結婚・出産・転職。

20代には人生を大きく変えるイベントがぎゅっと詰まっている。

そんな大きな決断をまえにすると、多くの人は悩む。

世間一般で言われる“幸せ”と、「わたしはわたし」と考える“セルフ・ラブ”はズレるから―。

これはさまざまな葛藤を抱えながら、自分だけの正解を見つけようともがく、20代女子の内面を描いた物語。

最後にお届けするのは、結婚・出産を意識したとたん、豹変した女のストーリー。

▶前回:ロジックだけで結婚できる?ドキドキを捨てた女が持つ、忘れられない過去とは



File7 渡辺サヤ(26) IT企業勤務SE


学生時代に出会った彼・トオルと25歳で婚約。同時に同棲を始め、3ヶ月後には挙式を控えており、仕事も順調。

このまま、平和なほのぼのカップルでいられると思っていた。

そう、これまで無縁だったあの魅力に取り憑かれるまでは。



「はあ、あれが24時間365日続くなんて、やり切れる自信ないな」

「わかる。学生の頃からバイト代はほとんど美容に費やしてきたのに、あんなに髪振り乱してちゃ、あっという間に水の泡になりそうだよね」

今日は大学時代、同じインターンに参加して仲良くなった友人・ミオとランチに来ている。

イケてるとは言えない就活生だらけの空間で、綺麗な顔立ちが一際目立っていたミオに、私から話しかけたのが始まりだった。

晴れて同じ会社に入社し、配属も同じになった私たちは平日も休日もよく一緒にいる。

今日は、カフェでランチ。休日の昼間、思いのほか家族連れが多かった。

わーわー泣き喚く赤ちゃんと、必死にあやすママを見て思わずため息が溢れる。

そんな私が出産を意識する理由。それは、3ヶ月後に結婚を控え、彼が以前にも増して子どもが欲しいアピールをしてくるようになったから。

学生時代から付き合っている私たちは、もう男女の関係というよりも親友のような、同志のような関係。夜の営みも1ヶ月に1回あるかないかくらいだ。

それなのに、というかだからこそ、というべきか。子どもについて、私はいつかは産みたいと思いながらも、まだまだ心の準備ができていない。ところが彼は、結婚する意味はそれだと言わんばかりに、すぐにでも子どもを欲しがっている。

「なんか子どもを作る・作らないの前に、自分が女である喜びを感じたいのかも」

正直な気持ちをつぶやく私を見て、ミオは首を傾げていた。


女である喜びを感じたい。その本当の意味とは?


「ねえねえ、ミオってそろそろ特定の誰かと付き合おうとか思わないの?」

なかなか聞きたいことが言い出せず、いつも一緒にいる友人に聞くにはおかしな質問を投げてしまった。

金曜日の会社帰り。ミオが私の部屋に寄って、Uber華金が定着している。

婚約者のトオルは、総合商社で働くかたわら自分でビジネスを立ち上げていて、金曜はたいてい商談や接待が入る。

日曜日は必ず一緒に過ごすことになっているが、それ以外の日は帰りが0時を回ることが多い。だからミオが付き合ってくれるのがとてもありがたい。

「うん、とりあえず今は仕事と、自由な男遊びで十分かな。恋は突然だと思うから、いつ恋に落ちても不思議じゃないけど」

「そっか。その辺ずっとブレないよね」

とりあえず突っ込まれなかったことに安堵した。けれど、私の心臓はまだバクバクしている。

そう、その理由は、どうしてもミオに聞いてみたい質問があるから。

私は飲んでいたハイボールをぐいっと飲み、意を決してミオを見た。

「あのさ、めっちゃ恥ずかしいんだけど聞いてくれる?」

「なになに、恥ずかしい話、なんでもウェルカム」

ミオの物事を重く捉えない性格が、私の背中を押した。

「ありがと。あのね、いいにくい話なんだけど…私、トオルとの相性にあんまり自信がなくて。触れ合うのはどこかで気持ちを確かめる手段って思っちゃってて、自分の身体が喜んでる感覚を味わったことないんだよね」

「え!?」

勢いに任せて早口で言い終えた私に、ミオは飲んでいたビールを吹き出しそうになりながら被せ気味に反応した。

「本当に恥ずかしいんだけど」

「いや、全然恥ずかしいことじゃないよ。というか、もったいないよ。そんな感じで結婚して大丈夫?」

「だよね、私も最近になって、こんな気持ちのまま結婚・出産して育児に追われる人生でいいのかって考え始めちゃって。本当に最低なんだけど、ミオみてると羨ましいっていうか、“遊び”を経験しないまま結婚していいのかって気持ちがあるの」

「二人の間のことは私は何も言えないけど、とりあえずもったいないとだけ言っておくわ。遊び続けてる私ですら満足してないのに、経験せずによく結婚しようとしたよ、ほんと」

