それもまた1つのLOVE。

愛してるとは違うけど、愛していないとも言えない。

あなたの身にも、覚えはないだろうか…?

渋谷のIT系企業で広報をしている衣笠美玲(きぬがさ・みれい)は、その美貌と知性で欲しいものは全て手に入れてきた。

美玲は永らく、慶應義塾大学時代のゼミ同期である翔平と特別な関係だったが、医師免許も有する医療系企業の経営者・誠一郎とあっさり結婚してしまう。

しかし実は婚約中に一度だけ、美玲は翔平を誘惑。

翔平との一夜は、ただの気まぐれだったのか。それとも...?



私が結婚する相手


−これで良かったんだわ。

虎ノ門ヒルズ51階、『アンダーズ東京』のバンケットルーム。

ヴェラ・ウォンのドレスに身を包んだ衣笠美玲は、今しがた夫となった誠一郎の、卒のないウェルカムスピーチを聞きながら改めてそう思った。

誠一郎とは、共通の友人を介し、美玲に一目惚れしたのだという彼からの猛プッシュで付き合いが始まった。

しかし実際は美玲も、彼と初めて会った時に本能で感じていた。

彼こそ私が結婚する相手だ、と。

長身でスマートな身のこなし、涼しげで端正な顔立ち。

実家は東京・四ツ谷の開業医で彼自身も医師免許を持ち、さらにはビジネスセンスにも恵まれ経営者としても成功を収めている誠一郎に、非の打ち所などない。

そして、自分で言うが、運にも遺伝子にも恵まれた、そんな彼にこそ私はふさわしい。そう思ったのだ。

列席者から送られる拍手と祝辞のシャワーを一身に浴びながら、美玲は親族席に笑顔を送った。

両家の親族からは同じ種類の、洗練された空気が漂っていて、この結婚の正しさをまた思い知る。

視線を戻す途中で視界の端に翔平の姿を捉えた気がしたが、気づかぬふりをした。

翔平は...美玲が人生で唯一、失恋した男だ。


美玲の、翔平に対する秘められた本音とは?!

強引に来てさえくれれば


その感情に気づいたのは、大学3年の夏だった。

合宿と称して、夏休みに1週間、ゼミ仲間男女7人であきらの両親が所有する軽井沢の別荘に滞在した。

よく目が合うのは、翔平が自分を見ているからだと思っていた。

彼が美玲に憧れているのは周囲も美玲自身も知っていることだったし、そもそも自分に憧れる男なら、翔平に限らず無数にいる。

しかし他のどの男にも感じない感情が、翔平にはあった。

翔平が美玲ではない女と『ツルヤ』に買い出しに行こうとするのを邪魔したくなったり、バーベキューをしている時には、翔平が他の女にお肉をとってあげているのが気に食わなかったりする。

とにかく翔平が自分を最優先にしないとイライラする。

その感情の正体が「嫉妬」であると気がついたとき、美玲はただ狼狽えた。

翔平が自分に嫉妬するのならわかる。しかし、美玲が翔平に嫉妬するなんてありえない。そんなこと、あるわけがない。

美玲の高いプライドは、翔平に抱く恋心を絶対に認めなかった。



大学を卒業すると、美玲は渋谷にあるIT系企業の広報としてますます華やかな生活を送るようになった。

実際のところ、別に美玲が自らそれを望んでいたわけではないのだけれど、医者、弁護士、経営者もしくは外資系投資ファンド勤務の男性などからひっきりなしに声がかかり、断る理由もないから誘われるがまま夜な夜な美食を堪能する。

