夜更けの赤坂で、女はいつも考える。

大切なものは、いつも簡単に手からすり抜けてしまう。

私はいつも同じところで立ち止まり、苦しみ、前を向こうとして、またつまずく。

29歳、テレビ局の広報室で働く森山ハナは、ひと回り年上のプロデューサー・井上と出会う。

井上に再度告白されて悩むハナに、親友の葵は「自分勝手」と責め立てる。



―井上さんと一緒にいた女の人、この人じゃない?

葵から送られてきたその女性の画像は間違いなく、あの夜井上さんのマンションの前で見た女性の顔 だった。

「葵、何で知ってるの……?」

その不可解なつながりに、ハナは妙な胸騒ぎを覚える。茫然としていると、葵が続けざまにこう送ってきた。

―この人、前うちの会社にいたみたい。後輩が知り合いらしいの。有名な人だよ。笑

最後の“笑”に、かすかな苛立ちを覚える。葵は根は優しいが人のことに首を突っ込み過ぎる、といつも思う。

そしてこういうときに限って、連絡した井上さんからの返信は一向にない。この半年の間に連絡がとれなくなったのは、送られてきた写真の女性と一緒にいたあの夜以外、ないのだった。

―まさか、今日も会ってるのかな……?

ぼんやりしていたその女の輪郭がはっきり浮かび上がると、さらに不安の波が押し寄せてくる。

これ以上起きていたら、考えがどんどん良からぬ方向にいってしまいそうだ。ハナは葵のLINEには返信せず、寝てしまうことにした。

寝室に入ると、すでに渉君はすやすやと寝ている。起こさないよう、そっとベッドに潜り込んだ。

人肌を感じると、少し安心するのだった。


葵はなぜ「写真の女性」の正体を突き止めたのか?

葵「彼女にどうしても一度、会ってみたい」


葵は、「社内恋愛がバレて会社を辞め、ロンドンに行った人」と聞いたとき、どこかで聞いたことのある話だと思った。

そのとき、この春、葵の部署に異動してきた1つ下の美月が、飲み会の席で頻繁にする話を思い出した。

―私の彼氏、一回りも年上の人妻を好きになっちゃって。信じられます?25歳のときに37歳の人と浮気してたんですよ……。

そう話す美月は未だ独身で、彼氏もいない。その時のことがよほど衝撃的だったのか、「もう恋愛はいいんです」としょっちゅう言うのだ。美人でいい子なのに、もったいない。葵は仕事帰り、頻繁に美月と飲みに行く仲だった。

―藤堂静香。

たしかにあのとき、社内で彼女のことはかなりの噂になった。

魔性の女、と言われていた彼女は、日本に帰ってきていた。しかも驚くことに、親友・ハナの男とも親しい仲らしい。



ハナのことを心配する気持ちが半分。それにあとの半分は、「興味本位」という残酷な気持ちで、葵は昔の上司に連絡した。彼はたしか、静香と同い年なはずだ。

―藤堂静香さんって知ってますか?

仕事中なのか、すぐ返信が来た。

―あぁ、今デザイン系の会社にいるよ。

元上司が教えてくれた、静香が勤めているという会社は、青山にある小さな広告制作会社だった。

―今、デザイン事務所探していて。紹介してくれません?

咄嗟にそんな嘘をつくと、彼女に一旦聞いてみてからだけど、と言いながら思いの外あっさり紹介してくれそうだった。

―彼女ともし会うことになったら、俺も呼んでよ。

さり気なく、そんな一言も添えられる。「もちろん」と返答したが、葵に全くその気はない。

1時間後に送られてきた静香のメールアドレスに、葵は祈るような気持ちでメールを送信した。

美月をあれほど落ち込ませ、マイペースなハナをも振り回す。そんな女に会ってみたい。

―ご連絡、ありがとうございます。週明けにいかがかしら?

何の邪推もない静香の返事に安堵し、週明けの月曜日に約束を取り付けた。


葵と静香の会合に、ハナも参戦…!?

ハナ「彼との行きつけの店。連れてきたのは私だけじゃなかったの?」


―ごめん、連絡できてなくて。

週明け、ようやく井上さんから返信が来た。

―今ばたついてて。落ち着いたら連絡する!

返信が来たことにほっとはするものの、何があったのだろうと不安に思った。すると、新着メッセージがもう1通届く。既読スルーしていた、葵からだった。



―ハナ。『バー ティアレ』に来れない?たまにはゆっくり、飲もうよ。

『バー ティアレ』は、井上さんとの行きつけの店で、葵とも1度行ったことがある。葵はあの後、彼女の何かを突きとめたのだろうか?そしてその話をされるのだろうか?

しかし実際は、その予想を遥かに超えたものだった。『バー ティアレ』に着くと、葵の横には見知らぬ女性の姿があった。


―…あれ?


それは間違いなく、あのとき井上さんの隣で見た女性だった。

「私の会社の元先輩、静香さん。こちら、親友のハナです。テレビ局の宣伝部で働いているから、何かつながりができるかもと思って!」

少し酔っぱらっているのか、葵ははしゃいだ様子でそう言った。彼女が気づいているのかいないのか、全く分からない。お互い「はじめまして」と微笑んだ。

―指が、綺麗な人だな。

ロックグラスを持っている、静香の華奢な指を見ながら、ハナはそんなことをぼんやり考えた。41歳、井上さんと同い年。葵曰く「魔性の女」。

葵は一体、この場をどうしたいのだろう。

二人は最初、仕事の話をしていたらしいが、いつの間にか葵の人生相談になっていた。葵のあてもない話に、静香は真剣な様子で相槌を打っていた。


「このまま仕事を続けていっていいのか」
「毎日残業続きで辛い」


そんな愚痴をこぼし続けていた。そしてそのひとつひとつに静香は相槌を打ちながら、「それであなたはどうしたいの?」と絶妙なタイミングで聞くのだ。

静香に合わせてウィスキーを飲んでいたせいか、途中で葵はすやすやと寝始めてしまった。

「え?葵、起きてよ?」

揺り動かしても、葵は全く起きる気配がない。ハナと静香の前に、沈黙が流れる。

「……こちらのバーには、よく来られるんですか?」

ハナが仕方なく口を開くと、静香は「えぇ」とだけ言ってうなずいた。

「……井上さんと?」

恐る恐る聞くと、それにもまた平然とした様子で「えぇ」と言うのだった。これは、宣戦布告なのだろうか?しかし目の前の女は、平然とウィスキーを飲むばかりだ。

「彼、大変みたいね」

突然の言葉に、ハナはひどく動揺する。

「……え?」

「仕事、うまくいってないんでしょう。それにお父様の調子が悪いって」

何も返せないでいると、静香はこう言った。

「何も知らないのね」

それは嫌味ではなく、ただ事実を言っているばかりで、ハナは余計に悔しかった。


▶NEXT:7月28日 金曜更新予定
最終回。ハナはこのまま井上を諦めるのか?