悪戯な笑みでミオがこちらを見る。今まであまりそういう話をしなかった私のことだから、話のネタとして言ってると思っているらしい。

「でさ、ちょっと前にアプリ入れて、それで出会った人と今度会おうかと思ってるんだよね」

「は!?」

またしても新しくあけたばかりのハイボールを吹き出しそうになっている。

そう、今回は私ですら結構思い切ったなと思う。結婚・育児が近づいていると思ったら、このタイミングを逃すわけにはいかないという気持ちになったのだ。

「え、待って、一応確認なんだけど、どういう目的で会うの?」

「相手には言ってないし、聞いてないんだよね。けど私としてはそういうことになってもいいかなって思ってる」

「ちなみに何のアプリ?」

アプリのアイコンをミオに見せる。

「それは、相手は真剣な出会い求めてる可能性高いよ。私のおすすめはね、これ」

と言ってミオは私のiPhoneで、別のアプリをインストールした。

「これ、身バレしない?」

「うん、写真はなんでもいいから。まあ初期設定は私に任せて」

そう言って慣れた手つきで、相手に表示する情報などを設定してくれた。

「はい」

たった数分で設定が完了したiPhoneが戻ってきた。なんだか、自分のiPhoneではない気すらした。

もしバレたらトオルは絶対に私を許さないだろうな。でも、隠し切れれば良いことしかない。バレた時の恐怖と、背徳感と、それを上回る新しい世界に飛び込んだようなワクワク。

帰り道も落ち着かなくて、バッグからiPhoneを取り出す。

後ろの窓にiPhoneの画面が映っていないか、前に立っている人に見えないか、周囲を挙動不審なほど念入りに確認したうえでアプリを開いた。

ドキドキしながら、画面に次々と出てくる男性を選別する。いつもなら長いと感じる30分の電車時間が一瞬のように感じられた。


保守的だったサヤがとった、驚きの極端な行動とは?

「ミオ!やっと会えた、久しぶりじゃない?」

昨今の情勢を踏まえ、週3日出社だった私たちも完全リモートになった。ミオと会うのは、1ヶ月ぶりだ。カフェのオープンテラスのはじっこの席を確保して、並んで座る。

「サヤ、元気にしてた?…あれ、なんか女の色気、増してなーい?」

ミオは、ニヤニヤした表情で私を見ている。

「実はさ、あの後2人と会って」

私は周囲を見渡してから、可能な限り声をひそめてささやいた。

「で?それで?」

ミオの体も自然と前のめりになる。

「そういう関係に、なった…」

「まじか」

普段ですら吸い込まれるような大きさのミオの目が、倍になっている。

「一旦聞くわ。どうだったの?」

「初めの人は、新鮮な気持ちで結構盛り上がって。その調子で会おうと思った2人目の人がめっちゃハマっちゃって」

「相手はどんな人?」

「深く個人的なことは話してないんだけど、彼女を探してるわけではないって言ってた。それも楽でいいんだよね。トオルと別れる気は全くないし」

「なるほどね。その感じを、トオルさんで試してみようとはならないの?」

「そうできたら一番いいなとは思うけど、やっぱトオルはもう友達って感じなんだよね。まあそれもそれでいいなって。求めるものが違うって感じかな」

「ちゃんと割り切れてる感じで良かった。これで変に感情入ったりしてたらどうしようって心配したわ」

「それはないよ。なぜかこういうことをするたび、人生のパートナーはトオルでよかったなって思うもん」

「そっか、じゃあ結婚・出産を決意するまでは女を楽しむって感じ?」

「うん、もう遊びまくってスパッとやめたい」

ミオと盛り上がっていると、スマホが振動し、「今日早めに帰れそう!」とトオルからLINEが来た。

「やった!夜ごはん何がいい?トオルが好きなもの作るよ」

すぐに返信を打つ。罪悪感からなのか、女性ホルモンが出てイライラしにくいのか、トオルにも優しくなれた。



「サヤ〜。大好きだよ」

その日の夜、トオルが好きなハンバーグを作ってゆっくり食事したあと、YouTubeを見ながらのんびりしていると、トオルが甘えた声ですり寄ってきた。

これは、遠回しに誘ってきているサインだ。

私はYouTubeに夢中になっているフリをし、トオルの手を軽く避ける。

今日はなんとなくそういう気分ではなかった。

諦めてくれることを期待していたが、30分経ってもトオルの気持ちは変わらないようだった。

もう逃げられないと諦め、いつもの流れでトオルのお姫様抱っこに身を任せベッドへと連れて行かれる。

「サヤ、俺のこと好き?」

いつもなら聞いてこないことを、不意にトオルが聞いてくる。

内心ドキッとしながらも表情に出ないように気をつけた。これは男の勘なのだろうか。

「私も好きだよ」

とにかく二人の世界に入り込もう。ぎゅっと目を瞑ってトオルにキスをした。

だが、私の脳内は思うようにコントロールできなかった。焦りで身体に変な汗をかいているのを感じる。

トオルをがっかりさせないようにと、罪悪感を感じながらも、最近会った別の男性を思い浮かべようとした。

その時、トオルの手がピタッと止まる。

「サヤ、全然盛り上がってないね。身体は正直だな」

今まで聞いたことのないくらい低い声でトオルが呟き、私の返答を待つことなくリビングに行ってしまった。ただでさえ焦っていた私は、トオルの言葉と冷たい視線に頭が真っ白になる。

嫌な予感が的中した。

そう、私の身体はもう、トオルを求めることはなくなっていた。

後先考えず、その場の快楽に溺れていた私は、疑うことのなかった婚約者との仲がじわじわと侵食されていたことに気づかなかった。

一時的な快楽を手に入れて、引き換えに失ったものとその大きさに愕然とする。

私は、果たしてこの先どこに向かえばいいのか。呆然としたまま、ひとりでいつまでも天井を見上げていた。

Fin.


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