恋は焦りすぎると、上手くいかないもの。

だから、じっくり時間をかけて相手を知っていくべきなのだ。

結婚に焦り様々な出会いと別れを繰り返す、丸の内OL・萌。

“カルボナーラ”をきっかけに失恋した女は、恋も料理の腕前も上達していく…?

◆これまでのあらすじ

朝日への想いに蓋をして、斎藤との交際を始めた萌。年上彼氏の包容力や優しさにだんだん惹かれていったのだが、新たな問題が見えてきて…?

▶前回:デート帰り、日比谷駅へ向かう途中に彼がいきなり立ち止まって…。その後告げてきた、驚きの一言



2019年8月


「今度さ、裕二さんの家にも行ってみたいな」

付き合い始めてしばらく経った、ある日曜の昼下がり。萌は昼ご飯を食べてまどろんでいる斎藤へ、以前から少し不満に思っていたことを遠回しに伝えてみた。

実は付き合ってからのデートは萌の家ばかり。何かにつけて、彼の自宅へあがることを断られ続けていたのだ。

しかも、ここ最近は「仕事が忙しい」という理由で休日に連絡が取れなかったり、平日デートのドタキャンが増えたりもしていた。

最初は単純に、忙しくて大変そうだと思っていたが、あるとき“女の勘”が働いた。

― 実は、他に女がいるの…?

そして、今日も斎藤のセリフは予想通り。

「あー、ごめん。実は仕事がバタバタしてるから、部屋の片付けがちゃんとできてないんだよね…。落ち着いたら、うちに来てよ」

「ふーん。そうなんだ。掃除ならお手伝いしに行くよ?」

「大丈夫。好きな子にだらしないところ見せて、嫌われたくないもん。それに…」

「それに、何?」

「せっかくこんなに細くてきれいな指をしてるのに、萌ちゃんに掃除をさせて、もしケガでもさせちゃったら大変だからさ」

いたずらっ子のように微笑みながら、萌の左手を大事そうにそっと握る。

「…もっと早く萌ちゃんと出会いたかった。大事にするから」


家に呼んでくれない彼氏に、萌がやった“あること”とは?

「絵美さん。私の彼氏、付き合ってから一度も家に呼んでくれたことがないんですけど、おかしいですかね?」

騒がしい社員食堂の一角で、萌は同意を求めるかのように、絵美へと問いかけた。

「うーん。たしかに、なんだか怪しいよね。Facebookとかで彼のこと検索してみた?」

絵美は眉間にシワを寄せながら、コーヒーを飲んでいる。

「してみたんですけど、なかなか見つからず…」

「そうなんだ。私の友達の友達にいたりして?」

顔の広い絵美は本領発揮と言わんばかりに、さっそくSNSで検索してくれた。すると、共通の友人がいる“斎藤裕二”という人物が検索結果に出てきたのだ。

プロフィール写真は後ろ姿でわからなかったのだが、投稿履歴をさかのぼってみると、タグ付けされた写真が数枚投稿されていた。

友人の友人までに限定で公開されている写真。

その写真の中の“斎藤裕二”は、黒い羽織とシルバーの袴を身にまとい、隣に立っている白無垢を着た女性と見つめ合っていた。

「えっ…。これ、裕二さん?」

見覚えのある横顔に、萌は息をするのも忘れ、小さな画面を食い入るように見る。

『裕二、結婚おめでとう。お幸せに!』

投稿された日付を見ると、約1年前の『2018年7月』と書かれていたのだった。



幸せそうな斎藤の顔を見た萌は、スマホを持つ手が震え、心臓がえぐられるような感覚に陥った。

そして、その日の夜。

事実を確かめようと、彼をカフェに呼び出すことにした。カフェ集合にしたのは、人目がある場所にいることによって、感情的にならないようにするためだ。

先に店へ到着し、席で待っている間。萌は「これが夢なら覚めてほしい」と、何度も腕をつねった。

「お待たせ。いつもみたいに、家で待っていればいいのに」

のんきなことを言いながら、コーヒーを持った斎藤がテーブルにやってくる。

「ねえ、これってどういうこと?」

萌は、唐突にスマホの画面を彼に突きつける。そこには、斎藤の結婚式の写真が映し出されていた。

「え!そ、それは…」

動揺して左右に目が泳いでいる彼を前に、萌は冷静に続ける。

「結婚してたんだ。ずっと嘘ついてたんだね。私のこと、騙されているバカな女だと思ってた?」

「あ、あの…。これは違うんだよ」

「違うって何?この期に及んで言い訳するの?」

斎藤はしどろもどろになりながら、早口でまくし立てる。

「結婚しているのは事実だけど、俺の奥さん、今妊娠中でずっとつわりが辛いって言ってて。実家に帰ってるんだ。だから誰もいない家に帰るのが寂しくて、つい…」

そんなときに、アプリで見つけたのが萌だったらしい。開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだった。

彼はさらに、追い打ちをかけるように続ける。

「最初はほんの軽い気持ちだったんだけど、だんだんいいなって。萌ちゃんにもっと早く会いたかったって思うようになって、本気で好きになったんだよ」


大好きだった彼氏に突きつけられた、残酷な一言に萌は…?

