結婚して家を買い、そして子どもを授かる。

今まで「幸せ」だと信じて疑わなかったもの。

しかしそれを信じて突き進んでいくことが、果たして幸せなのだろうか?

外資系化粧品会社でPRとして働く祐実、29歳。

結婚生活3年目、夫の浮気が発覚したのをきっかけに、話し合いを経てついに離婚を決意した。

今日はかつて住んでいた豊洲の家に、荷物を取りに行く予定だった。



昔、幸せはもっと単純なものだと思っていた。

大学に入り就職し、キャリアを積む。結婚する。
頃合いを見て、子供を授かる。

自分の人生はそうやって順調に進んでいくはずだと、信じていた。しかし自分で決めたことのはずなのに、それを決断する「理由」をいつも探し求めていたのだ。

祐実は離婚届にサインし終えると、最後の荷物を引き取りに豊洲の家に向かった。

電車の中で、スマートフォンの中にある写真をぼんやりと眺める。アルバムの大半を占めるのは、3年前の結婚式の写真だ。100人ほどの人を招いた、正統派のホテルウェディングだった。

祐実は親族だけで海外挙式をするのが理想だったが、純の両親がそれを許さなかった。

「大勢の人に祝福された方が、二人の絆が強まるわ」
「祐実さんのご両親も、きっと喜ぶはずよ」

そう説得されて挙げた式は、たしかに皆喜んでくれて最高の一日だったけれども、結果的には離婚してしまうことになった。

結婚式一つとっても、何か「意味づけ」しなければ納得して前に進めなかった。そんな風に思う。

しかし祐実はもう、気づいている。働くのにも結婚するのにも、そして家庭を築くことにも、そんな崇高な理由なんてないのだろうということに。「意味づけ」を求めるのは、操られた価値観の中でもがき苦しむ自分への正当化なのだ。

有楽町の一駅手前、月島駅で、祐実は「2014結婚式」をフォルダごと削除した。


一見ドライは祐実が、切なさに耐えきれなくなってしまった物とは?

思い出は思い出のまま。否が応でも、時間は過ぎていく


マンションに着きオートロックの鍵を開け、いつもの手順で過去の我が家へ向かう。エレベーターの階数ボタンを押すとき、無意識のうちに今のマンションの階数である「7」を押そうとしてしまった。

「祐実です」

「ただいま」とも言えず、インターフォン越しにそう言うと純が出てきた。

3ヶ月前まで住んでいたはずの我が家は、家具の位置が一つも変わっている訳ではないのに、もう他の人の家のような感じがした。

家に着くとさっそく、メイク道具や洋服など、祐実の物置部屋のようになっていた部屋を片付け始めた。

持ち主不在の部屋は、少し埃っぽい。窓を全開にして、次々と段ボールへ荷物を詰め込んでいった。


「あれ、これなんだっけ……?」


ドレッサーの、二つある内の左側の引き出しを開けると、小さいメッセージカードがたくさん入っていた。



―祐実、誕生日おめでとう!これからもよろしくね。
―メリークリスマス。今年も一緒に祝えて、感謝です。

純は、結婚してからもメッセージだけはいつもマメにくれていた。一つ一つ読み返しながら、思わず胸が詰まる。

「片づけは、進んでる?」

後ろから純の声がした。引き出しをさっと閉め、笑顔で「うん」と答えた。



「……運べる?」

段ボールに荷物をあらかた詰め終えたが、仕事用の資料を手持ちにしたら結構な荷物になってしまった。重要な書類を郵送にするのは抵抗があるので困っていると、純が気まずそうに口を開く。

「車で送って行くよ」

豊洲から人形町まで、20分もかからないはずだ。祐実はその言葉に甘えることにした。

純お気に入りの、黒のマジェスタに荷物を運びいれ、助手席に乗り込む。車内には小さく絞ったブルーノ・マーズがかかっていた。

「住み心地、どう?」
「うん、いいわよ。美味しいお店も多いし、交通の便もいいし。……何の不便もない」
「そっか。良かった」

清澄通りを右折すると、見慣れた街の風景が見えてきた。お互い何か言葉を発したいのに、それはためらわれた。何を言ってももう「最後」なのだ。

人形町通りに入ると、祐実の家のマンションが見えてきた。二人が夫婦でいるのは、あと30秒だ。

「……じゃあ。元気でね」

マンションの前まで着くと、純は後部座席に置いていた荷物を出し、すぐに運転席に戻った。少し、涙ぐんでいるようだ。

「純も、ね」

豊洲と違って高層マンションがないため、人形町の空は広く、青い。古くからの人が力強く根付くこの街で、祐実は人生の「意味づけ」に終止符を打とうとしていた。


ひと段落ついた祐実。連絡が来ない、あの男は?

離婚後、祐実は死に物狂いで仕事に励んだ。寛とは、連絡を取っていない。気にならないと言えば嘘になるが、何も考えないようにした。淡々とした日常を送ることが、今は精神衛生上、何よりもいい気がしたのだ。

それから1ヶ月ほど経ったころだろうか。寛から突然、連絡が来た。

「私も、ついに決着がつきそうです。来週の月曜『焼き鳥 丈参』に予約が取れたので、久しぶりにどうですか?」

祐実は少し悩んだが、「大丈夫です」と返事した。



「この前会った時は、すぐに帰ってしまってすみませんでした」

会うなりにそう言って頭を下げる。

「いえ。何か失礼なこと、言ってしまいましたか?」

「実は、僕の元妻も同じようなことを言っていて……。思い出してしまったんです。すみません。完全な八つ当たりですね」

寛には、元妻に未練があるように思えた。

「寛さん、やり直したいと思っていたんですか?」
「いや……。もう話し合いにも決着が着いたし、実は会社を辞めようと思っていて」

その言葉に、祐実は思わず目を見開いた。

「転職ですか?」
「いや、地元の鎌倉に戻ろうと思ってるんですよ。ちょうど友人が飲食店を経営していて、以前から手伝わないかと言われていたんです」
「そうなんですか…。寂しくなりますね」

それは祐実の、心からの言葉だった。こうしてたまに食事に行くだけで、大分息抜きになっていたのだ。

「うちはね、社内恋愛だったんですけど、僕と別れてから、元妻は昔付き合っていた同僚とやり直すようなんですよ。そんなところに、もういたくないでしょう。突然“別れたい”と言い出したときから、何かおかしいと思っていたのですが」

その言葉に、祐実は絶句した。



その後は散々二人で食べて飲んだ。帰り道、人形町通りを歩きながら、寛は祐実の手を握る。



祐実はその日初めて、寛の家に行った。


お互い寂しさを抱えたまま、何かを埋めようともがいた夜だった。


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いよいよ、最終回。祐実の「理由探し」の人生についに決着がつく?