“夫婦”

それは、病めるときも健やかなるときも…死が二人を分かつまで、愛し合うと神に誓った男女。

かつては永遠の愛を誓ったはずなのに、別れを選んだ瞬間、最も遠い存在になる。

10年前に離婚した園山美月(35)は、過去を振り切るように、仕事に没頭していた。


美月の機転、そして小春のアシストででっち上げのスクープを撃退に成功した二人。

“世界で活躍するモデルを育てたい”美月と、“世界で活躍するモデルになりたい”小春。二人の強い思いはさまざまな障害を乗り越えながら、着実に形になりつつあった。

美月から元夫を奪った過去の敵であり、小春の母親である優香子も、二人の強い意志を目の当たりにし、もはや口出しすることはできなかった。



美月が立ち上げた「Chel-sea」は、順調に業績を伸ばしていた。

看板モデルは、もちろん小春だ。CM出演、雑誌のカバー、そして日本に進出した海外ブランドのメインモデルに起用されるなど、活躍の場を広げている。

そして立ち上げから1年経った今、所属モデルが増えたためスタッフも増員し、仕事の案件も増え、いよいよモデルプロダクションらしくなってきた。

美月は先を見据えて、ある決意をしていた。



スマホの着信画面を見て、美月は途端に顔を曇らせた。里沙から電話がかかってきたのだ。

―あー、嫌な予感。

里沙からの着信があるだけでそんな気持ちになってしまうほど、この1年本当に色々なことがあった。

「もしもし?」

「み、美月さん…大変です!」

「また?!」

里沙の焦った様子に、思わずそう答えてしまう。

順風満帆…といえるのはまだまだ先かも。美月はやれやれと、ため息をついた。

とにかくすぐに会って話したいと電話口で里沙に告げられ、美月は撮影の現場が終わるとすぐに事務所に駆けつけた。

そこには、神妙な面持ちの里沙と、和也が応接室にいた。

「どうしたのよ、二人して。この世の終わりみたいな顔してるわよ」

美月もソファーに腰を下ろし、二人と向き合った。

和也が意を決したように口を開く。

「僕たち、結婚します…」

悲痛な声で和也はそう言い、美月に向かって謝罪でもするかのように頭を下げた。


「結婚」という響きには美月の胸を締め付ける。かわいがっていたスタッフたちからの衝撃の報告を受け、美月は思わず…。

和也の姿を見て、里沙も同じく頭を下げる。少しの沈黙の後、ゆっくりと美月は口を開いた。

「報告の内容とテンションのギャップがひどいわよ」

和也と里沙は、弾かれたように顔を上げる。二人のほっとしたような顔を見て、美月は思わず笑ってしまった。

「さては、おひとり様に幸せな報告をするのが心苦しいってわけね」

おどけてそう言うと、つられた二人もようやく笑顔を見せた。

「おめでとう。今日はもう定時終業よ。ごちそうさせて。話は飲みながら聞くわ」

美月がバッグを持って立ち上がろうとすると、里沙が美月を呼び止める。

「あの…私…!」

「わかってるわよ。飲むのは私。しらふでのろけ話聞けるほどタフじゃないの。里沙はノンアルね?」

里沙はようやく安堵の表情を見せると、愛おしそうにそっとお腹に手を当てた。



突然にはじまったささやかな祝宴の舞台は、『ノマドグリルラウンジ』。

美月の反応を見て二人は安心したのか、少しずつ笑顔を見せ始める。

結局お酒を飲んでいたのは美月だけだが、二人は饒舌によく喋り、大笑いをし、これでもかというくらい食べていた。

里沙は、ステーキをぺろりと平らげて、さらにバゲットやサラダをつまみながら、デザートメニューをめくっている。

「食べづわりっていうんですかね。食べてないと気持ち悪くなっちゃうんです。産んだらトレーニング頑張りますよ!もちろんすぐに仕事に戻ります」

「こっちはいつでも待ってるから、今はお腹の赤ちゃんのことだけ考えて。私も元気な赤ちゃんに会えるの楽しみにしているから。それにしても、二人が…いつの間に。まったく隅に置けないわね」

里沙は、和也との馴れ初めを語ってくれた。

和也の長年の猛アプローチに辟易としていたこと。仕事やプライベートで辛いことが重なったタイミングで、急に寄り添いたくなったこと。

「なよなよしているし男らしくない」と一刀両断していた和也の優しさや誠実さに惹かれたこと。

そこまで話すと、お腹を指差した。

「そしたらあっという間にこれです」

里沙のあまりにも開けっぴろげな言い方に、三人は大笑いする。

「じゃあ、パパとして和也にももっとしっかりしてらわなきゃいけないわね。ますます仕事頑張ってもらわないと」

「もちろんです!」と、和也は威勢良く答え、美月は安心して話を進める決意をした。

「私は、現場から距離を置くわ。一年この目でしっかり見届けて、もう大丈夫だって確信したの。モデルもスタッフも、100%信頼できる。

これからは『Chel-sea』をもっと良い環境にできるように、現場を離れて社長業に専念するわ」

里沙と和也は真剣な眼差しで、美月の言葉を聞いていた。

叩き上げでやってきた美月にとって、現場を離れることは名残惜しくもある。でも、自分が一線を退くことで、スタッフたちの士気もあがり、「Chel-sea」はさらに飛躍するだろう。