そういった生活をしていると、そうでない種類の友達とは話が合わなくなり、気づけば周囲にいるのは同じように煌びやかな女たちばかりとなった。

女の最高値は27歳だと言うが、その頃になると美玲も、周りの女たちももはや感覚が麻痺していた。

「結婚するなら、最低でも年収3,000万は欲しいわよね」
「3カラット以下のダイヤなら、要らないわ」

そんな会話が日常的に飛び交う世界では、恋だの愛だのといった何の実利ももたらさないものの価値は軽視される。

それでも美玲が、そんな中でもゼミ仲間との集まりに律儀に参加していたのは、他でもない、翔平がそこにいるからなのだった。

改めて問えば、美玲は決してそれを認めないだろう。

しかしゼミ仲間のグループLINEのやりとりで翔平が仕事で集まりに来られないとわかるとあからさまにがっかりしたし、翔平が来ないなら、と自分も行かなかったりしたのがその証拠だ。

皆で飲んだ帰り道は、翔平が家まで送ってくれる。

ふたり並んで歩く夜道が、タクシーで寄り添う肩が、美玲は好きだったのだ。うまく言えないけれど、唯一肩肘張らずにいられる時間だったのだ。とても大切だった。

「翔平の誕生日、付き合ってあげてもいいよ」

その言葉は、美玲なりの、精一杯の告白だった。

翔平がもう少し女心のわかる男なら。そうでなくても、強引に来てさえくれれば。そうすれば美玲は、押し切られる形で彼に飛び込むことができた。

それなのに翔平は美玲を女王様か何かのように扱い、いつも機嫌を伺いながら気を遣う。

だから結局いつも、美玲は翔平の前でただの女になれなかった。


美玲も、本当は翔平のことが好きだった。それなのに、彼女が翔平を突き放した理由とは?

愛していたのは、私だけ


あの夜は、どうかしていたのだと思う。

誠一郎からプロポーズを受け、自分にふさわしい完璧な相手と結婚に向けて準備をしている最中であったのに、タクシーで寄り添う別の男の温かい肩を、触れ合う手を、離したくないと思ってしまった。

マリッジブルー、というやつだったのかもしれない。

「一緒に来て…」

それは、翔平が断れないことをわかった上で言った言葉だ。

そして翔平の唇が触れたとき、美玲は身体中から湧き上がる心の声を聞いたのだった。

ああ私、これが欲しかった、と。



しかし幸福を感じたのは、一瞬だった。

美玲を抱いた後、翔平は抜け殻のような表情をして「ごめん」と言ったのだ。

それだけじゃない。美玲はすぐに気がついた。翔平の、美玲を見る目が変わったことを。

そして悟った。翔平を愛していたのは、自分だけだったのだと。

彼の腕の中で美玲はようやくただの女になれたのに、翔平はそれを受け止めてくれなかった。

翔平との長い歴史の中で、美玲は今この瞬間、ようやく本当の自分をさらけ出すことができた。しかし本当の美玲など、翔平は望んでいなかったのだ。

翔平はいつだって気高く完璧な、クイーンとして君臨する衣笠美玲に憧れているだけ。

ただの女になってしまった美玲など、彼は愛してくれない...。

明け方、翔平がこっそり家を出て行ってしまった後、その残酷な現実に、美玲は声を殺して泣いた。


ー結婚式から1ヶ月後ー


「ただいま」

23時を回った頃、玄関から誠一郎の声がした。

リビングでうとうとしていた美玲が慌てて立ち上がると、目の前にピンク色の薔薇の花束が差し出された。

「え?!」

戸惑う美玲に、彼は満足そうに微笑む。

「プレゼント。今日は、結婚1ヶ月記念日だから」

誠一郎は、マメな男だ。女心をよくわかっていて、優しく気遣いもできる。夫として、彼以上に完璧な人はいないだろう。

「嬉しい!ありがとう」

誠一郎の前で美玲は、用意されたシナリオのように迷いなく、彼の胸に飛び込むことができる。

プラスとマイナス、凸と凹がぴったり合うように、その絶対的な安心感の前で美玲は、無邪気な少女として存在することができる。

女の幸せとはそういうものであることを、美玲は知っている。

だから翔平とは、もう二度と会わない。

幸せになると、決めているから。


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優一と再会した奈々の決意。そして月日は経ち...翔平がタイから帰国する。