2017年の東京を生きる大人の女性が、悔いなき人生を歩むために身につけるべき「品格」とは?

30歳で婚約破棄。

婚約者・涼ちゃんの浮気で未来に絶望した千晶は、導かれるようにして、ナンタケットバスケット教室「エーデルワイス」を主宰する高貴な妻・白鳥雪乃と出会う。

「エーデルワイス」に通う幸せいっぱいの新妻・柳沢結衣の生き方を羨ましく感じる千晶だが、実は彼女も不自由な暮らしを我慢していることを知り、女の幸せの形について思い悩む。

千晶を心配する後輩・あずの紹介で、千晶は爽やかイケメン弁護士・正木と出会うが、どうしてもその気になれず結局、涼ちゃんとヨリを戻すのだった。

最終回、千晶が選んだ道の先に幸せはあるのか?



迫られる選択


涼ちゃんとまた逢うようになって、早1ヶ月が経つ。

楽観的であることが取り柄の彼はしきりに「一緒に暮らそう」と言ってくるが、千晶はさすがに躊躇している。

同じ相手に、再びの婚約破棄などということがあろうものなら...考えただけでも恐ろしい。ここは慎重に慎重を期しても足りないくらいだろう。

それに、先日千晶が担当した某家電メーカーの仕事が社長に評価され、今度は日本に初上陸したフランスの高級食品メーカーのプロモーションを任されることになった。

連日深夜帰宅が続いており、正直言って自分の生活で精一杯だ。同棲すれば確かに家賃は浮くが、その分家事の負担が増える。

もう少し、曖昧でいい。

そう思っていたが、女30歳、やはりそんな悠長な事を言っていられないのであった。

週末の夜、涼ちゃんに呼び出された『Pinze Loca神楽坂店』で、彼の珍しく真面目な表情を見て千晶は咄嗟に身構える。

−まさか…。

予感は、的中。彼は、嫌が応にも決断を迫られる現実を千晶に突きつけた。

「千晶、俺、9月からマニラ駐在が決まった…」


涼ちゃんに駐在辞令。千晶が選ぶ道は…?

ついて行くべきか、行かざるべきか


月曜日は忙しい。

ゆっくりランチをする時間はないので、サクッと食べられる『バーガーマニア』にやってきた。

「あず、あのさ、例えばの話なんだけど…」

ハンバーガーにかぶりついているあずが、「はい」と目だけで答えたのを確認し、千晶は続ける。

「今付き合っている彼が海外に行くことになったら、あずはついて行く?…例えばの話よ」

涼ちゃんとヨリを戻したことは、あずにはまだ内緒にしている。だからあくまで架空の出来事として話さねばならない。

…。

一瞬の間の後、あずに疑惑の目を向けられ千晶は慌ててハンバーガーにかぶりつく。

「私の今の彼、開業医だから海外転勤とかないんですけど」

あずはあっさり、元も子もない発言をする。

しかし千晶が黙っていると、「でも」と力強く続けた。

「もしそういう話になったら、もちろんついて行きますよ。私は絶対に、仕事より家庭優先。一人で行かせたら、確実に浮気して終了するでしょ」

−確実に浮気して終了。

それは、千晶が最も恐れていることだ。

そもそも涼ちゃんには前科がある。「もう二度としない」と誓ってはいるが、千晶が海外駐在について行かなかったとして、その誓いが守られる確率は限りなくゼロに近い気がする。

だからと言って、彼の浮気を阻止するためにやりがいを感じている仕事を辞め、築いたキャリアを捨てるのも違う。

駐在の話は、以前からあった。

千晶も、婚約破棄をする前はついて行く覚悟を決めていたのだ。

しかし、一度裏切られて気づいたことがある。それは、女が男に人生を委ねる選択肢には、多大なリスクがあるという事だ。

今度こそ失敗したくないと思えば思うほど、慎重になればなるほど、正解が見えなくなる。

千晶はあずに気づかれないよう、小さくため息をつくのだった。



平日は、会社と家の往復で1日が終わる。

息つく間もない生活の中で、ナンタケットバスケット教室「エーデルワイス」でかごを編む時間は、千晶にとって唯一“無”になれる特別なものとなっていた。

通い始めて早3ヶ月、ようやくファーストバスケットの完成が見えてきた。

今日は雨が降ったからか、千晶のほかには二人のマダムしか来ていない。今日は旦那が家にいるのだろうか、柳沢結衣の姿もなかった。

そのマダム二人も用事があるとかで、レッスンが終わるとティータイムもそこそこに帰って行った。

図らずもエーデルワイフこと、白鳥雪乃と千晶だけが「エーデルワイス」に残され、千晶は永らくの疑問…雪乃のプライベートについて、尋ねるなら今!という機会を得ることとなった。


