


「恵美はまったく変わらないな」


乾杯を交わした後、優一は目の前に座る、忘れ得ぬ女を改めて見つめた。

5年の時が経ち、彼女ももう30歳となっていたが、肌艶の衰えもなくむしろ若返ったようにすら思える。

−幸せなんだな。

そう思うと、安心すると同時に胸の奥がチクリと痛む。

彼女は5年前、優一と別れてすぐ貿易系の企業に勤務する男と結婚。夫の海外転勤に帯同するため会社も辞めてしまった。

「優一は...ちょっとやつれたよね」

しみじみと回想に浸る優一などお構いなしに、恵美はそんなことを言って笑い声をあげる。

反論したいが、やつれていたとしてもおかしくない。何しろ、結婚を考えていた女性に突然去られてしまった直後なのだから。

「幸せな駐在妻と違って、俺には色々あるんだよ」

「なあに、色々って?」

ため息交じりに呟いたら、恵美に突っ込まれてしまった。

話すつもりなどなかったのだが、気づけば恵美に促され、奈々との一件を洗いざらい打ち明けていた。



「優一は、優しすぎるのよね...」

話を聞き終えると、恵美は遠くを見るようにしてそんなことを言った。

−恵美が俺と別れた理由も、そこにあるのか?

しみじみとした彼女の言い方が優一の古傷を抉ったが、口に出すことはしない。

「...優しくて、何が悪いんだよ」

優しすぎるからフラれるなんて、そんな理不尽な話はないだろう。

そもそも優一は自分で自分のことを優しい男だ、などと思っていない。自分はただ、穏やかに流れる平凡な幸せを愛しているだけだ。

「何も悪くないわよ。だけど女ってね、優しすぎる男といると嫌な女になっちゃうの」


優一の元カノ恵美が語る女の性。奈々との関係修復に向け、優一にあるアドバイスをする

優しい男のそばで、女はしたたかになる


「シュガー&スパイスって言うでしょ。女は強欲だから、砂糖とスパイス両方を欲するのよ。許してくれる優しい男に甘えながらこっそり刺激を得ようとして、女はどんどんしたたかになる」

彼女はそう断言すると、白ワインを口に含んでゆっくりと喉を動かした。

恵美が使った「したたか」という言葉は、優一の知る奈々には似合わない。

彼女はむしろ不器用で傷つきやすく、だからこそ自分が守ってやらなければと思っていた。したたかに嘘をつくことなど、奈々にはできない−。

そこまで考えた時、優一の心が「いや、違う」と叫んだ。積もり積もった小さな違和感が警告音を発するように。

同僚と映画を観てくると言って出かけた夜も、朝帰りした日も。

彼女は滑らかに嘘をついたではないか。奈々は、あっさりと自分を裏切り、嘘をつくことができるしたたかな女...。

苦しくなって、優一は深くため息をついた。これ以上考えると、奈々に対する嫌悪感と憎悪に支配されてしまいそうだ。心から、愛していたからこそ。



「ねぇ、優一」

俯く優一をしばらく黙って見つめていた恵美が、柔らかい声で名前を呼ぶ。

そして、何かを思いついたように、ゆっくりとした仕草で優一の手握ると、声を潜めて囁くのだった。

「今日ね、夫は家にいないの。...優一の家に、泊まろうかな?」

−?! 人妻が、何を言っているんだ。

一蹴しようとするが、恵美の潤んだ、試すような瞳を間近にすると言葉が出てこない。

それどころか、もう奈々は家にいないのだし、彼女がそう言うなら別に良いのではないか、と肯定する気持ちにさえなった時だった。

恵美はさっと優一の手を離すと「冗談よ」と目を逸らしてしまい、優一もやり場のなくなった手をテーブルの下に戻す。

しばらくの沈黙の後、恵美は優一を諭すようにして口を開いた。

「優一が彼女のこと、責めたくなる気持ちはよくわかる。でも優一だって今、一瞬迷ったでしょう?...男と女なんて、そんなものよ。一瞬の心の隙が、判断を誤る」

完全に心を見透かされ、優一はなんともバツの悪い表情を浮かべることしかできない。

「彼女だって今は、優一を裏切ったことを後悔しているかもしれないわよ。しばらく間を置いてから、もう一度会って話をしてみたら?」

恵美の言葉で、奈々は今どうしているだろうかと考える。

たとえ彼女が再び自分の元に戻ってきたとしても、何事もなかったことにはならない。しこりは残るだろうし、築き上げた信頼関係はもう壊れてしまった。

しかし二人が望みさえすれば、ゼロから未来を始めることはできる。

恵美の温かい眼差しに後押しされるように、優一はもう一度奈々に連絡してみることを心に決めるのだった。


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