ここはとある証券会社の本店。

憧れ続けた場所についに異動となった、セールスウーマン・朝子。

そこでは8年前から目標としていた同期の美女・亜沙子が別人のように変わり、女王の座に君臨していた。

年齢なんて意味を持たず、数字の出来る者がヒエラルキーの頂点に立つ営業の世界で、朝子は勝ち残ることができるのか?

数字と恋をかけた2人のアサコの闘いの火蓋が、今切られるー。

念願の本店に異動になった朝子だったが、配属された課にいる今井亜沙子という同期は、数字の出来ない先輩に土下座をさせた上に、後輩を追い込んで逃亡させるという傍若無人な女だった。

朝子は、そんな亜沙子のやり方に納得出来ず、必ず数字で亜沙子に勝つことを決意する。



19時。朝子は、一人残されたオフィスで、溜まったメールをチェックしていた。しかし心はソワソワと落ち着かず、どうも仕事に集中できない。

それもそのはず、朝子は憧れの先輩・紀之と夕飯を食べに行く約束をしているのだ。

解散をして課員がみんな帰った後も1人で席に残り、約束の時間まで仕事をして過ごす。

ーああ、なんだか緊張するなあ…。いけない、仕事仕事…。

そのとき突然、電話が鳴り出した。今井亜沙子の席から、けたたましくベルが鳴り響いている。

朝子は代わりに電話を取った。

「今井さんはいらっしゃらないかしら。私の資産についてちょっと確認したくてねぇ…」

電話口の女性は、上品な口調でゆっくりと話す。そして、朝子に代わりに調べてもらえないかと頼んできたのだった。

「少々お待ちください」

本人確認を済ませ、現在の状況を伝えるために詳細な取引を確認する。

しかし朝子は、思わず目を丸くした。

―え?この数字の単位は…百億円?こんな凄いお客さんが本店にはいるのね…。

自由が丘支店の時にはお目にかからなかった属性の顧客である。朝子は急に緊張してしまった。

丁寧に状況を報告し、静かに受話器を置く。

そして何の気なしに画面を閉じようと思った瞬間、ふと過去の担当者の名前が目に入った。

それは、朝子の前任者―。

今井亜沙子に引き継がれたのは、朝子が着任したのとほぼ同時期だ。

―これはもしかして…私が来る前に、属性の高いお客さんは亜沙子に抜かれていたってこと…?

朝子は急に胸がざわざわとしてくるのを感じた。


今井亜沙子がトップで居られるのにはワケがあった…?


朝子はいてもたってもいられず、今井亜沙子のここ最近の取引を調べ始める。

知りたいような知りたくない様な複雑な気持ちだったが、調べる手を止める事は出来なかった。

ひと通り調べ終えて、朝子はため息をつく。

ーこの1ヶ月の亜沙子の大口取引のほとんどが、私の前任からのお客さんで決めた数字だったんだ…。

亜沙子に対して一瞬怒りがこみ上げてきたが、それはお門違いだと我に返った。

後任が来る前に、前任の顧客を今いる課員に割り振るという事はあり得ない話ではないからだ。

だが朝子は、自分だって全国で十分に有名なセールスのはずなのに…と思わずにはいられない。大手顧客を担当させて貰えたら、責任を持って収益をあげる自信がある。

だけど実際には、自分よりも亜沙子に担当させた方が、いい結果が出ると思われたのだろう。

―私よりも彼女の方が期待されてるって事なのね…。

そう思うと、朝子は悔しくて仕方がなかった。



その夜、朝子は紀之と『十番右京』に食事にやってきた。

紀之はずっと嬉しそうな顔をしながら朝子を見つめている。

「いやー本当に可愛いね。朝子ちゃんは。あ、朝子ちゃんって呼んで大丈夫だった?」

席に着いた途端、朝子に向かって紀之は言った。

その話し方や表情は、オフィスにいる時の緊迫感のある紀之とはまるで別人だ。

ーあれ?昼間に会社で会うときとはまるで別人みたい…。なんだか軽い人だなあ…。

「あ、はい…。大丈夫です…。」

紀之は、最初に見た時から朝子の事を可愛いと思っていたとか、毎日朝子の姿を見るだけで癒されるなど、溺愛に近い言葉をかけてくる。



憧れの人物からそこまで言われて嫌な気はしないものの、紀之はてっきり硬派なタイプだと思っていただけに、朝子は警戒心を抱いてしまう。

しかし紀之は、急に真顔になって朝子の顔を覗き込んだ。

「朝子ちゃん、大丈夫?寺島さんに追い込まれてない?」

心配そうな口調で紀之は言う。

「追い込まれてないって言ったら、嘘になりますけど、なんとかやってます。今はまだ予算をやるのが精一杯で、課の数字はほとんど今井さんに頼りっぱなしなんです。」

朝子は悔しさを噛み締めながら言った。

「早くみんなから頼られるようになりたくて。」

朝子の話を真剣な様子で聞いていた紀之だったが、少し納得がいかない様子で「ふーん」と言う。そして、少し間をあけてからポツリとこう言った。

「まあ今井亜沙子は、多少営業センスはあるのかもしれないね。」

―どう言う意味なんだろう?彼は、亜沙子のことをどんな風に思っているのかしら…?

