−女なんて、どうせ金を持ってる男が好きなんだろ−

そんな風に思うようになったのは、いつからだっただろう。

慶應義塾大学入学とともに東京に住み始めた翔太は、晴れて慶應ボーイとなるも庶民とセレブの壁に撃沈。

さらには付き合い始めた1歳年上の女子大生・花純が、お金持ちのおじさんに群がるいわゆるビッチだったことが判明。その悔しさをバネにした翔太は、大手総合商社の内定を勝ち取る。

若手の間は苦汁を飲んできた翔太だったが、28歳、社会人6年目でついにモテ期到来!

調子にのる翔太。しかし噂話で、同期のコジマが出世レースの先頭にいることを知り、小さな焦りを抱く。


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30歳。初めて結婚を意識した女


「新郎・小島悟さんは早稲田大学政治経済学部をご卒業され…」

新郎新婦の生い立ちから学歴・経歴をつぶさに紹介する司会の女性。

よく通るその声のおかげで、僕は同期・コジマの妻となる女性が、東大出身、外資系コンサル勤務のバリキャリだということを知りました。

30歳になる年の、春のこと。僕は同期・コジマ夫妻の結婚披露宴に参列しました。

これまで同期の結婚式はホテルウェディングが定番だったので、コジマが当時流行っていたゲストハウスを選んだのは意外でした。見るからに押しの強そうな、妻たっての希望でしょうか。

新郎側最前列のテーブルに座り、僕はコジマの妻を観察します。

申し分のない学歴・経歴。なるほど知的な女性ではあります。

けれど、どう見ても地味。ウェディングドレスに身を包み、ここ一番のヘアメイクをしているのにこの華のなさ…一体、普段はどれだけ地味なのかと心配になるほどです。

−ま、そもそもコジマが地味だからな。

なんて、すみません。ハレの席に言うことではありませんね。

…ええ、悔しさ半分であることは認めますよ。

まさかずっと下に見ていたコジマが実は上司から評価が高く、僕より給料が多かっただなんて…そんなこと知ってしまって、嫉妬しないでいられるわけないじゃないですか。

ただコジマの妻が地味めだったという事実は、僕の自尊心をかろうじて保たせてくれました。

というのも、僕には最近できた自慢の彼女・みな実の存在があったから。

損保OL・里香と別れてから本格的に再開したお食事会で、大手IT企業に勤めるみな実と出会ったのは半年前のこと。

僕と同じ慶應経済学部卒で、2歳年下の28歳。頭がよくて話も面白く、さらには気遣いも完璧。そして何よりすれ違う男という男が必ず振り返るほどの美貌の持ち主なのです。

−みな実となら、結婚もアリだな。

浮かれる僕はそんな妄想まで繰り広げていました。

…みな実の実際を、よく知りもしないままに。


初めて結婚を意識した女性・みな実との出会い。しかし美貌の彼女は、一筋縄ではいかなかった。

「俺、みな実となら結婚してもいいな」

コジマの結婚式から程なく、当時できたばかりの六本木ヒルズで映画デートをした後だったと思います。

僕としてはプロポーズの前段階、軽く反応を伺うつもりで、初めて「結婚」のワードを出してみました。

30歳。残業代も含めついに額面1,000万円の大台を超えた僕は、正直高をくくっていたんです。

30代で年収1,000万円以上を稼ぐサラリーマンの割合は、たったの0.4%。つまり僕は上位0.4%に分類される男になったわけです。

確かにみな実は最高にいい女だけれど、とはいえ所詮は一般人のOL。28歳という結婚適齢期でもあるし、僕が相手で不足はないはずだ、と。

それなのに。彼女、なんて言ったと思います?