「奥さんの妊娠中に何言ってるの?ありえない…。私のためを思うなら、もう二度と目の前に現れないで」

カフェを飛び出して、一目散にタクシーを拾う萌。

自宅までは少し距離があったが、この失意の中で電車を乗り継ぐ気にはなれなかった。運転手に行き先を告げると、萌は後部座席にもたれ掛かって天を仰ぐ。

楽しかった思い出も、斎藤の優しい言葉も。一緒に作った料理も、すべてが偽りの上に成り立ったものだった。

あらためてその事実を噛み締めたとき、心臓が強く締めつけられるのと同時に湧き上がってくる、怒りや悲しみ。そして、虚しさ。

様々な感情が入り混じって、不思議と涙は出てこなかった。

自分が傷ついたところで、一番の被害者は彼の妻と、これから生まれてくるであろう子どもだ。萌はその罪悪感に、大きなため息をついた。

それから何を考えるでもなく、窓からぼんやりと都内の喧騒を眺めていた。

「…お客さん、この辺りでいいですか?」

運転手の声ではっと我に返る。10分ほどかかるはずの乗車時間が、一瞬のように感じられた。



萌が勢いよく玄関のドアを開けると、真っ先に目に入ってきたのは、靴箱の上に飾っていた斎藤とのツーショット写真だった。

笑顔の二人を目にした瞬間、初めて涙が溢れてくる。

ソファに倒れこんでスマホを見てみると、彼からLINEが来ていることに気づいた。

『嘘をついていて本当にごめん。確かに俺は結婚してるけど、萌ちゃんが好きなのは本当で…』

― これ以上、私を惑わせないで!

すべてを読む前に、ブロックしてLINEの履歴を消した。一連の流れで、スマホに保存してある斎藤との写真も削除する。萌は重い体を起こして、思い出の品もごみ箱に投げ捨てた。

そうしてベッドに仰向けになり、天井を見上げる。

「朝日さんに会いたい…」

萌は、無意識に自分の口から飛び出した言葉に驚く。

認めたくなかったが、この失意の中で脳裏に浮かんでくるのは、彼の優しい笑顔だった。

一度蓋をしたはずの、朝日への感情。想いを伝えるべきなのかはわからない。仮に伝えたところで、結果は目に見えている。

答えの出ない堂々巡りを繰り返す中で、萌は斎藤との顛末だけを朝日に報告することにした。

『朝日さん、突然すみません。お付き合いしていた彼が既婚者だったことがわかり、別れてきました。また今度、お話聞いてもらえると嬉しいです』

今まで散々アドバイスをもらっておきながら、最近は一方的に朝日との距離を置いていた萌。

それにもかかわらず、今度は手のひらを返したように「話を聞いてほしい」だなんて、我ながら図々しすぎることはわかっていた。

でも、今はどうしても朝日に話を聞いてほしくて、最後のわがままだと決めて送信ボタンを押したのだ。

もともとLINEはあまり使わないと言っていた彼だったが、5分ほどで既読がつき、返事が届く。

『それは大変だったね…。次回の料理教室のときに、話聞かせてよ!今はとにかく、心と体を休めてください』

いつも通りの優しい言葉遣いに、また涙が溢れそうになる。

次の料理教室は、3日後の金曜日。萌はそれまでに自分の気持ちをしっかり整理しようと決意する。

その後は悶々とする日々だったが、不思議と仕事に支障をきたすこともなく、あっという間に当日を迎えた。

会ったらすぐにでも彼と話したかったが、朝日が仕事のトラブルで少し遅刻してきたため、チャンスは料理教室終了後のみ。萌はソワソワしながら、レッスンに取り組んだ。

そして終了間際。

いつもならレシピのおさらいをするはずの講師が、改まった面持ちで話し出したのだ。

…その内容は、萌にとってあまりにもショッキングなものだった。


▶前回:デート帰り、日比谷駅へ向かう途中に彼がいきなり立ち止まって…。その後告げてきた、驚きの一言

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萌が朝日へ思いを打ち明けようとした矢先、告げられた事実とは?