「というわけで、和也がチーフマネージャーよ」

「はい!頑張ります!」

和也と里沙は目を合わせ、そっと手を触れ合った。

「それでも、小春は美月さんじゃないと…」と、里沙が心配そうに言う。

「小春なら大丈夫。…ねえ、帰国子女っていいと思わない?海外行くのに全然気負わないんだから」

美月が笑いながら答えると、「え?」と和也と里沙は声を合わせた。

「父親の海外転勤が決まったの。赴任先は、イギリスですって。つまり今後の小春の活動の拠点はロンドンよ」

「本格的に海外進出ですか?」

美月は笑顔で頷いた。

そう。道は、世界へと続いていくのだ。


小春の覚悟と、美月の決意。そして未来を見据えて、今一度元夫と向かい合うとき…。

裕一郎のロンドン赴任が決まったのが、3ヶ月前だ。

真っ先に報告と相談をされた美月は「話す相手が違う」と一刀両断したものの、どこかその気持ちがわかるような気がしていた。

きっと、裕一郎は家では優香子に対して、こんな風に甘えられないのだろう。

小春のステップファザーとして、一家の大黒柱として、ずっと気を張って過ごしてきたのだ。

そんな中で起きる夫婦の不和にもうまく対応できず、思春期の小春の扱いに手間取り、こうしているうちに仕事の転換期も訪れた。彼なりに迷っているのだろう。

「美月とは戦友のようで、ライバルのようで、不思議な関係だったな」

再会後の裕一郎はしきりにそう言った。美月もそこに同意はしている。

「だからつまり、夫婦にはふさわしくなかったってことよ」

それが、すべてなのだ。

でも、これ以上友情を深めている場合ではないことも、美月はわかっていた。

乾家のためにも、そして美月自身のためにも「裕一郎のロンドン行き」はベストなタイミングなのかもしれない。

そして、小春のために。

小春が告げるであろう言葉を、すでに美月は確信していた。

「美月さん、私、パパと一緒にイギリスに行きたい。ファッションの本場で、モデルを目指したい。まだ中学生だし、アジア人だし厳しい道のりかもしれないけど、こんな機会、なかなかないと思うの。どうか挑戦させてください」

「あなたはそう言うと思っていた。いってらっしゃい。もう向こうのエージェンシーにはプロフィールを送ってるわよ」

小春は驚いた顔を見せると、「ありがとう」と涙声で言いながら、美月の首に抱きついた。

異国の地で小春はさらなる大きな夢を目指す。そして美月がいない場所で、三人は家族を再構築するのだ。

―さてと、私も…。

元夫の家族のために奮闘し、かわいがっていたスタッフの結婚を祝福し、美月は晴れやかな気持ちだった。

―そろそろ自分を許そう。

ふいに、そう思ったのだ。

許すべきは元夫でも、その妻でもなく、自分自身なのだ。

小春との出会いを通して、裕一郎のことも優香子のこともとっくに許していることに気づいた。

「不倫されて、みじめに捨てられた自分」に罰を与えるようにがむしゃらに働き、恋愛を拒絶し、仕事に生きるという決意が絶対に揺らがぬように、ずっとかたくなだった。

でも、もうそんなことには囚われない。





成田空港で、乾家の三人を晴れやかな気持ちで見送ってから月日は過ぎ…

「私が里沙と和也の子どものマネージャーをやる日がくるなんて、夢にも思わなかったわよ」

子供服のブランドの撮影に立ち会いながら、美月は電話口の里沙に大げさに愚痴を言う。

母親似のやんちゃな4歳の女の子は、電話中の美月の足に抱きついてはしゃいでいる。

「人手不足なんで、社長、よろしくおねがいしまーす!金の卵ですよ」

里沙は母親になっても、相変わらずの笑い声だ。もう職場に復帰し、広報担当として駆け回っている。

「そろそろここは和也とバトンタッチするから。私は成田に向かうわ」

「早く私も小春に会いたいです」

「ロンドンの売れっ子モデルよ。もう呼び捨てできないかも」

美月は手元にある雑誌を見つめた。

海外の一流ファッション誌の表紙を堂々と飾る日本人、KOHARUがそこにいる。

ーまた日本で仕事したいの。美月さんよろしくね。

小春のきまぐれに、これからもずっと振り回されていこう。

そして、きっと小春にも聞かれるであろう恋愛話は…。

どこから話そうかしら、と考えながら指輪を見つめる。

小春が旅立ってから長い月日が経ったのだ。馴れ初めを話すだけで夜が明けてしまいそうだ。

ーねえ、美月さん。例の"元カレ"とは、どうなったの!?もしかして…?

小春からはそんなLINEも届いていた。だけどー。

「もう、"過去の男"はまっぴらだわ」

美月はそう呟くと、スタジオを後にした。

Fin.