2020年。今までの「当たり前」が、そうではなくなった。前触れもなく訪れた、これまでとは違う新しい生活様式。

仕事する場所が自宅になったり、パートナーとの関係が変わったり…。変わったものは、人それぞれだろう。

そして世の中が変化した結果―。現在東京には、時間が余って暇になってしまった女…通称“ヒマジョ”たちが溢れているという。

さて、今週登場するのはどんなヒマジョ…?

▶前回:「嘘でしょ…この時期に、泊まりでそんなコトするの?」同棲していた男の行為に、一瞬で冷めた女



−2020年1月末

『おめでとうございます♡28歳の若さでお店出すなんてすごーい!』

『沙奈ちゃんらしい、センスのあるお店ですね。美しいだけじゃなくて、夢も叶えてて素敵です!』

Instagramの投稿についた、大量の"いいね"とコメントに思わず頬が緩む。

私は、先日レモネード店「レモフレッシュ」を青山の骨董通りにオープンさせた。

大ブームを起こしたタピオカは、私たちアラサーにはハイカロリーだし、ちょっと重い。そこで、大人にウケそうなものを、と考えた末にたどり着いたのがこれだった。

ーレモネードにして正解だったなぁ...

新たなブームとして連日メディアが取り上げたことや、勝手に宣伝してくれる友達やフォロワーのおかげもあり、売り上げは順調。

今までに感じたことのない充実感と、大量に押し寄せる取材依頼のDMに胸が高鳴っていた。

新作のミントレモネードを片手に、ファンからのコメントにひとつずつ返信していく。

すると、アンチからの意地悪なコメントを見つけてしまった。

『これ、絶対後ろ盾があるだろ。笑』

ーふぅん。こんなこと書いて、暇なのね。

都合の悪いコメントでも削除はしない。さらに否定も反論もしない。

炎上させたくないという意図もあるが、反論できないのだ。

なぜなら、まさにその通りだから。


男の力を借りて、夢を叶えた沙奈。彼女が店を出すことになった経緯とは…

レモネード店のオープンには、恋人の力を借りた。

知識の乏しい28歳の女子が1からお店をつくるのは、とんでもなく難しいし、体力も気力も使う。

もちろん経営なんかしたことないし、学んだこともない。お店のデザインや、メニュー、コンセプトだってザックリとは思いつくが、それをどうしたら形にできるか、さっぱりわからない。

そして、一番必要である資金。借りてまで用意するなんてリスキーなことはしたくない。

だから私は、恋人に全て出してもらった。優秀な経営コンサルタントとアートディレクターも、彼が紹介してくれた。

そうしてようやく、私のお絵描きレベルの夢が素敵なお店へと孵化したのだ。

中にはあざ笑う者もいるだろう。でもこれは、私の夢を叶えるための手段。

世の中結局は、綺麗で賢い女がおいしい思いをするように出来ている。

美しさは武器だ。それを使って何が悪いというのか。



老舗の劇団で舞台女優をしていた私は、もう開花することはないと悟り、25歳で女優の道を諦めた。

そして、知り合いに紹介された会社受付の仕事を始めた。

その会社の代表に初日からランチに誘われ、気に入られた。付き合うことになったのも自然な流れだ。

でも、仕事は一向に楽しくならず、いつまで経ってもつまらなかった。

何をしている企業なのかもよく知らないまま、濃いメイクをして、はりついたような笑顔で受付業務を繰り返す日々。

彼からは結婚して専業主婦になってもいいだとか、正社員にしてあげると言われたが、私はどちらも断った。

それは、なりたい自分とかけ離れていたから。

女優時代から続けていた、美容雑誌モデルやサロンモデルのバイトのほうが楽しかったのは、自分じゃなきゃ務まらないと勘違いさせてくれたからだろう。

でも、私なんかじゃ有名雑誌の表紙を飾るモデルにはなれない。

結局今のままじゃ満たされなくて、心が常に飢えていて、ずっと何かが足りないと感じていた。

そうしてモヤモヤとした気持ちのまま迎えた、28歳の誕生日。

面白いものが食べたいという私のリクエストに応え、恋人の栄治は外苑前の『L’EAU(ロー)』に連れて行ってくれた。

そして、ジャガー・ルクルトのレベルソとグラフのペンダントをプレゼントしてくれた後で、こう言ったのだ。

「沙奈、店出すってのはどう?俺がお金出すけど、共同経営にしようよ」

栄治に何を提案されても首を縦に振らなかった私が、そのとき初めて目を輝かせた。

「え!?いいの?」



付き合ってから一度も見たことがないであろう私の心からの笑顔に、彼は驚いて、同時に満足気だった。

そうして、全てを整えてくれた彼とお店を出すことにしたのだ。

何もかもが順調だった。

今まで味わったことのない充実感を体中で受け止めていた。

なのに...

