「恋愛では、男が女をリードするべきだ」。そんな考えを抱く人は、男女問わず多いだろう。

外資系コンサルティング会社勤務のエリート男・望月透もまさにそうだ。これまでの交際で常にリードする側だったはずの彼。

ところが恋に落ちたのは、6歳上の女だった。

年齢も経験値も上回る女との意外な出会いは、彼を少しずつ変えていく。新たな自分に戸惑いながら、波乱万丈な恋の行方はいかに…?

◆これまでのあらすじ

元夫・真一の言葉に動揺する朱音。透は、千晶から朱音が他の男性といることを知らされるが…?

▶前回:「既成事実さえあれば…!」料理を持って男のタワマンに押しかけた女が受けた、まさかの屈辱



「お先に失礼します」

仕事を終えた朱音は、待ち合わせ場所に向かうため、急いでタクシーに乗った。

オフィスを出てからタクシーに乗り込むまでの一瞬。そのわずかな時間、外に出ただけなのに、身震いしそうになるほど空気は冷たい。

ふと気がつけば、2020年も残りわずかだ。毎年この時期になると、一年なんてあっという間だと思うが、今年は特に早かった気がする。

春、夏、そして秋。四季を楽しむ余裕がないまま過ぎてしまった。

−1年前、こんな風に世界が変わってしまうなんて想像もしなかったなあ。

タクシーの中から銀座の街を見つめながら、朱音はぼんやりと考える。

街ゆく人々が皆、マスクをしていて、検温と消毒をしなければ入店出来ない。1年前にはありえなかった光景だろう。

将来のこと、1年先のことなんて誰にも分からないのだ。そしてふと、思った。

−1年後の私は、どうなってるんだろう。

朱音の脳裏に、透と、元夫・真一が同時にちらついたが、1年後の自分は変わらず1人でいる気もする。

そんなことを考えているうちに、タクシーはお店の前に到着した。


過去の失敗から自信をなくしてしまった朱音。そんな彼女に刺激を与えたのは…。

「…で?」

親友の葵は、刺々しい口調で言った。

「久しぶり」という挨拶すらなく、単刀直入に話題に入る。思い返せばそれが彼女のいつものスタイルなのだが、朱音は久しぶりの葵節に面食らった。

さらに葵は、朱音が今回彼女を呼び出した理由を当てにかかる。

「気になっていた彼が、別の女に取られそうなところだから諦める。そんな時、他の男から連絡があって迷ってるとか?」

修正のしようがないほどにぴったりの推理で、言葉を失ってしまう。

建前や忖度といったことは一切しない代わりに、彼女は常に本質を突いてくるのだ。

観念した朱音は、最近の出来事を包み隠さず話すことにした。

しかし、はじめは優しく聞き役に徹していた葵が、朱音の話が進むにつれて様子が変わっていく。

いよいよ千晶の登場のあたりからだんだんと雲行きが怪しくなってきて、元夫・真一と会ったという段には、あからさまに機嫌の悪そうな顔をしていた。

「それで良いの?」



「えっ?」

予想外の言葉に、朱音は思わず葵の顔を見た。

「朱音がどうしたいか、そこだけ抜けてるけど。…相手がどうとか、ライバルとかどうでも良い。私が聞きたいのは、朱音がどうしたいか」

顔つきは険しいように見えるが、その目は朱音を心配しているのが分かる。優柔不断な自分に手を差し伸べようとしてくれているのだ。

「私…」

そこまで言いかけて、やはり口をつぐんでしまった。葵の優しさにどうにかして応えなければならないと思ったが、言葉にするのが怖かったのだ。

言葉にしてしまったら、責任を負わなければいけない気がして。でもそうやって自分は、今までずっと逃げてきた。

結局だまりこくって俯いていると、葵が唐突に尋ねる。

「最近、音楽とか聴いてるの?」

この質問に、朱音はハッと顔を上げた。




中途半端な自分との決別


「俺、朱音さんのことが好きなんだ」

カフェに千晶を呼び出した透は、自分の思いをぶつけた。朱音に想いを伝える前に、彼女には分かってもらう必要があると思ったのだ。

諸悪の根源は、自分の中途半端な態度だ。朱音と千晶の両方を傷つけることになってしまったことは、申し訳ないと思っている。

すると彼女は、こちらをキツく睨みながら、低い声でこう呟いた。

「なんで。なんで、あんなおばさんが良いのよ」


ようやく千晶を拒絶した透。一方の朱音が取った行動とは?

「年齢は関係ない。ただ、朱音さんのことが好きなんだ」

それは、透の本心だった。

彼女に一目惚れしてから色々と迷ってきたが、自分は朱音のことを強く想っている。これだけは変わらない事実だ。

気づいてしまった以上、もう嘘はつけない。そう思ったら居ても立っても居られなくなったのだ。

「ごめん…千晶」

「もう、いい!」

千晶は、透の言葉を最後まで聞くことなく、その場を立ち去った。

部屋に戻ると、透はふぅーっと大きく深呼吸する。

朱音が他の男といると知らされた時、自分の胸は驚くほどざわついた。そして、これまでに感じたことのない焦りを感じた。

相手が誰なのかも分からない。もしかしたら一緒にいたのは単なる仕事仲間で、余計な心配なのかもしれない。

朱音から直接聞いたわけでもないのに、勝手な想像をして自分の気持ちがこんなにも乱れ、揺れ動いたのは初めてだった。

「…よし」

透は、ある場所へと向かうため、再びジャケットを掴むと部屋を飛び出した。



心赴くままに


朱音は帰宅するなり、久しぶりに大好きなクラシックミュージックをかけた。

昨年までは頻繁にコンサートに出かけていたのに、今年は中止が続いたため全く足を運んでいない。

この春から、仕事や余暇のスタイルが大きく変わった。それなりに適応出来ているし、新たな様式を確立しつつもある。

だが、日常生活の中のふとした瞬間、自分の心が休まる時間については後回しになっていた。

音色に耳を傾けながらハーブティーを口にしていると、ある気持ちが芽生えた。

−久しぶりに弾いてみようかな。

朱音は、最近すっかり入っていなかった部屋へと足を踏み入れた。その部屋には、電子ピアノが置かれている。

思えば、この部屋は防音がしっかりしているというのが決め手になって借りたのだ。

椅子に座って鍵盤の上に指を置くと、自然と指が動いた。昔よく弾いていた、ショパンのノクターン。

時間が経っても弾けるものだと、少しだけ驚いた。

−気持ちいいかも。

最初こそ違和感があったものの、自分の指が旋律を生み出していく快感が徐々に湧き上がってきた。自分の心の赴くままに弾いていると、心がどんどん軽くなっていく。

一通り弾き終えた朱音は、目を瞑って、自分の気持ちにも耳をすませた。

−葵、ありがとね。

心の中で小さくそう呟いた。ようやく自分は、本心に気づくことが出来た。そしてそれを伝える覚悟も。

もう逃げない。その気持ちを確かなものにするため、朱音はある場所に向かうことにした。

こんな寒空の夜に出ようなんてどうかしているだろう。だが、わき出す感情を抑えることは出来なかったのだ。


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