朝子は黙って紀之を見つめながら、彼が自然と続きを語るのを待つ。

「この仕事のいいところはさ、与えられた客だけで戦わなくてもいいってところだと思うんだよ。」

興味津々な表情で自分を見つめる朝子に気分を良くしたのか、紀之は先輩らしさを出して続けた。

「俺は、一番優秀なセールスって言うのは、客を作れる奴だと思ってるんだ。朝子ちゃんもさ、今はいい客はほとんど今井亜沙子が担当してて、大変な思いをしてるんだろうと思うよ。でも、そんな事はいくらでもひっくり返せるから。」

そして、きらきらと輝く瞳を朝子に向けると、こう言った。

「要はさ、自分でもっとでっかい客を作ればいいだけなんだよ。それがこの仕事の面白いところだと思うんだよね。」

紀之は本当にこの仕事を面白いと思っているようだ。拳を固く握りしめながらしみじみと語っている。

―確かに心のどこかで、亜沙子にいいお客さんを抜かれてさえいなければ、もっと数字が出来るはずなのに…と思ってしまってた。でもそんな事は結局ただの言い訳だったんだ。

はじめは紀之の軽いノリにすっかり引いていた朝子だが、いつのまにか彼の話に聞き入っていた。仕事についての彼のアドバイスは的を得ていたからだ。


思いのほかチャラ男だった紀之。しかし彼のアドバイスは朝子に影響を与えていき…?

朝子もいつの間にか笑顔になっている。さっきまでモヤモヤと悩んでいた事が、吹っ切れたような気がした。

「そうですね!いなければ作ればいいんですよね!」

紀之は「そうそう」と言い、腕を組みながら頷いている。

その後は、2人とも酔いが程よくまわり、職場の人達の話題で時間も忘れて盛り上がった。

紀之は、寺島の扇子の意味がわからないとか、寺島はいつも椅子にふんぞり返っているからもうすぐ背もたれが外れるとか、好き勝手な事を言っている。朝子はおかしくなって、ケラケラと笑ってしまった。

帰り道、紀之はタクシーで家まで送ってくれた。

そして別れ際、朝子がタクシーを降りたとき。一旦車を降りた紀之がハグをしてきて、耳元で「また2人で食事に行こうね」と囁いたのだ。

朝子は呆気にとられながら、去っていくタクシーを呆然と見送っていた。

―や、やっぱりとんでもなく軽い人だわ…。

再び彼への警戒心が湧き上がってくる。しかし彼からのアドバイスはしっかりと胸に刻まれていた。

そしてこの日以来、紀之の言葉に感化された朝子は、日々の数字をこなしながらも新規開拓を始めたのだった。



新人の時には言われるままにやっていた新規開拓。しかし入社8年目にもなると色んな知恵がついてきて、楽しみながら出来る気がする。

―とにかく、効率良く新しいお客さんを作っていかないと…。

日々の予算を追っている朝子には、1日中飛び込み営業をする様な時間はない。

まずは有力そうな企業をいくつか絞り込む。そのあとは外出の度に足繁く通ったり、新たな富裕層に出会えそうなお客さんの集まりに顔を出させてもらったりと、限られた時間の中でできる事を地道に続けていた。

―いつか絶対に自分の力で、大きいお客さんを作る。そして必ず亜沙子の数字を超えてみせる…!



朝子が新規開拓を始めた一方で、ここ最近の亜沙子は様子が妙である。

後輩の中島が姿を消したからなのか、以前は四六時中聞こえていた中島への罵声がオフィスに響き渡る事もなく、一言で言えばやけに大人しいのだ。

しかし朝子は、あることに気がつくようになった。オフィスから出る時も、電話でお客さんと話している時も、いつもねっとりとした亜沙子の視線を感じるのだ。

そしてその頃の朝子は、仕事は相変わらず辛いはずなのに、不思議なほど毎日会社に行くのが楽しみになっていた。

撒いてきた種の芽が、少しずつ出始めたのだ。

新規開拓をはじめてからというもの、お客さんの紹介で新たな口座を開いてくれる人も現れた。

まだまだみんながビックリする様な大きな顧客ではないが、この地道な活動の大切さを改めて感じる。

そんな毎日を送っていた矢先のことー。

ある日の夜、そろそろ帰ろうかと思ったところに、紀之から再びメールが来た。また、食事の誘いである。

ー思いのほか、紀之さんが軽い感じなのはショックだったけど、やっぱり憧れの存在には変わらないわ。彼に励まされたおかげで仕事も好調だし、お礼もしたいかなあ…。

なんとなくウキウキしながら返信を打つ。

そして浮かれる朝子は、その背後から今井亜沙子がじーっと自分のPC画面を見ていたなんて知る由もなかった。


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朝子にしのびよる、亜沙子の魔の手…。