「...え?ごめん。私、商社マンと結婚する気ない」

思わず耳を疑いましたね。すぐに言葉の意味を理解できず、しばし放心してしまったほどです。

どうやら彼女、話も合うし楽しいからと僕とも継続的にデートしながら、結婚に関してはシビアに他も同時並行していたようで。

「じゃあどういう奴と結婚するんだ」とムキになって問いただしたら、「年収3,000万円以下はあり得ないかな」などと宣ったのです。

「子ども産んだら私も仕事辞めたいし。都内で贅沢しようと思ったら、そこ最低ラインじゃない?」

涼しい顔で言い放つみな実に、僕は「現実を見ろ」と言ってやろうとしました。

しかし普段は愛嬌ある笑顔を見せているのに、そのとき改めて見据えた彼女の横顔はぞっとするほど冷たく、そして美しかった。

それで、何も言えなくなってしまったんです。


舞い込んだ駐在のチャンスは、男をあげるきっかけとなるか


みな実との結婚が夢と消えた僕に、仕事で新たなチャンスが舞い込んできました。

2年間の期間限定ですが、ようやく駐在の声がかかったのです。

商社マンたるもの駐在は憧れ。ずっと希望は出していましたが、これまでなかなか縁が巡ってこなかった。

僕にしてみれば待ち望んでいた辞令。しかも行き先がシンガポールなんてかなりラッキーです。当然、二つ返事で引き受けました。

学生の頃、英語力が足りないがために、外資系投資銀行への就職を断念した話は前にしましたよね。

当時も正直自信があるとは言えないレベルでしたが、失敗を恐れず飛び込んでしまえばなんとかなるもの。

薄っぺらく聞こえるかもしれませんが、そういう新天地に飛び込む度胸とか社交性って、これまで散々トライアンドエラーを繰り返した女性経験が培ってくれたように思うんです。

そう考えると、やはり人生に無駄な経験ってないんですよ。


初の駐在。しかし帰国後の翔太を待ち受けていたのは、世知辛い現実だった…。

短期ではありましたが、シンガポール駐在は僕の経験値をまたぐっと上げてくれました。

初の海外駐在で、仕事面で特筆すべき成果を残せたかというと…微妙なんですが(笑)、連日のように組み込まれる接待ゴルフのおかげで、ゴルフの腕は驚くほど上達しました。

調子が悪くなければ安定的に100を切るレベルになったので、これからは誰と回っても恥をかかずにすみそうです。

またシンガポール航空をはじめ、JALやANA、キャセイパシフィック航空などCAとのネットワークがかなり強化されましたね。…いや、別に自ら画策したわけじゃないですよ。

駐在しているとやたら声がかかるんです、CAとの食事会。

何人かフライトのたびに個別で会うようになった女の子もいましたが、正直なところみな実を超えるような女はいなくて…。

渡星してから、僕はみな実とまったく連絡を取っていませんでした。

当時はLINEもメッセンジャーもないし、わざわざSkypeを使ってするような話も、僕とみな実にはもうなかったから。

しかし「商社マンと結婚する気ない」なんて酷いことを言われたというのに、いや、そんなあるまじき屈辱を与えられたからこそ、僕の中でみな実が神格化されるような感覚があって。

みな実があっさり見限った“エリート商社マン”の肩書き。そんなものにつられて簡単に寄ってくる女を、どこか見下すようになってしまったんですよね。

僕もドMというか、屈折しているというか…。

とにかく駐在を終えて日本に戻ったら、ひとまわり大きくなった自分でもう一度みな実に会いに行くつもりでした。

28歳という適齢期を迎えてもなお「年収3,000万が最低ライン」とかふざけたことを言っていた女です。結局相手が見つからず、独身のまま売れ残っている可能性も大いにある。

その時こそが僕の出番に違いない、なんて願望じみた未来予想図を勝手に描いていました。

こうして客観的に語ってみると、僕もなかなか執念深い男ですね。

しかしそのくらい、みな実は僕にとって特別だった。どうしても手に入れたいと思わせる女でした。



ところが現実というのは、時に残酷なほどの試練を与えるものです。

2年間のシンガポール駐在を終え、久しぶりの東京に胸踊らせて日本に帰国した僕を待っていたのは…にわかに信じがたい事実でした。

まず、同じ部署の同期・コジマが、僕を差し置き課長代理に昇進していました。

そしてみな実も、宣言通りの玉の輿婚をしていたのです。


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32歳。苦境に立たされた商社マンが選んだ、新たな道とは…


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