2020年、新型ウイルスが蔓延し、世界は未曾有の事態に陥った。その影響をしっかりと受け、悲しいことにオープンして僅か3ヶ月で経営難に陥ったのだ。


店が閉業に追い込まれた矢先、沙奈の身体に異変が。その理由はまさかの…

そうはいっても、小さなお店だ。栄治にとっては趣味みたいなものだろうし、このくらいの危機などどうってことないとすっかり安心しきっていた。

しかし、現実は違っていた。

栄治が代表をしている会社は規模で言うと、中小企業。大企業のようにこの危機を乗り越えるだけの体力がなかったのだ。

「ごめん。沙奈を喜ばせたかったんだけど、会社の資金繰りが大変で...レモフレッシュの営業を続けて行けそうにない」

「そっか...」

自分でなんとかしようと調べたが、国から補助金をもらっても、家賃が高すぎて営業を続けるのは無理だと判断した。

こうして、わずか数ヶ月だけの私のお城は、音を立てて崩れていった。

時を同じくして、栄治との関係もギクシャクし始めた。

落ち込んでいる私を喜ばせようと、彼は高級アイスや花を宅配で贈ってきたが、私はまともに取り合わなかった。喪失感から抜け出せずに、自分の殻に閉じこもっていたから。

栄治も諦めたのだろうか。頻繁にきていた連絡すら来なくなった。

仕事も恋人も一度に失い、そうなってみると私にはやることが何もない。急に人生が空っぽになったような、そんな感覚だ。

しかし当然の報いだと思った。もともと外見くらいしか取り柄がなかった私が、東京の一等地に店を持てるなんて、栄治のおかげ以外の何物でもなかったのだから。そしてその栄治さえもいなくなってしまった。

毎日何もせず、1DKの狭い部屋でぼんやり過ごすことが増えていく。

そんな風に無気力で過ごしていたある日、突然胃に不快感を覚えた。

ーうっ、気持ち悪い。

果物しか食べたくなく、飲み物は炭酸入りでないと受け付けない、体験したことのない違和感。

ハッとしてカレンダーを見ると、随分と遅れている。

ーまさか、妊娠してる...?

翌朝、買ってきた検査薬を使う。1分間ドキドキしながら待つと、しっかりと縦のラインが入っていた。

「もしもし、栄治さん?私。あのね、さっき検査したら、陽性だった」

「え!!それは大変だ...体しんどくない?熱は?味覚はある?」

「熱は、微熱がずっと続いていて。とにかく気持ち悪いの。スイカが食べたいよ〜」

「わかった。届ける。家だよね?待っていなさい」

久しぶりに聞く声に体の力が抜け、安心する。

ところが30分もしないうちに現れた栄治を見て、私はギョッとした。

両手にスイカを1つずつぶら下げていた彼は、どこで入手したのか、フルフェイスの防護マスクを被り、完全装備していたのだ。



その姿に驚き、大きな声を出してしまった。

「ど、どうしたの!?その姿」

「いや、これは、その...。気を悪くしないでほしいんだけど、沙奈からうつったら大変なことになるだろ。一応会社のトップとして、従業員に感染させちゃまずいから」

「え?」

「え??」

しばらく何のことかわからず、ぽかんと口を開けていたが、ようやく意味を理解した。

「もしかして、陽性って言ったから…。私が感染したと思ったってこと!?」
「違ったの!?」

思わず苦笑いして、栄治を見上げる。

「マスク、外していいよ。私の言葉不足でごめんなさい。陽性だったのは、妊娠検査薬の話で...」

「うそ!妊娠!?本当に?沙奈ちゃん!!」

床にごろっと防護マスクが落ち、抱きしめられた。栄治の目には涙が浮かんでいる。

ーなんだ...私、とっくにこの人に必要とされてたんだ。

気づけば一緒になって泣いていた。

やっと落ち着いてくると、栄治は私の背中をさすりながら言う。

「もうツワリって始まってるの?外は暑いし、指輪見に行くのは大変かな...茜さんに家に来てもらおっか?」

茜さんは、ラグジュアリーブランドのマネジャーで共通の知り合いだ。

「茜さんは百貨店の外商担当じゃないんだから、そんなお願いしたらだめだよ。…それより、今までごめんね。私自分勝手すぎたよね」

自分の行動や思考を反省し、栄治の目を見つめた。

「好きな女を幸せにすること以上に、大事なことなんてある?気にすんな」

栄治の手は温かく、全てを包み込んでくれる。涙と鼻水でぐしゃぐしゃの私の顔を、可愛いと言ってぎゅっと抱き寄せた。

分厚い胸にしがみつくと、微かなタバコの匂いすら愛おしく感じる。

この人を失わなくてよかったと心から思った。

守るべきものがある私は、今とても強い。いつか自力で、お店をやり直そう。

そして、もう二度と大事なものを失わないようにと、手を背中に回して強く抱きしめた。


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