「あと少しだから、完成させましょう」


雪乃の好意でレッスン時間を延長してもらえることになり、編み終えたバスケットにニスを塗ったりハンドルを取り付けたりする作業を、手伝ってもらいながら進める。

目の前で手早く動く雪乃の指先を見つめながら、千晶は思い切って口火を切った。

「雪乃先生は、ご結婚されてるんですよ…ね?」


遂に明かされる、エーデルワイフのプライベート

品格ある女の生き様


「ええ、しているわよ。…一緒に暮らしてはいないけど」

ゆっくり、言葉を選ぶようにして、雪乃は初めて自身について語ってくれた。

曰く、彼女は25歳で結婚し、その後すぐに夫の仕事の関係でボストンに渡ったのだという。15年を米国で過ごし、一人娘が全寮制のハイスクールに入学したタイミングで単身日本に帰国したそうだ。

−それで、家族の影がなかったのか。

彼女に生活感のカケラもなかった理由が、ようやく理解できた。

「私ね、結婚前は広告代理店で働いていたのよ。いわゆるバリキャリね。専業主婦も自分なりにクリエイティブに楽しんではみたけど…子育てが落ち着いたら、もう一度働きたいという思いが強くなって」

それで、ボストン時代に習得したナンタケットバスケットの技術を日本に持ち帰り、自身の貯蓄で「エーデルワイス」を開業したのだ、と雪乃は語った。

ちなみに「エーデルワイス」の経営に夫はまったく関係しておらず、実は教室経営以外にも化粧品販売のビジネスをしており、そちらの収入が相応にあるらしい。

外から見ている限りでは有閑マダムにしか見えないエーデルワイフだが、実際はかなりやり手のビジネスウーマンだったことに驚く。

彼女のことを、自分とはかけ離れた存在だと思っていた千晶だったが、独身時代の職業や、夫の海外転勤で仕事を辞めた経緯など、自身の境遇と近しく親近感が湧いた。

「実は…」

千晶は、誰にも相談できずにいた胸のつかえを吐き出すようにして、涼ちゃんの駐在内示のこと、帯同を迷っていること、そして彼の浮気で婚約破棄に至ったことまで、洗いざらいをエーデルワイフに話すのだった。

「キャリアを捨てても、やはりついて行くべきなんでしょうか…」

力なく呟く千晶に、雪乃は静かに告げた。

「千晶さん。大切なのは、覚悟を持つことよ。どの道を選んでも困難は訪れる。その時に、選ばなかった道を振り返らない覚悟が、女には必要なの」

覚悟。

その言葉は、千晶の胸に重く響いた。

心の中で何度も反芻するうち、ある事実に気づいてハッとした。

−私には、涼ちゃんに人生を賭ける覚悟が、ない。

涼ちゃんのことは、好きだ。ずるいところも、弱いところも、能天気なところも。

だけど、気がついてしまった。

キャリアを捨てても、多大なリスクを背負ってでも、涼ちゃんに人生を委ねる覚悟を持てなくなっている自分に。

「…私、仕事を続けます」

自分に言い聞かせるように、千晶は雪乃に告げた。

その決意が、女として正しいかどうかは、わからない。ついて行かなかったら、後輩あずのいうとおり「浮気されて終わる」のかもしれない。

一般的にいう「幸せ」を、逃しているのかもしれない。

しかし、千晶の幸せは他の誰かが決めるものではない。

2017年の東京を生きる女には、数々の選択肢がある。

結婚する、しない。仕事をやめる、続ける。子どもを産む、産まない…。

どの道を選んでも得るものと失うものがあって、確固たる正解などどこにもない。

だからこそ女には、一度選択をしたら、選ばなかった未来を振り返らない「覚悟」が必要なのだ。

雪乃は、縦横に迷いなく編み込まれた籐を千晶の目前に掲げて見せる。

「覚悟を決めて、選んだ道をただ前に進む。それが、品格ある女の生き方よ」

雪乃は最後にそう言うと、ついに完成したナンタケットバスケットを千晶に手渡した。

Fin.